師範から保護者の方への通信欄です

Contents
第01号. ⇒2005年7月6日【親は子の手本】 第26号. ⇒2006年8月01日【 御 礼 】
第02号. ⇒2005年7月13日【励まそう!】 第27号. ⇒2006年9月28日【秋分の日・第二回ツーリング】
第03号. ⇒2005年7月20日【もったいない】【出来ごころ】 第28号. ⇒2006年9月30日【徒然なるままに・・】
第04号. ⇒2005年8月17日【夏の終わりに・ほうらんや】 第29号. ⇒2006年10月20日【昨日・今日・明日】
第05号. ⇒2005年8月20日【伝えたいこと】 第30号. ⇒2006年10月27日【神田さんの結婚式に招かれました】
第06号. ⇒2005年9月14日【柔能く剛を制す】 第31号. ⇒2006年11月06日【文化の日・第3回ツーリング】
第07号. ⇒2005年9月21日【社会生活の掟・ルール】 第32号. ⇒2006年11月15日【子供にニュース番組は見せない・・】
第08号. ⇒2005年10月1日【子は親の鏡】 第33号. ⇒2006年11月15日【オーラに色があるらしい・・】
第09号. ⇒2005年10月1日【夢は世界に!】 第34号. ⇒2007年1月15日【年頭にあたって】
第10号. ⇒2005年10月12日【財布の話】 第35号. ⇒2007年1月15日【春〜よ来い♪福〜よ来い♪早〜く来い♪】
第11号. ⇒2005年10月15日【褒めて育てる】 第36号. ⇒2007年1月19日【大阪南支部分支部長の小林悟君....】
第12号. ⇒2005年10月19日【お母さんに、有難う!】 第37号. ⇒2007年2月5日【立春*節分がやってきた】
第13号. ⇒2005年10月26日【チャンピオンクラスの話】 第38号. ⇒2007年2月7日【鍵田忠兵衛衆議院議員 新春の集い】
第14号. ⇒2005年11月9日【ニートってご存知ですか】 第39号. ⇒2007年3月3日【今年も桜の季節がやってきた】
第15号. ⇒2006年1月11日【新年のご挨拶】 第40号. ⇒2007年5月15日【ゴールデンウイーク・ツーリング】
第16号. ⇒2006年1月25日【今一度心して!】 第41号. ⇒2007年7月11日【第1回奈良キッズチャレンジカップを終えて】
第17号. ⇒2006年1月25日【今日の新聞から】 第42号. ⇒2007年8月23日【 御 礼 】
第18号. ⇒2006年2月3日【真の友とは・・】 第43号. ⇒2007年8月29日【命のふしぎと生きていることの意味】
第19号. ⇒2006年2月10日【ライブドア 堀江さんの話】 第44号. ⇒2007年9月4日【残暑見舞い(母お見舞い御礼)】
第20号. ⇒2006年3月10日【モーニングセミナー】 第45号. ⇒2007年10月18日【秋桜・コスモス】
第21号. ⇒2006年3月22日【桜の季節に思うこと】 第46号. ⇒2007年10月18日【近況その1 母のこと】
第22号. ⇒2006年3月22日【お彼岸とお墓の話】 第47号. ⇒2007年10月18日【近況その2 苛立ちと怒り】
第23号. ⇒2006年3月24日【愛国心について考える】 第48号. ⇒2008年2月1日【食の安全の話をしましょう】
第24号. ⇒2006年5月10日【ゴールデンウイーク・ツーリング】 第49号. ⇒2008年4月11日【新たな出発です!】 NEW
第25号. ⇒2006年5月19日【 水戸黄門 考 】


2008年4月11日
師範 秦
【新たな出発です!】


今年も、忘れることなく春が又巡ってきました。

折角の満開の桜もこのところの雨で、散ってしまいましたね。桜の季節は短いですが、続く若葉の季節は気持ちがよく、新たな意欲も湧いてきます。
学生の皆さんには進級や進学の季節でもあり、気持ち新たに出発されたことと存じます。

さて、道場でも、今春、新たな取り組みとして事業を展開することとなりましたことを皆さんにご報告申し上げます。

拠点は橿原南和本部道場の二階です。


名称《 加圧トレーニングスタジオ エクセルギィ奈良 

    


■ 加圧トレーニング
    

      

■ 酸素カプセル


■ ラジオ波エステ
■ リンパマッサージ

    

以上の施術が行えるスタジオが完成しました。

それぞれの詳細についてはホームページでも近々公開させていただきます。
又、チラシを各道場にも配布させていただきますのでご覧いただきたいと存じます。
その中で、既に加圧トレーニングについては、ホームページ上のコンテンツを増やしており、見ていただくことが出来ます。

興味のある方は、ぜひお問合せいただき、又、カラテをするための体作りと組み合わせた形でも生きてくる加圧トレーニングは、
短時間に集中して肉体改造を行うことの出来る最適な手段として、脚光を浴びております。

今現在では、アンチエイジング、ダイエット、怪我などによるリハビリの目的でのトレーニングとしても既に知られております。

酸素カプセルはもうご存知の方も大勢いらっしゃるでしょうが、広くスポーツの有名プロ選手が日常的に活用されているようです。
高気圧の中で高濃度酸素を取り入れる酸素カプセルは、体の隅々に新鮮な酸素が行渡り、疲労の回復や怪我の回復治療にもお勧めです。
プロの業界から既にお越しいただいた何人かの選手の方もいらっしゃいます。
早稲田のハンカチ王子こと斉藤選手も早い時期から酸素カプセルを
利用されていたということはご存知の方もいらっしゃるでしょう。

又、別の分野でのエステ業界にも幅を広げました。
成人病に結びつく肥満、メタボリック症候群など、先ごろ様々なメディアにおいて報告がなされていますが、
一旦体についてしまった脂肪やセルライトはなかなか生活習慣では落とすことができないのが実情です。
ラジオ波によって溶解された脂肪を体外に排出する。リンパの流れをよくして基礎代謝力を復活させ健康な体造りを目指す。
もちろん、美しい体を作るための手段でもあります。

ざっと申し上げればこのような内容となりますが、詳しくはホームページ上でご覧いただくなり、
お問合せいただければ嬉しく存じます。

いくつになってもチャレンジする姿勢を大事にしたいというのが私の心情です。

さて、本格始動の春、ここ一番の力を出して皆さんも頑張っていただきたいと思います。
私も皆さんと同じように頑張ってまいります。


これからもどうぞよろしくお願い申し上げます。


2008年4月11日
師範   秦
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2008年2月1日
師範 秦
【食の安全の話をしましょう】


いつか何かがおきそうだ・・・・と予測が的中したように、中国製餃子で中毒。
千葉市と兵庫、近畿のお膝元でも起きてしまったようだ。
恐ろしい症状が出るようでどのニュースを読んでも本当に恐ろしくてぞっとする。
メタミドホスという殺虫剤がパッケージから検出されたらしい。

中国野菜が危ないといわれて久しい。たまに私も業務用スーパーなどにも行く。
安い値段で中国野菜が並ぶコーナーもある。国産の美味しそうな野菜は割高だ。
中国野菜の売り場を素通りして通るのは、この頃では恐らく当たり前のことであろう。
これでもかと、テレビや雑誌やネットでも中国の農薬の使い方、ずさんな工場管理が伝えられる。
前に見たテレビでは、川が真っ赤や青い色をしていた。農薬を使った野菜は中国では食べないと言っていた。
食べる野菜を洗剤でブクブク泡を立てて洗ってもいた。
日本に行くんだこの野菜は・・・という傍の川には、ありとあらゆるゴミが浮いてブクブクとクリーム色に泡立っていた。
心底おそろしいと私は思った。

感心を持ち出して、物を買う時に裏の表示をしっかり見るようになったのは言うまでも無い。
肉類も外国製。えびも東南アジア製。冷凍食品に外国製があると今始めて知ったのは私だけではないと思う。

この期に及んで中国からバンバンと輸入している会社も会社だが、私はひとつのことに注目した。

家族が集う団欒の場で、冷凍の餃子などが並ぶ時代なのか・・・と思ったのだ。
冷凍食品売り場が、スーパーの中で大きな位置を占めていることは知っている。
夫婦共働きのご家庭も多くなり、食事も時間をかけて手作りする時間も無いのかもしれない。
お弁当も冷凍食品をチンするだけで、可愛いものが出来るみたいだ。

だが、みんなの心に無いだろうか。
これでいいのかな・・・。

餃子。皮と餡でつくる中国料理。もうこれは日本国中で日本の家庭料理になった感がある。
それぞれの家庭の味があると聞く。
どうだろう。
先ずは国産で尚且つ安心な原材料で家庭の食事をなんとか復活できないものか。

うちの事務所内でも今日はその話で持ちきりだったが、外国産を一切買わないということは今はもう難しいという。
せめて危ないと分かっている中国産は買わない。この間COOPで丁度輸入ものの餃子を買った職員が『もう捨てました!』と。
ただ時間を惜しむと、危ないものに手を出すかもしれないので、できるだけ手作りを心がけますといっていた。
食べ盛りの子供がいると餃子も半端な数じゃないという。
そんなときは仕事の休みの日に、子供たちも手伝わせてたくさん作っておくらしい。

安いからと〃便利だから〃と手を出さないで、できるだけ一工夫して安全な物を手作りで食卓に載せていただきたい。

さて、輸入されてきた食材を検査する水際での機関は、どうなんだ!とききたい。
なぜこんなことが起きる。交じり合ったものがある食材は検査外だというが、表向きだけな検査機関でよく今日まで何事もなく来たものだ。

これだけ化学が進歩した日常に、普通に家庭という垣根を易々と越えて、『毒』
は、はるばると外国から、庶民の食卓にやってきたのだ。

本当に恐ろしいことである。


五感が麻痺しつつある現代人。
目と耳と鼻と口と手で、本物を確かめるという感覚を取り戻さねば、子供たちの将来さえも危ないと私は思うのです。


2008年2月1日
師範   秦
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2007年10月18日
師範 秦
【近況その2 苛立ちと怒り】



みなさん、先刻ご承知でしょうが、このごろの相撲界やボクシング界のざわざわとしたこの実態はどうしたものか・・・。

相撲界についてはモンゴルに帰ってしまった横綱のことだが、時代が変わったといってしまえばそれまでだ。
国に帰れば、国賓・英雄・企業家で大金持ちだ。
極真世界大会でもタイトルがブラジルの選手に取られた時期もあり、外国の選手が台頭してきていて、日本人の選手たちも刺激を受けいままで以上の努力をするようになっている。
それはそれでいいことであって、我々支部長が集結するようなときもそんな話で大いにもり上がる。

が、相撲が国技である以上は、相撲界でのいい加減は許すべきではない。
時津風部屋の不祥事に至っては、なんとも言いがたい苛立ちと怒りが脳天を突き破るかのような毎日であった。
しっかりしてほしいよ!!日本相撲協会。
親方や理事長がものを言うたびに、日本中の人たちに笑われているんじゃないのか?!

日を置かずしてボクシングの亀田一家事件。あえて事件と言わせてもらう。
だからこそきっぱり処分するが妥当だというのが私の意見。追放も然りであると、はっきり申しておきたい。
もちろん一個人の意見としてだ。
彼らが世に出だした頃から私は一家に対してNO!の姿勢。
見たくもないし、聞きたくも無い話、試合。
常識はずれな態度や発言に、血圧が上がりそうで体によくないからだ。

そして、助長するばかなマスコミ。お友達感覚の芸能人?!全くハテナでビックリだ。
ブーイングの嵐の中で、いつもかわらず汚い口で相手を挑発し、真っ当な試合が出来ない。
そんな中、にんまりしていた人間もいる。はやし立てた奴等もいる。

そして、そしてだ。
世の中には、プチ亀田一家になりたい人間がいることは否めない事実だ。
悲しいかな私の周りにもいそうな気配を感じて、苛立ちは収まらない。
見て見ぬ振りで、誰もがちやほやするのを止めなかったという責任もある。
おかげでボクシング界が賑わった?だと。チャンピオンになることは誰しもの夢である。
どんな手を使ってでもいいというような品格の無いルールはボクシングには無い。
多くの人に武道空手を教える側の人間として、私の怒りは収まらないのだ。
まじめに、日々努力をし続け、精神性をも追求して止まない多くの若者たちの心意気さえも汚された気がして、
殊更に情けなく腹立たしい。

最後に、初防衛に成功しベルトを前に語った、
チャンピオン内藤選手の、大人な温かいコメントにホッとした人は多いだろう。


2007年10月18日
師範   秦
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2007年10月18日
師範 秦
【 近況その1 母のこと】



母が、大きな手術をして無事病院から帰ってきて、又、母の日常が戻ってほっとした矢先。
二週間前くらいに、人と会う約束をしていてばたばたとしていたときに電話が鳴った。
母だ。胸騒ぎがした。
横腹か背中の右側かわからないが、ものすごい痛みが突然来たという。
今、あまりに痛いので、座薬を入れて様子を見ているという。

すぐにでも行って病院に連れて行きたいが、身動きが取れない状態であった。
弟たちも仕事中か連絡は取れない。
気にしながら、とにかく仕事がひと段落して、母に電話をしたら痛みが治まっているとの事。
いろいろ考えられるが、とにもかくにも診察の予約を入れた。
日を空けずに診察してもらうことが出来たが、腎結石だという。
癌の病巣を取り除いてからまだ日が余り無い。

痛みは想像を絶するものだったらしい。
結石が動くとき脂汗が出ると聞いたことがある。

来るときは一度に来るな・・・と、私は母を哀れに思いとにかく不安を除いてやりたいと、治療法や手術法や薬や入院などについて主治医の先生に聞くだけの事を聞いた。

レーザーで飛ばす。

そんなことだった。
幸いにしてその施術の日までに激しい痛みは無かったようで、レーザーで施術していただくのは前日からの一泊であったが、
私は他府県への出張で、その日は弟が付き添ってくれた。

最近の医療の最先端はすごい。
母は、その日以降痛みも無く穏やかな日々を送っているようだ。ありがたい。

母を思う気持ちは皆同じだと思う。
だが、どうしようもない試練が襲ってきたとき、冷静にどう動いてやれるかが肝心だ。私は母のおかげで、さまざまな事を改めて振り返る機会を持たせてもらったと感謝している。


2007年10月18日
師範   秦
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2007年10月18日
師範 秦
【秋桜・コスモス】



今年の夏は、本当に暑かった。
夏の合宿の頃が一番厳しかったんじゃあないだろうか。
よくみんな3日間を乗り切ってくれたと今になってだが、心からそう思う。

地球温暖化が問題となって久しいが、年々実感する。
さまざまな取り組みの中で、私たち個人が出来ることにも目を向けて生きたいと常々と思う今日この頃である。

いつまでも暑かった夏が終焉を迎え、空の気配がすっかり秋になり、空気が、風が、花たちが、秋の到来を告げる。

先日、たまには乗ってやろう!とバイクをガレージから引っ張り出して、近所を回ってみた。

秋の風を切って、橿原の市民プールがある辺りの走ったことの無い道を走っていたら、
ものすごい景色に出くわした。

辺り一面がピンク色に染まっていた。
コスモスだ!秋桜と書く。
まさしく秋に咲く桜。バイクを止めて写真を撮った。
花に詳しいわけではないが、コスモスの花の色にも濃い薄いがあって、しかも白いものや紫色の濃いものもちらほらあった。


車で見に来ている方もおられた。

隣り合わせた田んぼでは、農家のご夫婦が稲刈りをされていた。

しばらく、体中に秋のにおいを吸い込んで・・・
メットを被りバイクにまたがった。

今日は得をした気持ち。
事務所に帰って職員たちにそう告げた。



どこまでも

可憐

近鉄電車走る

誇り
2007年10月18日
師範   秦
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2007年9月4日
師範 秦
【 残暑見舞い(母お見舞い御礼) 】



残暑お見舞い申し上げます。

残暑厳しき折、皆様方には恙無くお過ごしのこととお喜び申し上げます。

さて、私議、母の病気入院中は皆様方にご心配をおかけし、温かいお志をたくさん頂戴いたしまして誠にありがとうございました。
病院までおいでいただきました関西本部長中村誠師範、西の京病院会長比先生に於かれましては、
お暑い中本当にありがとうございました。身に余る光栄に存じます。

おかげさまをもちまして、丁度一か月を経過いたしました八月三十一日午後、無事退院いたしました。
予後は、担当の医師と連携を取りながら療養に努めてまいります。

まだまだ予断は許さないのが実情でございますので、兄弟三人で力を併せ母を見守って参りたいと存じます。

略儀ではございますが、書中をもちまして先ずは御礼の言葉に代えさせていただきます。

皆様、本当にありがとうございました。


平成十九年九月四日
          国際空手道連盟 極真会館 奈良支部
            支部長師範  秦 貴典 
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2007年8月29日
師範 秦
【 命のふしぎと生きていることの意味 】



7月の末に私の母が奈良市内の総合病院へ入院した。癌の手術をする為の入院である。
手術は8月1日に行われて、もちろん私も私の兄弟もかけつけて母を見守った。
母は77歳。手術室に入って出てくるまで8時間の大手術であった。


私が支部長を務める極真会館奈良支部には、心強い後援者の方々がいてくださり、私はその後援者の皆様方に支えられながら今日、極真会館奈良支部の支部長として認知を受けていることになる。ありがたいことだ。私は日々そのご恩を忘れることなく生きていこうと心に決めている。

その後援者の方の一人、医療法人康仁会西の京病院の会長の比先生の勧めで3年前からPET検査を受けるようになった。
西の京病院別院のメディカルプラザ薬師西の京では、全国に先駆けてこのPET検査を行うための施設を作られ、かなりの患者さんが早期発見も含めて、次の段階への生きるためのステップを踏まれていると聞く。

長い間いわば親孝行を出来ない時期があって、そろそろ孝行が出来る余裕も出来たとおもう今日この頃であった。

比会長先生にPET診断を薦められて、正直高額な検査であることや、まだ世間に広く認知を受ける直前でもあったため、“二の足を踏んだ”のは事実だ。
だが、同じ金をかけて温泉や海外旅行に連れて行ってあげても、それなりに楽しんだとしても帰ってしまえば終わり。長い間母の体を心配することも無くきたことへの反省の意味もあり、診断を受ける決意をする。

2005年1月14日。母を伴ってメディカルプラザ薬師西の京に第1回目の検査。
それから毎年二人で検査に通った。

PETは、体への負担もなく癌の病巣をいち早くどんな小さなものでも見つけることが出来る医療の最先端をいく検査方法である。
専門的なことはわからないが、ざっとはこういうことである。薬剤に、癌が大量に消費するという糖分に光陽電子を組み込んだ注射をすることで、癌の出来た部分の細胞が光る。ということである。陽電子放射断層撮影法という。

2007年の今年。二人とも再検査を要する結果が出た。
私は多少胃部に炎症を起こしている程度であったので、簡単な投薬で済んだ。
問題は母であった。食道の下部が完全に光っていた。食道の癌であった。
再検査における胃カメラの検査が必要になった。

私は、人事のように今まで捉えていた家族への癌告知について、その決定低的瞬間から毎日頭と心を痛めることになったのだ。

人には涙は見せられなかったことももちろんだが、動揺を知られまいとなぜかそのころの私は内に篭った。何をしていてもそのことで頭がいっぱいになって、近しい人にだけ話してアドバイスを受けたり、情報を提供してもらったり、あれやこれやと議論したりした。
そして、母のいる実家に足繁く通ったのはいうまでも無い。今、目の前にいる母が癌に侵されているという事実が受け入れられないばかりか、嘘だろ・・と思ったりもした。母は元気だった。いつものおおらかで温かい母であった。
だが・・・・確かに病魔は巣食っていたのだ。なんか喉が詰まるような・・・
と、母が言ったことは紛れも無く異物が母の食道に巣食っているのだと確信した。
放っておけば一年の余命。信じられないばかりか、夢ではないかと呆然自失の時期もあった。
時間が無かった。一日も早く検査を進めて、比先生のご紹介してくださった病院の外科部長に会いにいく予定を立てねばならなかった。

結局告知は、執刀医の渡邊先生と私と母三人の診察室で、先生が言って下さった。

母は言った。
『もうこの歳ですから、手術しないで済まないものでしょうか』

先生は、手術することが今最良の手段ですと答えてくださった。

私は言った。
『悪いところは早いうちに取ってもらって、後がよければまだまだ長生きできるんや。奈良県で一番有名な先生に切ってもらえる。
先生を信じて頑張ろう』

今だから本心を言う。
私はそのとき、ほんの少しもの成功を確信することが出来ていず、大きな不安と迷いに押しつぶされそうになっていた。

正直な話、兄弟の中でも切ったほうがよいか、切らないで余生を楽しませてあげたほうがよいのか・・と何度も議論した。
77歳の高齢で、果たして長時間の手術に耐えうることが出来るのか?!
手術の後、体力が激しく落ちて寝たきりになってしまうのでは!
等々・・・。

最終的には母の言葉が私の背中を押した。

『お前がそういうなら切ってもらおう』

切っていらないものを体の外に追い出してやりたいという気持ちは、日々そして徐々に私の心のうちに強い決意となっていった。
母は強い人だ。きっと治る。という確信に近いものが沸いてきていた。


私の母は、おおらかな云わば楽天家である。
又、腰は少し曲がって小さくなってきたように思うが、いわゆる背筋の一本ピンと通ったしゃきっとした人だ。
昭和のはじめの生まれであるからして、激動の時代を生き、我々兄弟3人を育ててくれた。
父の頑固な一本気なところと母のおおらかさに包まれて、我々は大きくなった。

入院の前に母が私に預けた物がある。
母が日ごろ大事にしているもの一式である。
預金通帳数冊。印鑑。写真数枚・・など。

写真はセピアに色が変色していたり、
白黒だったり、かなり古いものも含まれていて、初めて目にするものも多かった。
私たち3人の兄弟が戯れたり、笑ったりしている写真がたくさんあった。
母は、事あるごとにこの写真で懐かしんでくれていたのだろうか・・。
あとは、父と母の仲むつまじい写真もあった。
どうやら、大好きな車に母を乗せて日本中を旅して回ったようだ。


術後から私は毎日一日も欠かさず病院に通った。
麻酔から醒めるのが人より早かったようだ。手術室からICUに運ばれて行く母を覗き込んだ。そして私はシャッターを切った。
手術前にも二人で並んで写真を撮った。母は笑っていた。
母は私たちの顔を見て酸素吸入器の中から声を出した。にっこり微笑んだ。
そのとき、私は母の強さに感動し、手術の成功を確信した。

8日間は点滴だけの日が続き、その後普通食へと徐々に移行していったようだ。
後で知った話だが、その8日間、『水が欲しくて氷を頬張りたくてたまらんかった』と言っていた。隣の人が水を飲む音がして羨ましかったらしい。
今だからこそ微笑ましくも思う。


テレビを見ればいいと持って行ったが、未だにベッドの横のチェストの中にある。つまり一度も見ないままである。

事務員が見舞いにいったときに母は言ったそうだ。

『入院中は【無】の境地でおりたかったんで、そんなもんはいらんと言うたんや。新聞だけで十分』

あっぱれ!!母は偉大であった。



明後日、母は無事退院する。
手術がとても難しい言われる食道癌の手術を難なく突破して、大きな傷跡を胸とおなかに抱えて、晴れて病院を後にする。

このことがあって、私は、命の重要性やあることの重大性や儚さを知ることになった。
病気は怖い。癌は怖い。だけれどももう癌は治せない病気じゃない。早く自分の中の癌の発生を知ることで、まだ、又、生きることの出来る病気だ。
命はとても儚くてぼんやりしてると終わってしまう。
だからいつも自分について関心を持たなければいけない。
そう思った。


母と癌との闘いは終わったわけじゃない。
これからも見守りながら、母と一緒に生きていきたい。

2007年8月29日
師範   秦
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2007年8月23日
師範 秦
第12回極真カラテ大仏杯奈良選手権大会

【 御 礼 】



謹啓

盛夏の候、皆様方に於かれましては益々ご健勝のこととお慶び申し上げます。
さて、去る八月十九日開催の第十二回極真カラテ大仏杯奈良選手権大会は、無事成功裡に終了することが出来ました。
これも偏に皆様方のご支援ご協力の賜物と、深く感謝申し上げますとともに心より御礼申し上げます。

酷暑の最中の熱き戦いをご観戦いただきました皆様方、又、ご協力いただきました皆様方に於かれましては、
お疲れはございませんでしたでしょうか。お尋ね申し上げます。


《大山倍達 著書 求道万日 序章より》

『武は礼に始まり、礼によって終わる』という至言があるように、武人たる者が矜持と心得なければならぬものが礼節であるに違いない。
ところが最近の世の中では礼節を尊ぶ風潮が失せ、人間が真人間として生き抜いていく為のさまざまな道徳は地に落ち、伝統的なモラルも亡国へ向かうべく変化をきたしているようだ。
私・大山倍達はこうした傾向を心の底から憂う。
世界にただひとつ残された生粋の武道、極真カラテに励む者、極真カラテの熱愛なる支持者の方々だけには退廃的な動向に身をひたしてほしくない。

以下省略



常々と心のうちに我師の教示を忘れぬようにと、門下の生徒たちに接しておりますが、日頃の稽古の折に、
又試合や大会の開催時に感ずることは、二十数年前に書かれた師の言葉そのものであります。
カラテ一筋に生涯を貫いた壮絶、壮大なる人生から吐き出された多くの訓示は、今尚、我々の心のうちに絶大なる存在感で以って輝き続けおります。

私もまた師の教えを守り、今後も尚一層努力精進して参る所存でございます。

今後とも尚一層のご支援、ご指導を賜りますよう心よりお願い申し上げます。
謹白
平成十九年八月二十三日
国際空手道連盟 極真会館
奈良支部 支部長師範
秦 貴典
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2007年7月11日
師範 秦
【 第1回奈良キッズチャレンジカップを終えて 】



選手の皆さんには、日頃の修業の成果を充分に出しきれましたでしょうか?
入賞されました皆様方には先ずはおめでとう!≠ニ申し上げたいと思います。惜しくも入賞を逃した皆さんも、これからチャレンジの場はたくさんあります。又、奮起して稽古に励み、再チャレンジしてください。

近年、全国のどの支部、道場においても一般部の会員の比率が、幼年・少年部の会員数に圧倒されていると感じます。
支部内試合や県大会レベルの大会を催すにも、大会のカテゴリーのほとんどが、子どもたちで占められてしまうといった傾向にあるのが実情です。

長年、この仕事をやっていて・・・などと書き出してしまえば、余にも普通過ぎないかとお叱りを受けそうでありますが、だからといって、今日この武道の精神世界において・・・などと話を始めても、重みを持って心から発した言葉さえも右から左に通過されてしまうのがおちであると最近私は思うのです。
日々の稽古での子供達との会話や、送迎の折の保護者に皆さんとの世間話にしても、なんとも言いようのない希薄さといいますか、だるさというような、一種独特な気合の入らぬ腑抜けた感が否めません。
稽古では、私が、竹刀を持って大きな声で汗を噴出しながら気合を入れていても、子どもたちからほとばしるエネルギーを感じることが少なくなりました。

武道世界の秩序やしきたりや礼節といったものは、私のように長年支部長をやろうが、認められて昨日今日支部長になろうが、極真会館という確固たる器自体は何等変わってはいません。いや、変わってはいけない世界であると私は思うのです。
だからこそ、何か伝えようとするとき、つい力が入るということもあって、お若い保護者の皆様方には、古臭いの、固いの、しつこいだのと言葉に表れなくとも、接し方で分かってしまうこともままあって、肩からがくんと力が抜けてしまいます。

日本全国の何処の支部でも、子どもたちの数が増えて、子どもたちの空手の技術自体も順調な伸びを見せる昨今。子どもたちだけではない、保護者であるご家族の皆様方にも喜んでいただこうという試みの、子どもたちの大会(試合)を開催しようとういう動きがみられます。

キッズを中心とした白い帯もオレンジの帯も、よーーっし!とチャレンジさせてあげたいと開催した、第1回奈良キッズチャレンジカップが、いくつかの問題点を残したとしても無事終了し、ほっと胸をなでおろしながらも、次に控える大仏カップに向けて、何かと忙しい事務所の中、二通のフアックスが送られてきました。

以下に、
二通の文書をフアックスされたかたへ、
そして、多くの幼年・少年部の保護者の皆様、
又、全国の極真カラテを学ぶ少年部道場生の保護者の皆さんへ、
私のメッセージを送ります。

二通のその文書は、そのまま、皆様方にご紹介しても宜しいかと思いました。

多くの皆様方にご判断を仰いでよい代物でもありました。

お名前が明記されていなかったこと。
又、内容に支部への誹謗中傷がはっきりと書いてあったこと。
先生をはっきりと馬鹿呼ばわりされていたこと。
先生の実名を以って誹謗されていたこと。

これは、まさしく私が支部長として長年をかけて守り育てた道場への、心無い
誹謗の書であったということ。

昨今のパソコンなどIT関連の発達に伴って、機器を通じて名前を名乗るまでもなく勝手気ままに人の悪口、ありもしない噂話や陰口など、言って当たり前の感があります。
この方も、言って何が悪い∞言ってやったわ≠ニいう部類のいわば勘違いをされていると感じるものでありました。

余にも飛躍した陰口もあり、実名も書かれてあり、消し忘れの電話番号もプリントされており、探し出せばお名前さえもわかってしまうかもという配慮の元、公開は見送ります。

はっきり申しておきましょう。
この文書を読まれた貴女が、自ら奈良支部のみならずなぜか他にもその文書を送りますといわれたことによって、いや、実行されることによって、貴方を徹底的にお調べせねばならなくなるでしょうし、処分の対象になるということをお知らせしておきます。

はっきり申し上げ、送られてきた文書には、極真会館会員(の親)としてのプライドの微塵も感じられないとても寂しい文書であると感じました。

何度申せば理解が及びますか?!

直接私に言ってください!
面と向かってです。
何か言いたいこと、腹立たしいこと、聞きたいこと。
何時間でも聞きましょう。
たとえ、あなた自身の勘違いや、思い違いや、自分自身の思い込みであったとしても構いません。

我慢する心や、先生や親を敬う心を教わっている我が子どもを道場に預けながら、
親である貴女自身は、人の意見を聞くということ、話し合うということ以上に、【押忍】という字の持つ意味さえも理解に及んでいないと思います。

スポーツの大会において、何かについて抗議するという場面は、野球でもサッカーでもバスケットでも目にすることがあるでしょう。
それは、規則に則った競技上での正々堂々の抗議であって、名前も住所も明かさない陰湿ないやがらせとも受け取れる文書を送ることとは、大きくかけ離れています。
脅しめいたことをすることで、あなたご自身が大変なことになるということをわかっていらっしゃらないということも、理解されていないようです。
又、そういう卑怯な文書で支部に対して揺さぶりをかけるようなことをした親を、貴女のお子さんが喜ぶとは思えません。
一生懸命頑張ったお子さんは、いったい何の為に試合場に上がっていたのか。
勝つことのみが大事でなく、負けることで学ぶものが多いということは、試合があるごとに私が大会での挨拶の中で、又稽古中にいっていること。

自己満足のみで、狭い世界に貴女のみならずお子様本人も、置き去りになるのではと思います。
いいたいことがあるなら、正々堂々と私の目を見て話してください。

もう入会時にお渡しした案内の書は捨てられましたか?

極真会館奈良支部秦道場には、名誉や秩序というものがれっきとしてあるという項目を読まれてはどうでしょうか。

そして13条に目を留めてください。

ジャッジが気に入らないなら、お子様に試合はもう出ないでおこうとおっしゃいますか?
貴女があの文書のように誹謗された支部ならば、もう退会されてはいかがでしょうか。
そのほうが、貴女の精神状況に宜しいかと存じます。

最後に、
キッズの大会で反省の材料として残した事柄は、決してトーナメントのことでもなく、ジャッジのことでもなく、試合運びの問題点、会場に散乱していたゴミの数々、あれだけ公共交通機関でと申していたにもかかわらず停めてはいけない場所に停車された数台の車の件などなど・・・そのようなことです。


ともあれ、一生懸命に闘った君たちに、なんの責もなく、
君たちが流した涙を忘れないでほしい!!

もう・・・空手いらん・・・・・の弱虫じゃだめだ!!

こんどこそ!勝ってやる!・・・の強い人間になれ!!

そこから、君たちの性根の座った大人への道が始まる!!!

2007年7月11日
師範   秦
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2007年5月15日
師範 秦
2007.5/3(木)〜5(土)

【 ゴールデンウイーク・ツーリング 】
  
 よいとこせ どっこいせと そばをうち 
兵庫県豊岡市竹野町のそば処に『床瀬そば』を食べに行くぞーーーとの隊長の掛け声に、
隼隊、今回は日本海の竹野近くに美味いと評判のそばを食べに行きました。

今回初めての参加は、大阪東支部の高尾支部長。免許取得前ということで隊長とタンデムでの走行となりました。

清らかな水と、地山で取れる自然薯がつなぎに使われた床瀬のそば。
挽きたて、打ちたて、茹がきたてのそばには、朝取りの旬の山菜と、鮮やかな野趣に満ちたヤマメの塩焼き、松葉肉(鶏一羽から一個しかとれない肉)、落花生豆腐、手作りコンニャクや新鮮な肉厚焼きしいたけもついて、1.155円!美味い!!

しかし・・待った〜〃待った〜〃待ち時間長し。。。。
評判が評判を呼び、大勢の人たちに混じって待つこと一時間。
隼隊全員の腹の虫が喧しく鳴きました。

そんなこんなで、本当は行きたかった宮本武蔵ゆかりの圓光手へは閉館の時間となり、
ゆっくりと寺社内を閲覧することが叶わず。

龍野は、若き宮本武蔵を剣豪へと育てた舞台(いわば修練の地)であるということは、かなり有名です。

姫路に戻り宿泊。次の日も、山本隊長に続き出発。
夕食には隊長企画の食事会にて、全員たらふくご馳走になり、感謝〃感謝〃の二日間でありました。

今回はこぢんまりとした移動ではありましたが、五月の風と空気をいっぱい吸って、大いに伸び伸びと過ごした二日間。
ユニフオームはいつも通り迷彩で!!

写真をどうぞご覧あれ!!
2007年5月15日
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2007年3月3日
師範 秦
【 今年も桜の季節がやってきた 】
早いものでもう3月弥生。春の気配を感じる季節となりました。受験生のみんなには緊迫した日々が続いていることと思う。
チラホラと嬉しい知らせも入っていて、今週末には私のところに、Y君も受験の結果の報告にやってくるとかで、嬉しい知らせであるようにと祈るような気持ちでいる。

月が明ければ桜花咲く4月。揃って新しい出発だ!!
道場で週に何回か稽古をつけている子供達も、小学校高学年か中学生入学前くらいになると、男の子は肩幅や顔の輪郭が男らしく張ってきていることに気付く。女の子は、女の子というよりも女性らしくなっていて、眉の形がきれいに整えられていて雰囲気がすっかり変わっていて驚くこともある。
いつも気をつけて見ている訳ではないので、ふとそう気付いたとき、みんな日々急速に成長しているんだなあと嬉しくなり、感動し、こんな私もしみじみしてしまう。

うきうきする季節なのに、一昨日から事務所の雰囲気が暗く重たい。
月曜日に道場前の道路でひき逃げ事故があり、22歳の女子大生が亡くなった。
月曜日に、桜井で稽古を終えた頃職員から電話があって、道場前で事故があり、パトカーやら救急車が来ていてもう二時間たっているとの事だった。
翌々日、朝日新聞の朝刊で、それがひき逃げで若者が亡くなったことを知る。

同じ月曜日の朝、事務所に橿原警察から刑事がやってきて、道場の斜め前の道路で先週の金曜日夜八時半頃に痴漢(暴漢)がでて、女性が口を塞がれて倒されるような事件があったらしい。

事務所のものは、痴漢のことだけでも不安感が募って落ち着かないところに、道場の直前で人がひき逃げされたことを知って、皆かなり悲しみに沈んでいる。職員が揃って現場に花を手向け、お線香をたて手をあわせたという。
和やかに家族が夕餉に集う家があると同時刻に、22歳の娘を亡くしたご家族が悲しみにうちひしがれている現実。
なんともいたたまれない気持ちである。

ありがたいことに飲酒運転の取締りが厳しくなって、飲酒運転による事故が激減したと聞く。だが!壊滅はありえないだろう。
いまだ平気で酒酔い運転でうろつく輩がいるので、車による死亡事故の60パーセントは相変わらず酒酔い運転によるものとなる。

事故のあった道場前の道路上に、稽古の日には何台もの車が迎えの為に縦列に並ぶ。向こうの歩道に渡ろうと子供が走りだしたそのとき、同じ車線の後方から走ってきた車がクラクションを鳴らす現場を何度か見ている。車が何台も止まっていて先が見えないため、仕方なく中央線を越えていこうとするそのときに子供が飛び出す。
事務所から何度か警告の文書を出し、駐車をしないで下さいと声をかけてまわっているので、頭に入れている常識的な保護者の皆さんは多い。
縦列に駐車して平気な保護者のかたは顔ぶれが決まっている。
『そんなところに止めたらダメですよ!!』と私も窓から乗り出して注意をする。道場前に車を止めない!!というのは、みなさんの可愛い子供達の命を守りたいからであって、『この場所に止めないで下さいね!』という忠告に対し、『うっざいよーーっ』といわんばかりに、返事もせずに車を発進させる保護者のあなた!あなた!そうですあなた方です!

いつあなた方が被害者家族に・・又、加害者家族になるかもしれない現状を、とくとお考え頂きたい。

常識を逸脱した危なっかしい生き方をしていれば、きっといつか子供達の健全な成長の妨げになると、私は確言いたします。
2007年3月3日
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2007年2月07日
師範 秦
【鍵田忠兵衛衆議院議員 新春の集い】

2007.2.4 日曜日  会場:ホテル日航奈良

奈良支部の相談役として、常々お世話になっております衆議院議員鍵田忠兵衛氏の新春の集いが、
奈良市のホテル日航奈良にて盛大に行われ、職員二名と共に参加してまいりました。

この日は、滋賀での大会開催の為、朝早くに奈良を発って一路滋賀に向かい、
滋賀の河西師範にお許しを願って午後より奈良に戻るという強行軍でありました。

ホテル内のパーティー会場となった飛天の間いっぱいに、大勢の後援関係者が集まりました。
当日は、麻生太郎外務大臣も来賓としてご登壇になり、私も初めて真近にお顔を拝見しました。
大臣のご挨拶のあと、
直筆の色紙が抽選で会場の3名の方にプレゼントされましたあと、
北九州市への公用の為、途中で席を立たれました。

春に行われる知事選、統一地方選挙を踏まえて知事選立候補候補のご紹介や、
県議会、市議会の先生方のご紹介などもありました。

その後は、中央にずらっと並べられた料理をいただき、
又、各界よりご出席の方々と歓談し、又名刺交換をさせていただいたような次第です。

抽選でいただける品物の中には、安倍総理大臣の色紙や、武士道と認められた鍵田代議士の書の額縁などもあって、
期待が膨らみましたが、残念ながら当選ならず・・

ふるさと奈良を愛して止まない鍵田代議士。

『本日皆様方より賜りました激励のお言葉を糧に、心を傾注し、
日本の国とふるさと奈良のために取り組んで参る所存でございます。』とお礼を述べられ、会は盛会の内にお開きとなりました。

散会と同時刻、琵琶湖杯で27人の奈良支部の選手が入賞したとの嬉しい知らせが舞い込みました。
琵琶湖杯のレポートと画像は追ってご紹介いたしましょう。

安倍総理直筆の色紙-1-

安倍総理直筆の色紙-2-

鍵田代議士直筆の書(額)

鍵田代議士夫人とお嬢ちゃま

2007年2月7日
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2007年2月05日
師範 秦
【立春*節分がやってきた】
1月が瞬く間に過ぎて、立春がやってきました。
旧暦によると立春の2月4日こそが一年の始まり。立春の前日は節分。
年の変わり目には何かと邪気を呼び込みやすいということで、節分には日本各地で豆まきやその他の行事が行われるのが慣わしとなっていますね。
邪気とは・・・災害や病や飢饉等々。そういった人間にとって恐ろしいものは全て鬼の仕業と考えられたらしいです。豆には邪気を祓う霊力があると言い伝えられているため、豆を用いて邪気払いをするようになったそうです。

今年の節分は土曜日に当たり、橿原南和本部道場で幼年・少年二部クラスの指導があるため、土曜日はみんなで豆まきの行事をやることにしました。

はて・・さて・・鬼は来るのかな?!
道場に出る鬼は、泣き虫、怒り虫、ぐずり虫、怠け虫が大―い好き!らしい。
みんなまとめて食べちゃうぞーーーーーーーっ〃

て、ことでどうなりますかな。


幼年部の稽古が終る30分くらい前には行事が始まるので、幼年、少年部のみんなは南和道場の稽古に是非参加して下さい!!

節分の豆まき 3:45〜4:15

ちなみに豆まきは『福は内 鬼は外』が一般的ですが、各地でさまざまな言い方があるようですね。面白いので少し調べてみました。


元興寺(奈良市)福は内 鬼は内
寺には元興神(がごぜ)という鬼が
いるらしく、悪者を退治するという
言い伝えがあり、鬼も大事にされます。  
護摩供養や火渡りの行事も有名です。   
※ 火渡りは小さな子供もやります。
よく深いと熱いらしい((+_+))です。
 



金峯山寺(吉野町)福は内 鬼も内
全国から追われた鬼を迎え入れて、
仏教の力で改心させると言われています。









赤鬼スタンバイ


鬼が下りて来たあ〜っ


うおーー*ル想中の道場に赤鬼乱入!!


お母さんのいうこと聞かない子だな?!『ちがうよーー』


なまけ虫じゃないかあ〜っ!


嘘つきはドーン≠ニこの棒で叩くぞ〜っ!


泣き虫はいないかあ〜っ!


あいりなきむしちゃう!

幼年部と少年一部の稽古が終了し、一階の道場にみんな集められて黙想ーーーっ
と!そのとき!!どすんどすんと階段を誰かが下りてくる音が!!

うおーーーーーーっ〃〃〃』雄たけびをあげて赤鬼参上!!!

少年一部、二部の子供たちは節分の豆まきがあることを知って、楽しみに稽古に来ているものの、
幼年部の子供達は前もって知らされていないため、何が起こったのか呆然。。。。
泣き虫はいないかあ〜っ!』という鬼の問いかけに慌てて首を横に振ったり、
襲いかかろうとする鬼を誠いっぱい両手で制止しようとしたり、
お兄ちゃんの腕にしがみついたりと、3歳から5歳までの子供たちは本当に鬼がやってきたとおっかなびっくり

ダンボールにいっぱい入った、
 
煎り豆・殻つきピーナッツ・チョコ・甘納豆のふくろ・キャンデイなどを両手に持って、

『おにはーーーーそと!』『おにはーーーーそと!』

鬼さんに思いっきり〃投げる〃投げる〃(おーーーーーい だれや? 思いっきりぶつけとるやん!そこの六年生!)
だんだんと鬼さんの元気が無くなって来たとき、三浦先生が言いました。
『みんなぁ!もう鬼さんを許してあげよか?!』

そして、鬼さんを囲んで記念写真を撮りました。
散らばったお豆やお菓子は、袋をもらっておみやげにいただきました。

三歳のゆきねちゃんは、お母さんが迎えにくるまで泣き止みませんでした(*^。^*)。

三階に退散した赤鬼さん。なぜか激しく疲れた様子でタオルで額の汗をぬぐっていました(ToT)。。。。。

そして、ぽつんと一言。
  『福はーーー内≠ェ聴こえなかったなあ・・・・・今年はだいじょうぶかな・・・』と。


鬼はーー外!!


『こんにゃろーーーっ!


ムムム・・・こりゃいかん。。。


勘弁してくれ〜


もう悪いことはしません。。許してください・・


ゆきね鬼さんキライ・・・


こわいよぉ〜


おにさんいっちゃったよ(^^)


さあて〃大人しく山に帰るか・・


全〜部ひろってもってかえりなさーい


2007年2月5日
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2007年1月19日
師範 秦
【大阪南支部 分支部長の小林 悟 君よりの年賀状】
この年賀状に込められた小林君の想いが自分の想いと通じることに、先ずは安堵しました。
空手の指導者たるものの目がこうでなくてはならない!ということと、
危機感を持たねば前に進める事が出来ない!ということにあらためて気持ちを強くしました。

今の世が世だから仕方ない・・
今の若いものは聞く耳を持たないから言ってもねえ・・
ちょっと探せばバイト先なんて一杯あるんだし辞めちゃえ・・
空手を習ってもすぐには強くなりそうも無いし、基本ばっかじゃつまらん・・
体は痛いし、きょうは寒いしな(暑いしな)・・
今月はちょっと家計が苦しいし、空手の会費は払わないでおこう・・
未納の会費が溜まってしまったけど、ま、いいか電話に出ないで知らん振りしとこう・・
お母さん〃今日お腹痛いから休む〜(今度は行くんやで〜)
キョクシンの黒帯取れたし、今度は野球(サッカー&柔道&バスケ&etc)やってみよ〜っと・・
お母さ〜ん〃もう空手やめた〜い(もうしゃあないなぁ)
あの先生怖い言うて行きたくないて言うんです・・
友達と遊ぶことも大事ですから、今日は約束があるらしいので休ませます・・
お風呂で見たら、子供のお尻にあざが出来てるんで、もうちょっと優しく叩いてくれますか・・
車道路に止めて何であかんのですか?寒い(暑い)し、迎えに来た時だけやのに・・


どうでしょうか?
皆さんのご家庭ではなかったでしょうか?
こんなことはほんの一部で、現実には無限大に例があります。

多くの方の心のうちに、
『 ま、いいっか 』『 なにも悪いことしてないし 』で済まされていること、ないですか?
上の項目全てが、結果から想像できうることと、現実にあったことばかりです。

上記に当てはまる人たちは、問題点に気付かないために、指摘されたり注意を受けても、
頭の中を素通りしてしまって無反応な事が多いです。

逆に『何をこの人は怒っているんや』『へっ!それが何で悪いの?』『だってお金ないねんもーん』『俺の勝手だろ』
といった開き直りとも取れる答えが返ってきたり、ふくれっつらをされたりということもあります。


もう呆れてしまって手の施しようがないというのが正直な気持ちですが、
商業ベースのみで空手道場の経営というものを考えるならば、ぐっと我慢をして見て見ぬふりを決めるだけで良いわけですが、
我々指導者は、『辞めたるわい!!』と言われようが、『うっざいよー』罵られようが言い続けなければなりません。

なぜならば、それが武道を極める我々修行者の使命であり、又生き甲斐でもあるからです。

小林君、素晴らしい年賀状をありがとう!!

お互い、修行する身として心を一つにして!!限りなく続く極真空手道を真っ直ぐに見詰めながら進んでゆこう!
2007年1月19日
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2007年1月15日
師範 秦
【春〜よ来い♪福〜よ来い♪早〜く来い♪】
西宮えびすに行ってきました(^◇^)(~o~)(^ム^)(^_^)(^J^)(^<^)-☆


新年の稽古が始まって3日目の11日木曜日の午後7時頃。。。
橿原南和本部道場に、三重支部の梶原支部長のお姿が!
んんん・・なんと!帽子&シャツ&ズボン&上着に至るまで全て迷彩一色の戦闘服姿で!!
・・・闇に紛れて怪しげーーっ・・・・・

秦師範は一般&少年二部の稽古中。指導が終るのを暫しお待ちいただいて、
その後、兵庫県の西宮えびす神社に向われました。
もちろん!秦師範もオール迷彩服で?!ーー何故戦闘服なのかは今もって不明ーー

待ち合わせて山本隊長以下7名が集合。
師範4名が『約束したのになあ〜』と少々肩を落とされたのは、山本隊長と西指導員が普通(?)服であったこと。

九日   宵えびす
十日   本えびす
十一日 残り福

残り福を求めて参拝。今回は、奈良支部の西指導員と奈良支部北和本部所属の赤坂政泰さんも参加しました。
赤坂さんは、今春JR奈良駅前に動物病院を開院の予定というとても大事な年。
商売繁盛を願って、西先生と共に駆けつけました。

テレビでもニュースになりますが、開門神事の福男選びは有名で、
開門と同時に、境内の参道200メートルを本殿めがけて男たちが疾走する神事。
今年も一番福、二番福、三番福の若者のが誇らしげに画面に映っていましたね。

  



商売繁盛と家内安全の祈りを込めて・・皆さん〃仲良く〃本当は何をお願いされたのでしょうか???


2007年1月15日
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2007年1月15日
師範 秦
【年頭にあたって】
2007年は猪突猛進の年。
松の内も明けて2007年が本格的に始動いたしました。
皆様方には、ご家族揃って元気に新しい年をスタートされたことと思います。
さて、
年頭にあたり、様々な想いが私の頭の中をかけめぐりましたが、そんな中で、
『お正月』がもつ特別な意味合い、『お正月』への思い入れなどについてお話させていただきます。


毎年、年末までにしなければならないことの中に、大掃除というものがあって、
それは子供の頃から家庭の中での一大イベントであった。

私の母親は前にも何かの時に書いたように、休んでいるという姿を見た事が無い。
いや、小さい頃はそんなことに関心がいくはずも無いので、覚えていないのかもしれないが、
本当にごろりと横になっている姿を見た事が無い。
記憶にある母の姿は、いつも家庭にあって何かをしている姿である。

ご飯を作っている。庭にうずくまって花を植えている。台所で糠で漬物を漬けている。
割烹着で頭に日本手ぬぐいを巻いて、箒で家の中を掃除している。又雑巾掛けをする姿もはっきりと覚えている。

常時家の中を片付けて掃除をしているので、年末だからと畳を反してまでも大掃除をする必要があったのかと・・今にして思う。
が・・大掃除は日本人が新しい年を迎えるための欠かしてはいけない大事な家庭での決め事であった。
年末には、いつもは余りしない電球の傘なども外して奇麗にしたり、
比較的温かい日を狙って障子を外して新しい障子紙に張り替えたり、畳を外してパンパンと一年の埃を払うというようなことは、
確かに年末の間だけに行われることであったと思う。
男三人兄弟で、障子を貼ってもすぐに破ってしまって・・というような事情もあったので、
年末までは仕方なく破れ障子のままにしていたのかもしれない。

昨今では、何処の家も畳が敷かれた部屋は一部屋あるかないかで、フローリングが美しく貼られていて、畳を何枚も外す必要もなくなったことは事実である。
もちろん障子紙がピンと貼られた真っ白な障子も姿を消しつつあり、障子紙は丈夫な素材になって、
兄弟喧嘩をして手を突っ込めなくなったので叱られることも無くなった。

そういえば町の中から、疂屋さんが無くなったのはいつの頃からだろうか。
針でクイクイと力強く畳を仕上げてゆく畳職人のおじさんが、何処の町にも居たのになあ。

とにかく、年末はどこの家でもお隣に遅れを取らないようにと競い合って大掃除をしたものである。
そして何処の家でも27〜28日位には、親戚中が集まって餅つきのぺったん〃ぺったん〃≠ニいう音が土間から聞こえてきた。
そんな正月が懐かしい。

12月半ばになると、「何かしなくちゃいかん」という気ぜわしい思いが心のうちにあって、「掃除〃掃除〃」と各道場を回って口うるさく指導員に通達して回る。
主要道場にはエアコンが設置してあるので、大型の空調だと外すだけでも大層であるからして業者さんに委託する。
当然ながら大金がかかってしまう。今年は夏の半ばにやってもらったということで、年末は手を抜いた。
その代わり、どの道場もみんなが頑張ってくれたおかげで、床も外壁も階段もぴかぴかになった。
みんな年末の忙しい時期に、遅くまでありがとう!

大掃除をしている様子を、町の中を車で走っていても見かける事が無くなった。

面々と続けられてきた家庭や地域社会での暮らし方が、私たち日本人を日本人らしく育てていたと思う。
もうそんな行事ごとを伝える人も少なくなって、機械でお餅つきというご家庭も多いことだろう。
田舎に帰って臼と杵で昔ながらの餅つきに参加できる人たちは、本当に幸せだと思う。

餅が美味いだけじゃない。湯気の上がった蒸篭から熱々に蒸されたもち米がどっと臼の中に落とされて、
みんなの掛け声が響く。温かい湯気と笑い声が一杯の田舎の家族の年末行事。それが心を温かくする。

何年か前には、道場でも臼と杵で餅をついた。いつか又復活させて皆で正月を迎えたいというのが私のささやかな夢でもある。

懐かしいことばかりを口に出すようになって、師範も歳だなあ・・といわないで頂きたい。
心の中に一抹の不安が沸き出るために、私の頭に次々と情緒と品性の整った昔々の日本の情景が浮かんでくるのだ。

年末にある少年部の保護者の方が、家のポストに入っていたというチラシをもって稽古の折に私を尋ねて来られた。
見覚えのある人たちの集合写真が入った小さなチラシが、私に以前起きた道場でのある出来事を思い起こさせた。
あの日、『師範の首をいただきます!』と魂の抜けた瞳を点にして、本部道場の入口に立っていた数名の人たちが揃ってにこやかに笑って写っていた。それは聞いた事の無い空手団体の勧誘チラシであったが、なぜかふっ・・∴」れみとも付かぬ可笑しみがこみ上げてきたのが正直な気持ちであった。

不思議なことに、一陣の風に吹き寄せられるかのように私の元へ、同様の便りが時折届く。
うすっぺらな織り込みチラシの微塵になった端くれが、風に吹き飛ばされて窓から舞い込むように・・

そんな時いつも父の言葉を思い起こす。

『人に裏切られても、恩人を裏切るような人間にだけにはなるなよ!』と。

例えば、苦労してやっと開いた第一回の奈良県大会。
晴れがましいその席でふと父親の立つ場所に目をやると、関係者の一人一人に深々と頭を下げて回っている。
あとで聞いた話だが、初対面の後援者の女性に『ありがとうございます!これからもどうぞ息子を支えてやって下さい。どうぞ宜しくお願い致します!』と両手で女性の手を取り頭を低く下げられましたと聞いた。

今は亡き父のその姿が頭から消えない。

そして、父の姿に重ね合わせるようにもう一つ忘れられない情景がある。
大山総裁に『秦君!君ィ奈良で支部長をやりなさい。がんばりなさいよ』といって、手に握らせてくださった5万円の金封の重みと恩を忘れることも無い。

日本人の気持ちが、深い情感や、理性や、感性や、倫理観で支えられていた時代。
日本人には心があった。凛とした精神性に裏打ちされた魂があった。
あの頃はよかった〃ではいけない!あの頃の心や情緒や日本人としての品性を取り戻さねば、子供達の未来は灰色だ!!

藤原正彦氏の【国家の品格】がベストセラーを続けているらしい。
独創性だ!創造性だ!と気勢を上げる前に日本よ、日本の国民よ、国家の品格を取り戻さねばなるまいぞ!
今、日本人に忘れ去られた武士道精神を叩き込まねばなるまい!卑怯なことはするな!惻隠の情を持て!
恥の概念を想い起こせよ!と、氏は語る。腹にドスンと丸太棒が打ち付けられたかのように気持ちが高揚し、
長い夢からはっと覚めたような心地の・・・・・・・・・・・

2007年正月。

去来する様々な思いが、覚醒したままの初夢となって私の頭の中をくるくると駆け巡っております。

年頭より心のうちに戦闘態勢を維持し、
燃える思いを空手道一筋にぶつけて、
今年も〃秦貴典48歳〃猪突猛進して参ります。



今年もよろしくお付き合いの程、お願い申し上げます。押忍!!

2007年1月15日
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2006年11月15日
師範 秦
【オーラに色があるらしい・・】
どうしても買いたい本があって指導後に本屋に行った。
ちょっとしたブームなのか本屋の入口に江原啓之さんの本がたくさん並んでいることに驚く。

私はテレビを本気で観ない。たいがいの番組は流して見るので大事な事が抜けていたりして、
『これだけ世間を騒がせているのに、知らないんですか?!』と人に言われることもある。

なのにさほどたいしたことでもないにのに、妙にひっかかっる時もあって、それがいつまでも頭に残って消えないこともある。

この間、初めて《オーラの泉》というものを観た。
この日は若い男の俳優が緊張して椅子に座っていた。
やたら饒舌で喋りながらにこにこと笑っている。江原さんの横には不思議の国からでてきたような貴婦人が、
椅子に斜めにもたれかかった様子で微笑んでいる。三輪明宏さんその人である。・・私たちの頃は丸山明宏であった。・・

江原さんはころころと太っておられる。そして黒く光った艶の良いまん丸な顔で時々目を瞑ってその話をきいている。

笑われるかもしれないが、江原さんが太っておられること気がいって、
印税がばくばく振り込まれてくるのでキャビヤだとかフオアグラだとか霜降りステーキだとかをたくさんたべておられるから・・
と頭の中を卑しい妄想が駆け巡り、しっかりと聞いていられない。

この男優のオーラの色は紫らしい。三輪さんにも分かるのか、江原さんをひたすら容認したように微笑んでおられる。
驚いたことに!江原さんが三輪さんの耳に突然ひそひそ話を始めた!心配そうな男優。

それが台本なのかそれともアドリブなのか、摩訶不思議ないかがわしい・・番組であった。
この番組は一体誰の為に全国放送されているのか。

いかがわしいなどと、失礼をお許し下さい。正直な初めての印象ですから。

ゲストが江原さんの言葉に一喜一憂するのを見る事なのか。
又、自分の色は何かとわくわくしながら見ることなのか。この番組を観て本屋に駆け込む・・云わば本宣なのか。
疑問は結構後々まで残った。

ただそれだけのことです。

PS:この日私が買い求めたのは、スピリチユアル本ではなくて、藤原正彦氏の《国家の品格》。
2006年11月15日
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2006年11月15日
師範 秦
【子供にニュース番組は見せないで下さい!】
悪魔のようなばかな親が非人間的なことをしでかす事件が、映像と共に垂れ流しになっている。
朝から昼から夕方から夜まで。
だから、子供達に垂れ流しされるニュース番組は見せないでおこう。

心が痛いから。胃袋に穴が空きそうだ。

心の荒む事件ばかりを追わずに、たまには小さなホットニュースや感動を詰め込んだ番組を作ってくれないかなあ・・。

今日のお昼に、『ゴマ油を味噌に混ぜ込んだかやくご飯が体にいい』ということを真剣にやっていたみのさん!

テロがあったあの日も・・秋篠家に男子誕生のあの日も・・一言もそれに触れなかった、ある意味あっぱれで、
ひたすら軽いノリのお笑い番組をロングランさせているタモリさん!

あなた方に私は表彰状を贈りたい!

この二つのテレビ番組が、100%安全で娯楽に徹していることになぜかほっとするんだよ。

違いますか?皆さん!!
2006年11月15日
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2006年11月06日
師範 秦
2006.11.3(金;文化の日)

【第3回ツーリング】


〜〜〜〜We became a bird on this day and flew in sky〜〜〜〜

目的地:兵庫県丹波市青垣町 スカイスポーツタウンAOGAKI


世間は三連休の初めの3日金曜日、朝早くに身支度をして一路姫路へ。
今回の参加者は、山本隊長と保田中央支部長と私の3名。保田支部長といつもの府立体育館前で落ち合ってGO!GO!GO!!
翌土曜日は、午前から指導があるため日帰りのツーリングとなりました。
青垣町は兵庫県の中央・京都市に隣接しており大阪・神戸・姫路から車で1時間30分で、青垣町の澄んだ空気と大いなる自然、歴史に触れる事が出来ます。

保田支部長の提案での今回のツーリング。『師範!久し振りに鳥になりませんか?』と誘ってくれて、ワクワクどきどきのフライヤー(パラセーリングで飛ぶ人のことを昨今はそう言うらしいです)体験!!

空挺部隊時代の落下傘降下の経験は、それが仕事であり修行であった訳ですので、
もちろん楽しむ余裕などなく命をかけた実践の日々でありました。

如何に低空飛行のレジャーであれ、基本や注意事項はキチンと守って、指導者の言うことに忠実に従うことは全くもって大事なことであるという気持ちで
 飛んだ ァ ァ ァ 〜 〜 〜 

今回のセーリングは又とない天候に恵まれ、又、校長の加藤さんとタンデムで準備万端。
ワクワクしながらの空中散歩となったのです。
校長から、『体験フライは、初めてにしては素晴らしい!』とお褒め頂きました。
加藤校長は、トライアルの全日本チャンピオン。息子の豪君は全日本パラセーリングのチャンピオンというサラブレッド!
世界を飛び回っているとの事。

保田支部長は、以前に経験があって、豪君と二回目のタンデム飛行でしたが、十分に楽しんだ様子が写真でも伝わってきます。
体験フライトでは・・??・・・

???隊長の姿が無い!そうなんです!隊長、深海に潜るハードな仕事の裏返しか、空を飛ぶのは好きではない!とのこと。
むむ・・隊長の弱点見つけたり。メモ×○▲メモ×○▲

しかし!たまたま隊長と校長は昔からのバイク仲間という事でビックリ!久しぶりに友好を暖めあった二人。
・・・皆何かの糸で結ばれていたのか、縁は異なもの味なもの。大事にしなきゃなあ・・とつくづくと思った次第・・・

初級者、中級者、上級者とレベルにあわせたフライトゾーンがあり、決して最初から無理をしないこと。
各々のルートにはいずれも素晴らしい大自然が広がっており、一日体験コースも設置されていてレベルにあわせたトレーニングが出来るので、もちろん初心者もOKなのです。

文末にサイトのアドレスをご紹介しておきますので、興味のある方はアクセスして下さい。

昼ごはん、西脇市にある蕎麦屋で、夢中になって楽しんだため空っぽになった胃袋に、蕎麦大盛と焼肉定食と牛丼を放り込む。
これ一人の注文也り(@_@;)

そして、帰りがけ、今回参加出来なかった三重の梶原支部長にも日帰りツーリングの報告。
ドタキャンの詫びは次回でっかく&ヤしてもらう約束を・・・すればよかったな。。。

今宵はもう一回空を飛ぶ夢を見よう!!と思ったのに・・目から足の先までの体中がバンバンに疲れていたためか、
あっというまに眠りの世界に沈み込み、もう空は飛べませんでした。

山本隊長曰く・・

『秦さんは、これで陸・海・空を制しましたね〃あと残すところは宙ですね〃』

――――――――――――


■観光の窓口■
青垣町観光協会 TEL/0795−87−2222
〒669−3803兵庫県丹波市青垣町西芦田541−1 道の駅あおがき内
URL http://www5.nkansai.ne.jp/org/aogakityou/ 

■ロールアウト
TEL/0795−87−1825
〒669−3831兵庫県丹波市青垣町佐治23−1
E-mailでのお問合せ  info@rollout.jp
校長 加藤さんのH.P http://www.k-kato.com の「飛ぶ」からアクセスして下さい。


2006年11月06日
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2006年10月27日
師範 秦
【神田さんの結婚式に招かれました】



幸せの♪シャンパンタワー♪


平成18年10月21日 土曜日 

素晴らしい秋晴れのこの日、奈良市高畑にある《奈良ホテル》にて、
株式会社神田大薬局社長の神田和正氏と新婦嘉代さんの結婚式が行われました。

僭越ながら私も友人の一人としてご披露の宴にお招きに預かり、喜んで出席させていただくことになりました。

媒酌人には、個人的にも親しく、又我が支部の相談役として常々お世話になっている衆議院議員の鍵田忠兵衛代議士ご夫妻がお付きになって、華やかに祝宴が執り行われました。

神田氏とは鍵田代議士を通じてお知り合いにならせていただいた経路があって、
1997年の第2回大仏杯よりご後援いただいている大事な後援者のお一人であります。

ご友人も多く、そんな中で何度か食事などもご一緒する機会もあって、
大会社の社長らしからぬ気さくで柔らかなお人柄を尊敬しておりました。

数え切れぬ関係者とご友人がおられる中、私如きに招待状をいただき感激した次第です。

最高に幸せそうなお二人を前にし、又、ご家族やご友人の暖かでアットホームな盛り上がりの披露宴の間中、
こちらまで終始頬が緩みっぱなしの私でした。

又鍵田代議士とは7月の大仏杯に御来場いただいてより3ヶ月振りの顔合わせでありましたが、
久々にお会いできた鍵田代議士夫人の美智子さんとも披露宴の合間にお話させていただき、本当に喜ばしい!又嬉しい!お祝いの宴でありました。

☆♪☆♪☆本当におめでとうございました!!☆♪☆♪☆

幸せ満艦飾のお二人に、是非皆さんも幸せのおすそ分けをいただいて下さい!

2006年10月27日
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2006年10月20日
師範 秦
【昨日*今日*明日】

第一話《 竜馬の話 》

美味しい蕎麦屋を見つけた!蕎麦屋(亭主)と打ち解けた!
趣味が同じという事が分かって客(私)と店主の関係が急速に近いものになった。

店の名前を《竜馬》という。

信州の新蕎麦粉で打っている。店の奥に少々のカウンター席があって、その目の前に蕎麦打ちの小部屋がある。温度や湿度など環境が大事なのか頗る清潔で、明るく、エアコンも一台設置して、厨房との間はきちんとドアで仕切られて、美味しい蕎麦がこの小部屋で誕生する。壁には何本ものう打ち棒がかかっていて、亭主はそれを下から順に使って手際よく、力強く蕎麦を打つ。

硬すぎず、柔らかすぎず、色目よく、香りよく、絶妙な味わいで盛蕎麦二枚は一気にすすっと食べる事が出来る。
添えられた生わさびが、これ又うなるほど美味い。
日本人は蕎麦が好き!男も女も蕎麦が好き!
蕎麦は亭主の心意気でいただく。

住所や電話番号はあえて申し上げませんが、是非皆さんも、みつけてご賞味下さい!!

蕎麦打ち部屋
カウンター席から玄関を望む
てんぷらと盛蕎麦
生わさび
焼酎竜馬
竜馬のご主人:Mituruさん

追伸:
この間、お店に、現内閣総理大臣補佐官の小池百合子氏が、SPの方二人をお連れになり来店され、
満席だった為玄関口でかなりお待ちになり蕎麦を食されたとか。
亭主、この日は事の外忙しかったためご挨拶も出来ず、後でバイトさんに聞いてビックリ・・。
もちろん!『美味しかったです!』のお褒めの言葉を頂いたらしい。




第二話《 いじめの話 》

福岡で教師の生徒へのいじめが原因(因果関係と詳細を調査中)で、中学生男子が自宅で自殺したとのニュース。

お葬式の現場で、たくさんの報道陣がご両親に向けて、又学校の関係者に向けてマイクを差し出す。
全校集会での校長の声が、全国の視聴者に向け一斉にニュースで流されている。
校長の発言が一転二転するため、その都度、遺族の気持ちが踏みにじられ、心の傷口に塩を塗りこめられているような痛ましいことになっている。

世界中の出来事が、ダイレクトにテレビに流れる現代社会。まるで隣りの家の出来事のように、何十万世帯の視聴者にテレビの電波を通して、葬儀での凄まじい言葉のやり取りが流れている。
それだけ大きな問題となっているわけで、日本国中の教育関係者が人事ではないと震え上がっていなければならない。

私が親であったらどうだろうか。

取り乱して訳が分からなくなって、呆然とするだろう。
冷たい息子を抱いて信じられないと青ざめるだろう。
訳のわからない怒りに拳を握り締め、その後泣くだろう。
野獣の叫びのように号泣するだろう。
守ってやれなかった自分を責めるだろう。
皆帰ってくれと願うだろう。
家族だけにしてくれと叫ぶだろう。

どんな状況であれ、子を失う悲しみは深く心を抉る。

まずは無くなった男子生徒の死を悼み手を合わせ、深い悲しみに涙したい。
そうする事が、今、一番大事だと思う人はたくさんいただろう。

遺書があったことでいじめがあったことを知ることになった。死へと導いた原因は、行き場の無い悲しみに突き落とされたいじめによる自殺であったことは明白である。一日も早い原因の究明をと願う。

得てしてこの時期の子供の心は、ふとしたことがきっかけで沈んだり傷ついたりもする。

自身のことを思い出しても、死について考えだすのも思春期の特徴だと思う。
限りない妄想を抱き恐怖に眠れない夜を過ごすこともある。
人間が死ぬということは骨を残してあとの心は魂は何処へ行くのか・・と考えても考えても答えが見つからない。
傷つきやすく刹那的でデリケートな子ども達がいる中で、心の荒廃した人の心の痛みや善悪の区別の分からない子供がいる。
そんな悪魔に魅入られたかのような子供らが集団で陰湿ないじめを繰り返す。

昔、教職は聖職と言われていた時代があった。
先生(教師)になることは、警官になることやパイロットになることと同じくらい子供達の夢のトップに並ぶ職業であった。
親も子供がそういった職業に付くことを望み、万が一なってくれたら誇らしく思うというようなことであった。
先生は、子供達にとっては憧れの存在。そして、お父さんと同じくらい怖い存在であった。

今学校の教育現場が変わってきている。いや既に早くからひどくなっていると聞く。
現場を知らない私は現状を聞いて心底驚く。
中学校で、授業中に私語だけでなく、携帯をいじったりお菓子を食べたり、勝手に外に出かけたりするものがいるらしい。

それよりも、昔のように、いちいち立たせたり叱ったりしないということに正直驚く。
教師という職業が聖職と言われなくなった原因の一つはそこにあると思う。
昔、高校卒業後に大学に進学する者のパーセンテージがまだまだ低かった時代。
多くの生徒が高卒で就職する中で、勉強の出来る、お金持ちの、真面目で正義感に燃えた学生たちは、教師になるべく教育大などに入学した。もちろん他にも学部も多様にあってキャンバスは、社会に出る前の華やかな間口の広い若者の園であった。

 正義感に燃え、やる気満々の若者たちが教育者として育っていった。
そして、熱血教師として数々の教え子を送り出していった。決して金八先生のドラマの如く奇麗事を言っているのではない。

今、教職につきたいと語る若者の中に、古臭い熱血漢≠ニ称される体質の教師希望者がどれほどいるのか。
子供達の取巻く環境が多様化し、問題を抱える家庭で育った子供も数え切れない。
教育の現場が荒廃し、もはや憧れの職業でも無くなった感があるのは否めない事実であると思う。

そんな中、バブル世代に育った柔らかな心根のハングリー精神を置き去りにした先生の誕生もあるだろう。もちろん現場では寝食を惜しまず、子供達の為に頑張り続けている多くの先生たちがいることを忘れてはならない。

そんな中で、未だに教師という職業が聖職であるという認識は、必ず人々の心にあって、決して廃れていないことを、このような大きな事件がおきたときにかかわらず、教師が起こした事件が報道されるたび、まさかの教育者が犯罪を!と取りざたされる。教育者は、おおっぴらには酒を飲む店などにも行ってはいけない・・的な多くの人の心に根強くあるのが事実だ。

いじめの問題を摩り替えようというのではない。
今回の教師の生徒への接し方には大いに問題があり、それを見逃していた学校側の責任は重大である。
直接的な原因がこの教師にあると判明したならば、直接に手を下さずとも死に至らしめたという責任は重い。
だが、今日の教育現場の崩壊によって、多くの教職につく先生たちは日々莫大なストレスを抱えていることも事実であって、根こそぎの解明から手掛けないと、同じことの繰り返しが起きるだろう。
学校全体を包む規模から内部に向けて改革のメスを入れるべきである。

子供達は不甲斐無い大人を笑っている。そしてこう思っている。

『何を言ったって、警察が調べに来たっていじめはなくならないんだよ〜永遠にね。』

福岡の事件の現場となった中学では、ヌルヌルとした空気が蔓延していたようにも感じ取られる。
何も解決していない先から、校長の信じがたい言葉を子供達は聞いている。
『大丈夫だからね。うちはもう元に戻ったから。皆さん分かってるでしょう。マスコミが言ってるような学校じゃないって』。

実に情けない、このようなまやかしの学校運営をする校長は、断固責任を取るべきであり、現場の教育状況を詳細に把握し、教師のカウンセリング、教師自身の徹底した教育を同時に行っていかねばならないと思う。

先日、中学校の先生をしている道場の指導員と立ち話をした際に、彼がこんなことを話していた。

『私の勤める中学校も、総体的に生徒の学力の低下や素行の悪さなど目に余るものがあって、先生たちも日々頭を痛めています。多くの生徒を一括して道徳だとか精神的なものまでも教育してゆくには自ずと限界があって、一旦学校を出てしまえば野放し状態となってしまう。じゃあ何にこれからの世の中で期待を寄せてゆけばよいのか・・というと行き着くところ武道しかないんじゃあ無いでしょうか』

長きに亘り武道の世界に身をおく私自身も、常々武道を通じた人間教育というものをもう一度初めから取り組む必要性があると思っており、子供達の心の拠り所となるような,又精神の鍛錬の場として、多くの皆さんに活用していただきたい!
我々を大いに利用していただきたい!と殊更に思った次第である。

いじめが原因となっての死亡事故がおきると、しばらくは世間が騒がしい。

教育の現場がどうだ、教育委員会は何をしていた、教育者としてあるべき姿は!
国会でも何度も取りざたされて、地方の教育関係には厳しいご沙汰も出るだろう。
見ない振り、知らない振りして『我が教育の現場は改善の一途を辿っています』とうわべを繕う虚偽の報告を繰り返す。
だからこそ一向によくならない子供達の教育現場。繰り返しおとずれる悲しみのニュース。

いじめだけでなく、引きこもりや家庭内暴力も表面に現れていない事例がまだまだ山のようにあると思う。
恥ずかしいとか、格好悪いとか思わずに誰かに打ち明けて先ずは話すことから始めてみればどうだろうか。
我々空手の指導者も、出来る限りの手を差し伸べたいと思っている。
親も地域で手を取り合って情報の交換、対学校に対し意見を述べる保護者会を頻繁に、アンケートや掲示板の設置、家庭教育の勉強会など行っていかなければならないと思う。

さあ・・最後は・・茶の間で家族で顔をあわせる会を実施しよう!
お母さんとおじいちゃんもおばあちゃんも妹も弟も・・もちろんどんなに忙しくてもお父さんは議長で席に座って。
うるさくて静かにして下さいと近所から注意を受けるようなそんな家族会を明日から、どうぞ、実施して下さい。


悲しみと悔しさで一杯になり、行き場を失い天国に旅立った君に、心からの追悼の気持ちを表し、
ご遺族の皆様方に心からのお悔やみを申し上げます。





第三話 《秦貴典は、大いなる嫌煙家である》

何ヶ月か前に村上フアンドの村上さんが、株のインサイダー取引疑惑で逮捕されたニュースは既に皆さんご存知ですが、
彼のシンガポールへの移住申請の記事をある紙面で読んだときに、彼が嫌煙家であるらしきことにも触れていた。

彼に追随して移住を決意していない幹部は一部の愛煙家であるらしい。

もちろんそれだけが理由では無いにしても、そんな記事に興味を惹かれた。

以前にシンガポールを旅する機会があって、噂の通り美しい国であった。
季節を問わず町中は観光客で溢れかえっているので、人がごちゃごちゃと通りを行きかう。なのに!美しい!
通りも、観光地も、レストランもゴミ一つ落ちていない。ゴミくずを捨てるゴミ箱は当然ながら無い。
夜になってホテルの部屋のベランダから下を見下ろすと、どの建物も街の通りもまるで宝石箱のようにきらきらと輝き、天に向かって数え切れない数の高層ビルが乱立して建っている。

国の広さは琵琶湖と同じくらい。地震が無いため、ガラスに覆われた天をつくかのような高層ビルも建てる事が可能である。
アジア独特のごちゃごちゃとした屋台群は、ビルの中の巨大モールに押し込められて独特の情緒が薄れてしまったが、
この国には多国籍の人間が蠢いていて、実に魅力的な国である。

さて、日本よりも断然小さいこの国は多民族が集まり一国を成している為、国独特の規則や法律、
そしてそれらを徹底させるための罰金制度が設けられている。
その法律が旅行者であっても例に洩れないことに多くの旅行者たちは緊張を覚えるところであろう。

私も例外ではなかった。
有名な話であるが、ゴミのポイ捨て、唾を吐く、チューインガムの吐き捨てなどには罰金が科せられる。
入国時にチューインガムの持込も禁止であることを知らない観光客も多いだろう。

調べてみると、ゴミのポイ捨てをした場合の罰金は、$1.000(1シンガポール$66.2円)だという。
喫煙所以外の場所でなければ絶対にタバコは吸えない。屋内は国内全て喫煙禁止である。

いずれにしても、私や、多くの禁煙家にとってはパラダイスであることは間違いが無い。
私は、タバコの煙が嫌いだ!匂いが嫌いだ!$ウ真正銘の嫌煙家である。

だからして、タバコを吸う人とは縁が薄く、望んでお友達にはならない。
タバコを吸う人がよく言い訳に使うのが、『タバコを吸わなくても肺癌になる人だっている。私の体、私の命だからほっといてくれ』と。

おっしゃる通り、タバコを吸わない人も肺癌になるし、酒を飲まない人が肝臓癌にもなる。
方程式を解くのにさまざまな考え方があるように、病気のかかり方も千差ある。
だけれども、タバコの煙は己の体にとどまらないところに問題がある。

家族のみならず、さまざまな場面で他人にも害を及ぼすから厄介なのだ。
喫煙者の母から生まれた赤ちゃんに障害を持って生まれる確立が高いと聞くと、女性ならばだれしもあえてリスクをしょってまで吸おうとは思わないだろう。他人の肺の中のことを心配しているわけではない。好きで吸っている人にいくら言っても仕方が無い。

とにかく!私は!嫌いなタバコの煙に染まりたくないのである。

先日、有名なチェーン店の中華料理屋に指導の後、職員と食事に行った時のこと。
昼間は全席禁煙であるが、夜は喫煙が許されている。夜もそうであれば店を訪れる回数も増えると思うのだが、店の方針が喫煙家にもご来店いただきたいという煮え切らない態度だから(手前勝手に思っているだけ)少々腹立たしい。

衝立をはさんでサラリーマンらしき男性がラーメンを食べていた。
食後の一服か、高々と煙をあげ始めた。こちらは餃子に箸を伸ばそうとしていて、匂いに気がつく。
注文した料理が並んでいたが、職員が私の顔色に気がつき、従業員に言ってくれて席を奥の座敷に替えてもらった。

ほっとしたのも束の間、赤ちゃんを連れた若い夫婦が一つ向こうの席に座った。
赤ちゃんはやっとたっちが出来るくらいのようで、こちらを見てきょとんとしているので、愛想に笑ってみると体を揺らせて赤ちゃんも笑っている。そこまではよかったのだが・・。
注文した料理がくるまで夫婦共にタバコを吸いだしたのである。
しかも!積んである取り皿を、赤ちゃんにおもちゃ代わりに与えて、二人で話し込んでいる。
赤ちゃんは取り皿をデコラのテーブルの上にバンバンと打ちつけだして・・。
店中に相当な不快音が鳴り響くことになった。
料理がきてからも、その打ちつける遊びをやめさせる気配が無い。
話しながら夫婦は食べ続け・・・食後に又タバコを吸いだしたのである。

ほんの短い時間が何時間にも感じられ、ストレスを溜めて私たちはそそくさと店を後にした。

『言わないんですか?師範はそんな時』と、事務所で後日その話をしたときにそういわれたが、夜指導の後のほっとした時間に、見ず知らずの人に向って説教せねばならない事に正直気が向かなかっただけ。

赤ちゃんはもう数ヶ月すれば少しは訳が分かって、ちがう遊びでおろかな両親の食事時間を待つ事が出来る様になるだろう。
生まれた子供は何ものにも換え難い宝物。

可愛い気持ちは皆同じなはず。なのに家でも同じ様な情景が繰り返されているのだろう。
子供の為にタバコはやめよう!人様の迷惑になるから少し気を配ろうということに認識が及ばないこの若い夫婦は、いつになったらそんな極当たり前なことに気付くのか・・いや永遠に気付かないのか。

タバコ話で、もうひとつ。少し前の朝のテレビ番組で、タバコの価格が上がるという話題について、おしゃべりな関西の若手芸人が矯めにならない話を大声で話していた。

芸人A(男)『俺は何ぼ値段上がってもやめられへんわ』
芸人B(男)『それやったら一個一万円くらいにしたええのんちがう?』
芸人C(男)『保険適用されるようになって、本気でやめる人も出てくるやろな』
芸人B(女)『女の方が意志強いと思わへん?だってなんていわれても止めへんもん』

スポンサーが大金をつぎ込んで出来た番組で、しかも興味を惹いた折角のタバコ話題で、これだけの内容にしか話題が及ばないことの寂しさ。よくアナウンサーが人名の漢字を間違えて流したときや、発言に対して陳謝を入れるように
『番組中不穏当な発言がありましたことを、お詫び申し上げます。』 

『番組中あほな発言を致しましたことで、不愉快な思いをされた皆さん。ごめんなさい』とでも言ってもらいたいよね。本当に。

それでも・・
買いますか?

2006年10月20日
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2006年9月30日
師範 秦
徒然なるままに・・

朝晩かなり涼しくなって、秋めいてきましたね。
空を見上げると雲の様子が変わってきたことに気付き、道沿いの田んぼの稲穂が金色に輝き始めました。

橿原道場の3階にある私の部屋から見渡すと、金剛葛城の山系が北側に二上山に連なって、
まるで精巧に作られたパノラマをみるようです。

金剛葛城山系 二上山


じっと目を凝らすと、春には緑一色に染まった山肌の中腹当りを、ところどころ桜色に染めているのを見る事が出来ます。5月の中旬頃には、葛城山山上が一目100万本とも言われるツツジの花で覆われているということで、その絶景を一度は見に行こうと思っているのですが、なかなかに実行できずにおります。

夏の夕立の後に大きく弧を描き虹のかかるのを発見したときには、感動の余り鳥肌が立つくらいです。
大騒ぎで皆に観るように伝えても、虹はほんの束の間・・直に消えてゆくのです。

秋は、殊に夕焼けが美しい!夕焼けのベストショットもほんの2分か3分。
日の出の華やかさとは又違った、沈み行く太陽の余りの神々しさに空しさを覚え、胸が熱くなります。

冬には、空と交わる山稜付近に真っ白な雪をいただき、凛とした冬山の姿を見せてくれます。

今日、事務所の職員に、年末年始の行事計画を相談されたときに、もう一年が過ぎるのかと愕然としてしまい、
何故か冷や汗が出るような奇妙な気持ちになりました。うかうかと一年を過ごしてはいないつもりでも、いつも今頃には、今年やり残したことは無いかと思い返すのが常になっております。

そういえば長く空を仰いでいないなあ・・と、指導に出る前に部屋の窓を開けて外に目を向けると、
雲の様子が秋に変わっていて、爽やかな風が舞い込んできました。
朝、新聞に目を通しているときも目は下に、日中、車を運転しているときも前方ばかりを見ていて、
事務所に来ればパソコンの画面と向き合うか、来館者の方と話をしているか・・。
よく考えてみれば、余りにも日常に忙殺されて、頭を上げて空や景色を見ながらぼんやりすることなどほとんど無かったなあ・・と思った次第。

家族で、お金をかけない小旅行や日帰りの遊びなどに出かけることは、日頃のストレスを開放する格好の手段です。
気持ちの良い季節!どこかに行ってみましょうや。
疲れた目に点眼薬をさすように、心に一滴の休息という点心薬を;;;;

 夏往きて 早や年越しの 支度かな 』
2006年9月30日
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2006年9月28日
2006/9/23・24

秋分の日・第二回ツーリング

****《二十四の瞳》小豆島に行こう!!****


昭和三年四月四日、
農山漁村の名が全部
あてはまるような、
瀬戸内海べりの一寒村へ、
若い女の先生が、
赴任してきた。         【壺井栄:小説「二十四の瞳』より】


23日(秋分の日)


梶原支部長・保田支部長・山本一雅氏・私の四人で、第2回ツーリングに挑戦。
晴れ渡った秋晴れのこの日、夕刻に奈良を出発して姫路に。
保田支部長の指導が終るのを待って、山本氏と落ち合い、姫路市三右衛門堀西の町にある【力士料理大亀山】でちゃんこ鍋をいただく。暑い夏の間には鍋をする機会も無く、久ぶりの鍋にかなり感動する私と梶原支部長。鍋を食べたらやっぱりお酒は飲みたい≠ニいうことで、今宵は姫路泊で明日の朝早くに出発することにしよう!と意見一致。たらふくいただいて、ビジネスホテルにて早々に就寝zzzz・・・・


力士料理大亀山にて

大亀山店内


24日(日)快晴

〜〜〜 姫路港より一路香川県小豆島福田港を目指す。〜〜〜
7:15発―――8:55福田港着。
1時間40分の船旅は、穏やかな瀬戸内海の風を受けて至福のひととき。

清風の瀬戸内

フェリー甲板

――――――上陸――――――


小豆島――着―――
小豆島――着―――


今回も隊長は山本氏にお願いし、島巡りに出発!島東半周を走破することに。
小豆島は全島の面積が153.2ku、海岸線125.7Kmの島で、日本で18番目の大きさである。
島の東海岸国道436号を南に約14キロ走った後、目的地二十四の瞳分教所に向かう道なりに、有名な《丸金醤油》の本社工場が・・。すごい観光客で賑わっていた。
この当りは佃煮も名物らしくなんとなくご飯が食べたくなるような匂いが漂いはじめる。

たがが 醤油  されど 醤油
出来立て 醤油 直売


の暖簾に気を引かれて、手作り醤油の《金両醤油》に立ち寄ってみることに・・。
建物自体がノスタルジックな上に、醤油の匂いが昭和初期の家庭のちゃぶ台を連想させて、自分は日本人であることを尚更嬉しく思った次第。
試飲の醤油をあれこれ試して、そのまろやかさとコクに「これぞ古来より日本人が愛した味だ!」と感動し、ダシ醤油・濃い口醤油・もろみを箱詰めにして送ってもらうことにした。


【金両醤油】いいにおい〜〜
【金両醤油】いいにおい〜〜

その後、二十四の瞳映画村で観光。
冒頭の書き出しにあるように、壺井栄の代表作となった『二十四の瞳』が、昭和29年に映画化されたことで小豆島観光の盛況の端緒を開いたといわれている。
明治35年に田浦尋常小学校として建築された平屋建ての校舎は、昭和46年に閉鎖されたが、現在も地元の保存会の方達によって大事に手入れされ、観光の一スポットとして日々賑わっているという。又、昭和62年には田中裕子さんが大石先生に扮して再度映画化され、その際の学校のオープンセットがそのまま保存されている。


せんせ あそぼ

「せんせ お弁当食べたん」
「うん 今お茶飲んどるとこや」
「そんなら あそぼ」
「早う 早う」
「せんせ あそぼ」
「何してあそぶ」
「竹馬」
「よおし せんせ 負けへんぞ」
「貝とり」
「あんた 貝とり得意やもんね」
「かごめかごめ」
「とうりゃんせ」
「そんなら じゃんけんで決めなさい」
「よおし」
「じゃんけんぽん」
「あいこでしょ」
「わあ せんせ 一番先に負けてしもた」    ――壺井栄生誕百年記念銅像刻詞――


二十四の瞳岬の分教所

かじわらたかひろくーん!!『はあーい』

さあさ!紙芝居が始まるよ!

高峰秀子の大石先生

昭和初期の学校の面影そのままに・・

映画村のお店

二十四の瞳映画村ご案内

懐かしいボンネットバス

天満宮さま

壺井栄

映画村を後にして、標高612mの寒霞渓(かんかけい)に向う。
岩壁の間を渡るロープウェイに乗って頂上へ。渓谷と眼下に見下ろす瀬戸内海の海がまるで絵葉書の一枚のように広がり、絶景成り!!10月からは山全体が真っ赤に染まり、裾野までが黄金色に色づく12月中旬まで紅葉を楽しむ事が出来るということだ。
瓦投げ祈願が出来る展望台で、4人それぞれのフオームで瓦を投げて願い事を・・・。
やんちゃ心がおきてしまい・・記念碑の上によじ登って記念撮影(失礼しました!)
食堂で、小豆島名物の素麺を食べて、いよいよ旅は終盤を迎える。


寒霞警に登頂

渓谷と瀬戸の海の融合

展望台は瓦投げ祈願で有名

決まった!

愛車と・・