師範から保護者の方への通信欄です

Contents
第01号. ⇒2005年7月6日【親は子の手本】 第56号. ⇒2009年6月9日【橿原本部道場 道場開き】
第02号. ⇒2005年7月13日【励まそう!】 第57号. ⇒2009年6月25日【夏に向かっています!】
第03号. ⇒2005年7月20日【もったいない】【出来ごころ】 第58号. ⇒2009年10月21日【御礼状】
第04号. ⇒2005年8月17日【夏の終わりに・ほうらんや】 第59号. ⇒2009年11月14日【届かぬ想い】
第05号. ⇒2005年8月20日【伝えたいこと】 第60号. ⇒2009年12月16日【年の瀬】
第06号. ⇒2005年9月14日【柔能く剛を制す】 第61号. ⇒2010年1月1日【新年あけましておめでとうございます】
第07号. ⇒2005年9月21日【社会生活の掟・ルール】 第62号. ⇒2010年1月8日【お伊勢参り】
第08号. ⇒2005年10月1日【子は親の鏡】 第63号. ⇒2010年1月21日【旅立ち】
第09号. ⇒2005年10月1日【夢は世界に!】 第63号. ⇒2010年2月1日【負けないということ】
第10号. ⇒2005年10月12日【財布の話】 第63号. ⇒2010年2月5日【今年も鬼がやってきたぁ~】
第11号. ⇒2005年10月15日【褒めて育てる】 第64号. ⇒2010年3月20日【華やかさの中で】
第12号. ⇒2005年10月19日【お母さんに、有難う!】 第65号. ⇒2010年3月26日【―別れ―】
第13号. ⇒2005年10月26日【チャンピオンクラスの話】 第66号. ⇒2010年6月30日【おげんきですか?】
第14号. ⇒2005年11月9日【ニートってご存知ですか】 第67号. ⇒2010年8月11日【嬉しいことがいっぱいありました!】
第15号. ⇒2006年1月11日【新年のご挨拶】 第68号. ⇒2010年8月12日【続:嬉しいこと】
第16号. ⇒2006年1月25日【今一度心して!】 第69号. ⇒2010年8月19日【木村洋介君がやってきた!】
第17号. ⇒2006年1月25日【今日の新聞から】 第70号. ⇒2010年9月21日【華 燭 の 典】
第18号. ⇒2006年2月3日【真の友とは・・】 第71号. ⇒2010年10月21日【御 礼】
第19号. ⇒2006年2月10日【ライブドア 堀江さんの話】 第72号. ⇒2010年10月29日【子供の未来・親の夢】
第20号. ⇒2006年3月10日【モーニングセミナー】 第73号. ⇒2011年1月11日【新年明けまして・・・・】
第21号. ⇒2006年3月22日【桜の季節に思うこと】 第74号. ⇒2011年7月13日【アフリカウガンダ在住の・・・・】
第22号. ⇒2006年3月22日【お彼岸とお墓の話】 号外 ⇒2011年3月15日【東北地方太平洋地震お見舞い】
第23号. ⇒2006年3月24日【愛国心について考える】 第75号. ⇒2011年8月26日【夏の終わりに】
第24号. ⇒2006年5月10日【ゴールデンウイーク・ツーリング】 第76号. ⇒2011年9月27日【御 礼 】
第25号. ⇒2006年5月19日【 水戸黄門 考 】 第77号. ⇒2011年11月1日【礼節】
第26号. ⇒2006年8月01日【 御 礼 】 第78号. ⇒2011年11月21日【悲しいこと その一】
第27号. ⇒2006年9月28日【秋分の日・第二回ツーリング】 第79号. ⇒2011年11月21日【悲しいこと その二】
第28号. ⇒2006年9月30日【徒然なるままに・・】 第80号. ⇒2011年11月21日【子供の心が見えない】
第29号. ⇒2006年10月20日【昨日・今日・明日】 第81号. ⇒2011年11月21日【国を思うということ】
第30号. ⇒2006年10月27日【神田さんの結婚式に招かれました】 第82号. ⇒2011年12月21日【別れ】
第31号. ⇒2006年11月06日【文化の日・第3回ツーリング】 第83号. ⇒2012年1月5日【新年あけましておめでとうございます】
第32号. ⇒2006年11月15日【子供にニュース番組は見せない・・】 第84号. ⇒2012年1月6日【奈良支部黒帯OB石原藤彦氏(ウガンダ在住)より新年お祝いメールが届きました☆】
第33号. ⇒2006年11月15日【オーラに色があるらしい・・】 第85号. ⇒2012年1月9日【お伊勢参り】
第34号. ⇒2007年1月15日【年頭にあたって】 第86号. ⇒2012年2月8日【如月に】
第35号. ⇒2007年1月15日【春~よ来い♪福~よ来い♪早~く来い♪】 第87号. ⇒2012年3月3日【春の訪れ】
第36号. ⇒2007年1月19日【大阪南支部分支部長の小林悟君....】 第88号. ⇒2012年3月23日【春を待ちわびて】
第37号. ⇒2007年2月5日【立春*節分がやってきた】 第89号. ⇒2012年4月9日【嵐が去って】
第38号. ⇒2007年2月7日【鍵田忠兵衛衆議院議員 新春の集い】 第90号. ⇒2012年6月18日【NPO法人 チルドレン・ホープ】
第39号. ⇒2007年3月3日【今年も桜の季節がやってきた】 第91号. ⇒2012年7月7日【★☆ 七夕伝説 ☆★】
第40号. ⇒2007年5月15日【ゴールデンウイーク・ツーリング】 第92号. ⇒2012年10月1日【大仏杯 御 礼】
第41号. ⇒2007年7月11日【第1回奈良キッズチャレンジカップを終えて】 第93号. ⇒2012年10月10日【はじめまして‼珠樹ちゃん☆】
第42号. ⇒2007年8月23日【 御 礼 】 第94号. ⇒2012年10月10日【はじめまして‼和真くん☆】
第43号. ⇒2007年8月29日【命のふしぎと生きていることの意味】 第95号. ⇒2012年10月29日【三陸の秋深く】
第44号. ⇒2007年9月4日【残暑見舞い(母お見舞い御礼)】 第96号. ⇒2013年1月1日【新年明けましておめでとう...】
第45号. ⇒2007年10月18日【秋桜・コスモス】 第97号. ⇒2013年2月13日【苺は好きですか?】
第46号. ⇒2007年10月18日【近況その1 母のこと】 第98号. ⇒2013年4月11日【花は桜木】
第47号. ⇒2007年10月18日【近況その2 苛立ちと怒り】 第98号. ⇒2013年10月2日【御 礼 状】
第48号. ⇒2008年2月1日【食の安全の話をしましょう】 第100号 ⇒2014年1月1日【新年明けましておめでとう...】
第49号. ⇒2008年4月11日【新たな出発です!】 第101号 ⇒2014年4月28日【若葉の季節】
第50号. ⇒2008年7月11日【頑張っています】 第102号 ⇒2015年1月1日【新年明けましておめでとう...】
第51号. ⇒2008年9月12日【秋の気配を感じて】 第103号 ⇒2016年3月7日【奈良県高市郡高取町家のひなめぐり】 NEW
第52号. ⇒2008年12月19日【日常の六心】 第104号 ⇒2017年1月1日【新年明けましておめでとう...】
第53号. ⇒2009年1月5日【新年明けましておめでとうございます】
第54号. ⇒2009年2月21日【アメリカの宮地君に】
第55号. ⇒2009年4月8日【 リニューアルオープン!!】




2017年01月01日

新年明けましておめでとうございます



皆様方に於かれましては、ご家族そろって新年をお迎えになられたこととお慶び申し上げます。
さて、2016年はどんな年でしたでしょうか。いろいろなことがありましたね。自然災害では熊本地震がまだ記憶に新しく地震大国という嬉しくない称号もついておりますが、自然災害に対する防災の意識改革が叫ばれて私達にもより身近な問題となっております。日頃の物心共の備えはもちろんですが、日常の居住まいを見直すという観点からも万全の対策をお願いしたいと思います。
世界では殊にヨーロッパでテロによる犠牲者が後を絶たない事件が相つぎ、緊張と恐怖の一年でした。近年では日本人留学生の数も非常に多くなっていているわけですが、テロの影響を受けて、文部科学省、外務省、大学から国公立私立大学の短期留学及び海外旅行に関して注意を喚起するという事態になり、長期留学を目指す若者たちの数が減少する傾向にあるそうです。昨年末、クリスマスムードに浸るドイツの娯楽施設でもテロによる大型トラックがつっこむという事件が起きました。
又、後期高齢化社会に突き進む日本では高齢者の運転事故が連鎖反応を起こしたかのように引きも切らず起きて犠牲になられた方が多く、考えさせられましたが、益々高齢化が進む日本の高齢者自動車免許の更新については政府がどのような抜本策を練られるかと注目しております。

道場に於いては、今年も新な初段黒帯の誕生と弐段への挑戦者が晴れて金線二本の黒帯を絞める恩恵にあずかりました。
いつも申しますが《驕れるものは久しからず》という言葉がすべてを言い表しています。地位や財力を鼻にかけ、おごり高ぶる者はその身を長く保つことはできないというたとえです。慢心して身を滅ぼすことは意外と周りのものにはみえて、滑稽でもあり、又痛ましくもあり。
ふとしたきっかけで地位を得て財力を手にして、体から怪物となって抜け出した慢心(本性)が醜い姿を露呈することになり、気づけば一人ぼっちとなってしまい、又元の木阿弥に。
何処まで行っても人の道にはどなたかに教えをいただき、益(力)を与えていただいているという輪廻転生を繰り返しているものです。
いただいたものへの感謝や恩返しといった志を忘れずに、また次へとつないでゆくことが一大事な事と思います。

さて、輪廻転生という言葉から言えば、人の肉体もまた生まれては消え、そして又血や肉を備えて生まれ変わるもの。次から次へと繋がってこの世をつくっているものですね。病に伏して自らの事よりも家族を思い生きようとするその生きざまを実はつい先日みて感動暫しでありました。宇陀の分支部長が癌に罹患し数か月にわたる苦しい抗がん剤治療に耐えて年末最後に晴れて手術を受ける事が出来ました。敢て晴れてと書かせて頂きましたが、抗がん剤で転移の消滅を確認して穏やかな状態にならないとそこには行き着かないということらしいですね。そこまで頑張れたには家族への思いがありました。自分よりも待つ身の家族(妻)が心配ですと言って、涙を誘いました。
私が指導する少年部の保護者のかたにも癌に罹患して長く闘病されている方がおられます。
「子供たちのために絶対死ねないですし〃生きますから!頑張るしかないんです!」覇気に満ちた笑顔で病院と家族のいる自宅を頻繁に行き来されているのに、私も遭遇したことがあります。
皆、誰かのために生きて、誰かのために頑張っていますね。助け合って、時には背中を貸してもたれ合って、皆が心ひとつに新な年をすすんでゆきましょう!!



――2017年の幕開けに際して――    
                           
 師範 秦 貴典
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2016年03月07日
奈良県高市郡高取町家のひなめぐり


天皇彌榮(すめらぎいやさか)

「上巳(じょうし)の節句」つまり、「桃の節句」
昔の我国には、五つの節句がありました。
この節句という行事が、季節の節目の身の汚れを祓う大切なものでした。
http://www.hinameguri.jp/schedule.html



♪~灯りをつけましょ ぼんぼりに~♪














春の弥生のこの善き日 何よりうれしいひな祭り

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2015年01月01日

国際空手道連盟 極真会館 奈良支部


本年も何卒宜しくお願い申し上げます



 

新年明けましておめでとうございます


皆様方に於かれましては、ご家族そろって新年をお迎えになられたこととお慶び申し上げます。
新年のご挨拶が遅くなり申し訳ございません。
さて、日頃頑健な私も久々に正月早々に風邪をひきまして、予防のためインフルエンザの新薬を処方して頂きましたところ、日頃の鍛錬のお蔭か二日ほどで回復し、自主トレも既に開始してエンジン最大出力でスタート致しました。
日本列島に元旦から大寒波が到来し、インフルエンザが猛威を振るう年初め。心して出発いたしましょう!

昨年末の衆議院総選挙におきまして自民党の圧勝による第3次安倍内閣が発足いたしました。先日、あるテレビ局の朝の情報番組で、1986年から日本経済が湧いたバブル景気に似た好景気再来の前兆などと、浮ついた言葉を耳にしましたが、いまだ実感の薄い景気高揚感を煽るかのような報道に頭をひねってしまいました。
そのバブル景気は約5年を以て崩壊し、その後の≪失われた20年≫は、大きな景気変動波に乗ってなんの経済政策も打ち出さずにいれば≪失われた30年≫になりかねないとの見方もあります。
三本の矢を基本にしたアベノミクスは忍の念を以て見守り、又、国民皆が気持を一つにしてち立ち向かっていかねばならない正念場を迎えていると言っても過言ではないでしょう。

政治の話から波及しますが、成長戦略の3つのキーワードに【挑戦;チャレンジ】【海外展開;オープン】【創造;イノベーション】が指標となっていると安倍首相が熱弁を奮います。若者の海外留学率が低下している昨今ですが、世界に向けたすべての情報の発信は今やみなさんご存知のSNSの世界でももう極一般的な事となって、その拡がりたるや日々進化を続けています。情報の拡散は新聞やテレビや雑誌に頼っていた一時代は過ぎ去った感さえあります。発展して止まない情報のデジタル化の新時代。人と人とをつなぐアプリケーションツールは様々に変化し又誕生し、留まることなく発展しています。
成長戦略に於いては、潜在的な女性ならではの限りない能力の発揮が期待され女性の社会の様々なシーンで活躍できる重要なポジションへの進出にも大いなる期待と政策の施行が実践化されますが、限りない可能性を秘めた若者のグローバルな世界での活躍には大きな期待が寄せられます。

何事も高い志と健康な体あっての夢の実現。そう思われませんか?
今、アメリカ合衆国に5人の私の弟子が様々な目的を以て留学中であります。
一番若いチャレンジャーは若干13歳の岩本竜征君ですが、彼は日本の音楽と融合したパフォーマンスの世界を席捲するEXILEの次世代のアーティスト育成プロジェクトのオーデイションに合格して、現在ニューヨークで修業中です。送り出されたご両親も素晴らしいとおもいますが、本人も本当によく頑張っています。
夢の実現には並外れた気持ちの強さが必要でしょう〃お父さんは仰います。
『空手で培われた精神力は竜征のアメリカ行きの底力になっています』
心から嬉しく思います。近い将来テレビで彼の活躍ぶりを見るのを楽しみにしています。
皆、遠いアメリカで親元を離れてがんばる姿を見せてくれることは、まさしく今の日本が向かう道への道標となっていると私は眩しく思っています。

さあ、政治も経済も新たな挑戦に向けて旅立つ厳しいけれども期待と予感の新時代の幕開けとなりました。ひとつ我々もいつもとは違う自分だけの指標を掲げて向っていきましょう!
手応と達成感をこの手にする日を目指して!!出発です!!



――2015年の幕開けに際して――    
                           
 師範 秦 貴典
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2014年4月28日
~若葉の季節~

清々しい新緑の季節を迎えました。皆様方にはお変わりなくお過ごしでしょうか。随分ご無沙汰していて申し訳ありません。桜の季節が瞬く間に過ぎて、入社・入学・進級と新しいスタートを切った諸君もそろそろ人間関係や環境に馴染んでくる時期ではないかと思います。それぞれの新しい場所はどうですか?楽しい毎日を過ごしていますか?
さて、東京での国際大会も幕を閉じました。不覚にも上京を前にして私はインフルエンザB型に罹患してしまいました。まさに鬼の攪乱。記憶では、短期間であれ寝込むのは5年ぶりのことです。しかし元気に復活しました。国際大会にエントリーしていた数人も罹患し敢無く欠場する事態になり本当に残念です。しかし、頑張って入賞を果たした奈良支部の選手諸君には、大きな称賛の拍手を送りたいと思います。
多くの人と日々接する仕事であり、又最大限に体を鍛えるということが日常であるために、激しい疲労が襲った時にウイルスに感染するという危険性は大いにあります。
子供達に日々説いている規則正しい日常生活の随行を、自身もおろそかにしてはいけないとつくづくと思った1週間でした。

さて、世界で、毎日引きも切らずにいろいろな出来事が起きていますね。韓国では多くの子供たちが犠牲になった海難事故が起きて、未だ行方不明のひとも多く日々心を痛めています。―
安全―という言葉には最大限に命を守るという意味があります。
2011.3.11の東北大震災以降、日本国民の中に、自然災害に際して更なる安全についての確固なる意識が芽生え、国や自治体を挙げての取り組みがなされつつあります。自然災害は防ぐことは出来ない為、災害発生前の探知機能や防災に関する施設の構築が最優先されるべき大きな課題となるわけですが、人の過ちによって蒙る人的被害においては国民の一人一人が認識を新たにして防ぐしか方法はありません。
過ちとは即ち“うっかり・ぼんやり”といった認識となりますが、疲労であったり、勉強不足であったり、過度の自己過信から引き起こす不安全行為によるものだと思います。
人間性の欠陥において起きる人的災害は、法的に罰して然るべき明らかな犯罪行為ということですね。

さて、携帯電話が所謂ガラパゴス携帯からスマートフォンに移行して、今や日本国民の55.2%がスマホを利用していると統計が出ているらしいです。
興味深いデータを入手しました。
   男女比率   男性/50、1%  女性/58.9%
   年代別比率  15~19歳  87%
          20~29歳  82%
          30~39歳  64%
          40~49歳  50%
          50~59歳  40%
          60~69歳  20%
国民の半分以上はいまやスマホを持ち歩いているということにも驚きますが、学生たちの数々のネットワークの連携や、情報収集の手段がスマホからという衝撃的な結果であると思います。ここには14歳以下が入っていませんが、道場の少年部の子供たちもかなりの割合で親との連絡用やゲームなどの遊び用に保持している現状です。
いつこどもにスマホを買い与えるかが親の思案どころとなっているのでしょうね。

〔乍らスマホ〕が今、安全上の問題から随分と話題になっています。車の運転中だけでなく、自転車や徒歩の際にもスマホを開けて片時も目が離せない。町中にうごめく人の半分以上がスマホを片手に動けば事故は起きる事必死です。
自分が階段から落ちて怪我を負うというようなことなら自己責任の範疇ですが、人を巻き込んで重傷を負わせたり、最悪は死亡事故が起きるとなるとことはうっかりではすみません。大きな社会問題として様々な角度から規制をしていかなければならないでしょうね。

さて、春の昇級審査会・昇段審査会のあとは、初めての東京開催となる全日本ウエイト制大会の開催。支部では交流試合も間近です。
自己鍛錬には最高の季節を迎えました。空手修行に勉強に、仕事にと益々励んでいただき今年前期の集大成を目指しましょう〃



国際空手道連盟
極真会館 奈良支部
支部長 秦 貴典
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2014年01月01日

国際空手道連盟 極真会館 奈良支部

師範 秦 貴典

黒帯 一同

本年も何卒宜しくお願い申し上げます



押忍!

新年あけましておめでとうございます


ご家族おそろいで新しい年をお迎えになられたことと心からお慶び申し上げます。
無事に新年を迎えられた喜びを先ずは身近な家族と確認し合う元旦の朝、いつもの朝には違いはないのに、不思議なことになぜか心が済み渡り、シャンとした気持ちになりますね。日本人が遠い祖先から繋がる暮らしの中で、伝え継承してきたお正月というその暮らしの中の営みを素晴らしいとつくづくと感じます。世界中の人達が国や文化や慣習が違えども、新しい年を祝うという世界がひとつとなるこの日この時、すべての人達が笑顔で言う「おめでとう」は宇宙にこだましている事でしょう〃

色々なことがあった2013年。私が特筆すべきは、日本が確かに変わりつつあることだという事です。特に政治力の蘇りということを無しにしては語れないと思います。そう実感する方は大多数いらっしゃると思います。如何せん長きに亘って低迷していた日本経済に於いてはまだその確実なる実感を手することが我々庶民には遠いことかもしれません。ですが、みなで心を一つに信じてしっかりと目を見張って見守り続ける事が大事です。関心をもつこと。そこからの出発が世の中を変えてゆく原動力になると私は信じています。
日本人のよいところ。もう何度も何度も口にして参りました。
誠実・勤勉・礼節・人情・思い遣り  などなど言い尽くせぬくらい素晴らしいものを心の内に秘める唯一の民族であると思います。
折しも年末には百田直樹氏の原作【永遠の0】が劇場公開となって、私は既に2回映画館に足を運びました。高学年と中・高生の子供達も有志が同行しました。
今日、日本人が日本人として存在し続ける意味合いといったことを、朧げながらにも心に重く刻んでくれたようでした。おじいちゃんが亡くなった戦争というものがいったいなぜ何のために存在し、自分たちと変わらぬ世代の若者が国の為に戦った意味合いはいったいなんだったのか〃などどいう疑問や悲しみや憤りなどから新たに得たものは大きいと思います。畑になるキュウリやトマトも種がまかれて実をつけ、その実からまた種を採って、畑に撒くという輪廻。この命の輪廻こそが人の命を繋ぐ大事なことなのです。
あのときあのことが無かったとしたら、自分たちは存在しない。父や母の存在の前にずっとじっと遠い過去につながる命があること。
伝えて教えてゆかねばなりません。
7年先に開催が決まった〔東京オリンピック〕。ほんとうに嬉しいですね。何度も日本で開催できるとは限りません。富士山の世界遺産登録。世界一高い電波塔スカイツリーの完成。地元大阪には世界一高い商業ビルディングも完成間近です。感動すること、誇らしいことがいっぱいあった2013年。

さて、私が特筆させて頂きたいのはこのことです。
【天皇、皇后陛下のご健勝】ご慈愛深く限りなくお優しいお二人のご存在が、我々国民の希望の光であり、又心の拠り処であると思っています。

今年も私自ら本部道場前に日の丸を揚げました。門松を設置しました。しめ縄をしっかりと飾りました。新しい年を胸いっぱいにみなさんと始めたい‼そんな思いでいっぱいです。

今年もどうぞよろしくお願いします。いっしょに頑張りましょう!!


2014年 元旦   
                           
師範 秦
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2013年10月2日
御 礼 状

錦秋の候 貴下益々ご清祥の段、お慶び申し上げます。

好天に恵まれた九月二十三日月曜日・秋分の日、【第十八回奈良県空手道選手権大会・極真カラテ大仏杯】を開催させて頂き、無事成功裡に終了することができました。様々な角度からご支援ご協力賜りました皆様方に心より御礼申し上げます。

大山総裁の命を受け奈良の地に降り立ちましてより、翌年にて三十年目を迎えます。入門から数えますと三十八年の長きに亘り、人生の三分の二余を極真カラテ一筋に進んで参りました。

〔一理に達すれば 万法に通ず〕という剣豪宮本武蔵の言葉があります。
ひとつの事に精進して極めれば、自ずとほかの諸事にも応用が利くということですが、その境地に達するにはまだまだ至らず、若き日の熱き思いを今一度思い起こして、これからも歩を進めて参りたいと思います。

人としてそれぞれが目指し進む道は違えども、極真カラテを通じて万里一空の境地に達することを極めるべく、又、若き後継者の大いなる助言者となるべく勤めて参ります。

皆様方に於かれましては、今後とも倍旧のご支援とご鞭撻を賜りますよう心よりお願い申し上げます。
この度は誠に有難うございました。



平成二十五年十月吉日
国際空手道連盟
極真会館 奈良支部
支部長 秦 貴典
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2013年4月11日
花は桜木

忘れずにやってきた≪春≫
そして
忘れずに今年も咲いた≪桜≫

日本が誇れるものはたくさんあります。
桜はそのひとつ。
余計な言葉はいらないですね。
日本人の心のルーツを思い起こし、
日本に生まれた幸せを今一度かみしめましょう。

ことしの桜



誇らしく



一斉に



身震いするような感動





空と桜と
桜と空と






ソメイヨシノオオシマザクラのツーショット




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2013年2月13日
苺は好きですか?

大きな粒の苺をいただきました☆
その大きさにびっくりして“感動‼”


手のひらいっぱいの大きさです。
ウガンダ在住、元弟子の石原藤彦君からのサプライズプレゼントでした。
彼のお知り合いのご夫妻が、長野県駒ケ根市で〔おかげやいちご園〕を経営されているとのこと。
ご夫妻は、青年海外協力隊に参加され、ウガンダでの数年間の滞在中に石原夫妻と知り合い、友好関係が築かれたようです。発展途上国ではほとんどの人が自給自足の生活。その中での様々な経験が農業へのチャレンジへと繋がったと仰っています。

そういった若いうちの思い切った行動、貴重な経験がその後の人生の羅針盤になるという事を、この苺を通じて改めて考えさせられました。
世界は広い。でも無限ではありません。しかし、チャレンジできる瞬間は無限にあり、自分のものにするチャンスも同じく無限にあるということ。
そう思いませんか?‼

私は、果物の中でも大好きな苺ですが、特に子供たちはこの赤くて愛らしい苺が大好きではないでしょうか。

ご紹介しましょう!!

おかげやいちご園  永井一弘さん
〒399-4101
長野県駒ケ根市下平608
直売所;駒ケ根市赤穂3773
TEL&FAX 0265-81-4665
E-mail okageya@gmail.com


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2013年1月1日
新年あけましておめでとうございます


  

ご家族そろって元気に新しい年をお迎えのこととお慶び申し上げます。
日本の四季の移ろいをしかとこの身に感じる事の出来るうちは、日本は、世界の自然界は安泰である!というのが私の持論ですが、流石に身を切るような冬の寒さに身を縮めている昨今です。風邪など召されていませんか。

さて、昨年心に残ったニュースのダントツトップは、やはりロンドンオリンピックの日本代表選手の活躍ぶりではなかったでしょうか。殊に水泳競技に於いては日本人選手の体格に目を見張りました。均整のとれた手足の長い体型は外国人選手にも決して引けを取らないと感じました。
柔道、レスリングでの女子選手の活躍には感動で瞼が熱くなるほどでしたが、誰もが感じたこと、それは日本人の魂“精神:スピリッツ”の輝きでした。それは目や表情に表れていましたが、何よりも強かったのは心であったと思います。どのような日常の鍛錬が彼らを世界一に押し上げたのか〃私の中で大きな関心事となりました。

もう一つ、今極真の世界大会のトップを日本人選手の占める割合が俄然少なくなっています。今や、うかうかすると4位までの全てが日本人選手無しに埋まってしまうという危機感さえ感じます。

トップレベルの選手が育つ環境がもしやすると生ぬるい何不足のない状況にあって、今更ながらの言葉になりますがハングリー精神が欠如しているといえるのでは・・と思います。がしかし、これからの時代がそうなのだからその時代に合わせた育成に方向を大きく変える転換期に来ているのかもしれません。 
昨年を振り返って特に思ったことはこの二つでしたが、大いに関連性のあることであり、私自身の選手育成への課題となりました。
今年、私が掲げる目標の一つは≪選手育成の基礎固め≫であります。
一朝一夕に何事もなりません。ここは褌を締め直して一から〃初心に戻って〃未来の大器を育成する烽火をあげたい!そう心に誓った次第です。
ついてくる修行者を腕を大きく広げて招き入れ、共に汗を流し痛みを分かち合いながら前へと進んでゆきたいと思います。

今年もよろしくお願い申しあげます!!

2013年 元旦   
                           
師範 秦

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2012年10月29日
三陸の秋深く








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2012年10月10日
はじめまして‼和真くん☆

生憎、師範が福岡に出張中の7月21日土曜日に、吉野分支部黒帯の久保比老子さんが、ご主人と6月4日に誕生された和真君とご一緒に、橿原事務所を訪ねて下さいました。

2011年12月11日に橿原神宮で行われた結婚式に師範がご招待を受けて、ご披露の宴にも参加させて頂きました。お幸せそうに輝くお二人の姿がまだ記憶に新しく蘇ります。


まだお誕生から1か月の和真君。標準よりもかなり大きいとのことで、すでに新生児用ではなくて幼児用のかわいい夏用の甚平姿で、本当に驚きました☆
ぷりぷりと可愛くて健康そうな赤ちゃん。周りの話し声もものともせずに眠ってしまわれて、大物振りを既に発揮していました。
お名前に、ご主人の名前から1文字、そして極真の文字から一文字が入っていて、比老子さんの極真への強い思いが健在であることに新ためてうれしく思いました。

毎日ご主人が和真君をお風呂にいれていらっしゃるとか。まだとってもラブラブなお二人ですが、三人の写真からは幸せオーラがいっぱい溢れていました。

どうぞお幸せに★師範も武田先生も和真君の入門を心待ちに待っていますよ‼

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2012年10月10日
はじめまして‼珠樹ちゃん☆

9月8日の夜7時半頃に奈良北和道場所属の田原一樹(茶帯)さんが、友美夫人と2月に誕生された珠樹ちゃんを伴って橿原道場を訪問して下さいました。

2010年9月に結婚式を挙げられて、師範以下支部からもご披露の宴に出席させて頂いてから2年が経ちました。


赤ちゃんが誕生された一報が今年の5月に入り、「赤ちゃんに会わせてほしいなあ‥」と田原さんに師範が仰っていたのでした。
2012年2月26日。友美夫人が、元気な女の赤ちゃんを無事出産された日から、聞けばもう“娘に首ったけ”のお父さん振りらしく、仕事が終われば一目散におうちに帰られるとか。
この日も田原さんが抱っこされてお越しになり、板についたパパぶりを発揮されていました。

丁度、少年部二部の稽古が終了し、山本初段と堂園初段も一緒にカメラに収まりました

赤ちゃんが大好きな師範。珠樹ちゃんは泣かずに師範に抱っこされていました。

屈託のない赤ちゃんの笑顔にみんなが癒されたひと時でした。
お父さんとお母さんのように、強く〃優しいひとに育って下さるようにと祈ります。

田原ファミリー☆お幸せに★★
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2012年10月1日
【第十七回奈良県空手道選手権大会・極真カラテ大仏杯】

御 礼

初秋の候 貴下益々ご清祥の段、お慶び申し上げます。
猛暑の夏がやっと過ぎゆき、秋の気配が訪れた二十三日の日曜日、【第十七回奈良県空手道選手権大会・極真カラテ大仏杯】を開催させて頂き、無事成功裡に終幕させて頂くことが出来ました。
様々な角度からご支援ご協力賜りましたすべての皆様方に、心より御礼申し上げます。
今も子供たちには一休さんの愛称で親しまれている一休宗純禅師を知らない方はおられないのではと思います。自由奔放に仏の道この世の道を説き、奇行の和尚と言われながらも数々の言葉を残しました。
花は桜木 人は武士 柱は檜 魚は鯛 小袖はもみじ 花はみよしの日本人の心はどのような場面やときを経ても変わらぬ孤高のものである。花は茎についたまま萎れて朽ちる西洋花に非ず。百年の元木に春が来れば決してやたらに主張しないそこはかとない美しい花をつけ、潔く散る桜。
人は葉隠武士道にあり。桜の姿に合わせるかのような生きざまこそ又死にざまである。
住まい、食物、着物、里 皆どれもが日本人が愛して止まぬ孤高のものとして存在するのです。これは私の独自の理解ですが、この国に生まれてよかったと思える言葉です。
昨今の国際的な場面では、思わず拳を握りしめ身体に緊張が走る事件が引きも切らず、世界はどこに向かうのかとつい吾を失うようなこともあります。誰もが〔日本人の誇り〕〔武士道に通ずる孤高の精神性〕を失わずに向かってゆかなければならないと思います。子供たちの未来に陰りがある世の中ではいけないのです。一人ができることは小さくても同じ思いで手を携えて立ち止まらずに前進することが大事です。子供達ひとりひとりが地球の礎となる明るい未来のために、ひとつひとつの大きな夢の実現のために、手を貸すことが私たちに与えられた使命だと心に誓って、気合を入れ直して歩を進めて参ります。

この度は誠に有難うございました。

平成二十四年十月一日

国際空手道連盟 極真会館 奈良支部
支部長 秦 貴典


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2012年7月7日
七夕伝説

おりひめ(織女) ひこぼし(牽牛) のお話
むかしむかし、天帝(てんてい)という神様が星空を支配していたころ、天の川の西の岸に織女(しょくじょ)という天帝の娘が住んでおりました。織女(しょくじょ)は機織り(はたおり)がたいへん上手で、彼女の織った布は雲錦(うんきん)と呼ばれ、色も柄も美しく、丈夫で着心地も軽い、素晴らしいものでした。

一方、天の川東の岸には、牛飼いの青年、牽牛(けんぎゅう)が住んでおりました。牽牛は、毎日天の川で牛を洗い、おいしい草を食べさせたりと、良く牛の面倒をみる働き者でした。
天帝は、来る日も来る日も働いてばかりいる娘を心配して、娘の結婚相手を探すことにしました。
そして、天の川の向こうに牽牛を見つけると、二人を引き合わせて
『おまえたち二人は、まじめによく働く。牽牛よ!私の娘、織女(しょくじょ)と夫婦(めおと)にならぬか?』といいました。

牽牛は、きょうしゅくしたようすで、
『天帝さま、わたくしのようなものには、夢のようなお話でございます。ありがたくお受けさせていただきます』と言いました。
織女も働き者の牽牛をたいへん気に入り、二人はめでたく夫婦(めおと)になりました。
ところが、一緒に暮らすようになると、二人は朝から晩まで天の川のほとりでおしゃべりばかりをしています。
これを見た天帝は
『おまえたち、そろそろ仕事をはじめたらどうだ?』といましめますが、牽牛と織女は、
『はい、明日からやります』と答えるばかりで、いつになっても仕事をはじめるようすがありません。
織女が布を織らなくなってしまったために、機織り機にはほこりがつもり、天界にはいつになっても新しい布が届きません。
また、牽牛が世話をしていた牛たちも、やせ細って次々に倒れてしまいました。
怒った天帝はとうとう、二人を引き離し、一年にたった一度だけ、天の川を渡って会うことを許しました。
今でも二人は、七月七日に会えるのを楽しみにして、天の川の両岸でまたたているとのことです。




  

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2012年6月17日
師範 秦
【NPO法人 チルドレン・ホープ 】

アフリカの孤児の自立支援!!
http://childrenhope-ug.com/framenew.htm

東アフリカのウガンダに元弟子の石原藤彦君という男がいます。奈良支部の設立初期を他の弟子たちと支えてくれた一人です。
時折日本に帰国した際などに、ウガンダの珍しい民芸品などをお土産に橿原の本部を訪ねてきてくれます。真面目で非常に前向きでなかなかの人格者だと、私は常々元弟子であることを誇らしく思っています。
彼は今、奥様と子供たちと共に現地のチルドレン・ホープの事務局で活動しています。最近では現地で空手の指導も始めて、生徒たちに絶大な信頼を受けているようです。空手を学ぶことで得るものは大きく、日本に比べればまだまだ生活水準も低く、将来的には彼らの生活支援にも役立てばと頑張っているようです。アフリカは度重なる内戦によって多くの命が消えてゆきました。
遺された女性たち、そして子供達は生活の基盤を無くして日々の生活もままならないという地域も多くあります。又、ご存じのようにエイズ発祥の地であるウガンダには、エイズによって亡くなった人のたくさんの子供たちが孤児となっています。多くのストリートチルドレンの擁護と自立を支援する活動を世界中に広めようと頑張っているのです。

http://www.youtube.com/watch?v=v6OSlgPI5m0&feature=youtu.be

帰国の際に本人からそういった話を耳にしていましたが、すぐには支援に結びつかず今になりました。
ささやかではあっても長く気持ちを持ち続けてゆくことが大事だと思っています。
今月末に開催される第44回の交流試合では、ウガンダの石原君の奥様から直接送っていただいた手作りのアクセサリーなどを事務局の防具販売のブースで並べようと思います。9月の大仏杯でも並べますので、是非会場内入口に足を運んでください。現地のお母さんたちが作ったアクセサリーや小物入れ、子供たちが作った名前入りのストラップ。どれもとても素朴で愛らしいものばかりです。値段がついていますが、買って頂いたお金はウガンダの子供達への生活支援に役立てられます。
チルドレン・ホープのホームページや、ご夫婦のブログには現地の様子が生き生きと描かれています。是非のぞいてみて下さい。
石原君の友人が作成されたというYou Tubの動画は心を打ちます。こちらも是非ご覧ください。
*・・・・・*・・・・・*・・・・・*・・・・・*・・・・・*・・・・・*・・・・・*
さて、梅雨時のじめじめした時期のど真ん中。気持ちが沈みがちですが、日本人にとっては大事な季節です。稲や作物、植物たちも自然の恵みを一杯受けて育ち、我々の生命の源を作ってくれます。元気にこの時期を乗り切りたいものですね。
今月は試合!来月はサマーキャンプ!!楽しい夏休みはもうすぐそこです。

2012年梅雨の候 


[ウガンダの石原氏(奥様)よりメールが届きました☆]
お世話になっております。


土曜日に支援地区より、新事務所に孤児が来てくれました。
秦先生からのご購入くださいました、民芸品の売上で、
マラリアの薬代、子供たちにはお菓子などを寄付しました。


写真を撮影しましたので、ご覧下さい。


本当にありがとうございました。


石原悦子



師範   秦
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2012年4月9日
師範 秦
【嵐が去って
勢力の強い巨大低気圧の襲来で大荒れとなった今週初め、日本列島を南から北へと大きな被害をもたらしながら駆け抜けてゆきました。皆様方には被害は及ばなかったでしょうか?冬から春への移行の時期。春の嵐というにはあまりにも酷な自然現象でしたね。

嵐が去った後、やっと桜の花が綻びました。今日は咲き具合を観ようと橿原本部に近い曽我川の河岸を車で走り抜けました。車を降りて美しい桜のトンネルに見とれてカメラのシャッターを何枚も切りました。
丁度嵐の吹き荒れた4日の水曜日に、何人か集まって花見をしようと計画していたのを中止したのですが、気温が低く開花が遅れている状況でした。
なのに‥2日たった今日、見事に花を咲かせていて驚きました。



さて、私は多くの人に接する仕事ゆえ、日々が何がしかのエピソードに満ちていてのんびりと過ごすことはなかなかできません。
何かあると皆さんに伝えたいと思うのですが、以前にも話しましたように、時はまるで川の流れのようにとどまることが無く過ぎゆき、川岸の風景さえも記憶にとどめるに及ばず、呆然とするうちにあれよあれよと過ぎてゆくものです。
今日話さなければ‥と思っていて又次の出来事に出合い、そうするうちに別の場所で新たな出会いがあって、次へ次へと時間が流れてゆくという日常です。

そうした日常の中、ある程度の年齢を過ぎると迂闊にはいられないという気持ちに行きついて、少々の焦りを感じる事暫しです。

さて、先週橿原の本部道場に近い近鉄線の遮断機の無い踏切で人身事故がありました。散歩が日課の70代の老人が亡くなりました。
いつもの朝、正に道場に着く手前の道路を運転していてたまたま事件を知りました。
救急車が数台到着し、近所の医師と看護師が走って現場に向かい、近鉄電車の駅員が大慌てで駆けつけていました。
日頃危ない場所として話題に出ることもあって、やっぱり事故が起きたのかと気持が沈みました。いつものように散歩に出かけて電車が来ることに気付かなかったか、間に合わなかったのか、その老人は家族のもとに帰ることなく亡くなりました。聞けばどこにも遮断機のない踏切があって、地元の人が“便利”を理由に行き来しているらしいです。
鉄道側も、又地元の自治会などもこの機会に徹底した措置をしていただきたいと切に願います。
3月は卒業式と受験の季節、当事者もそうですがご家族の方にとっても、緊張と期待とが入り混じった慌ただしい時期であったと思います。
4月になって、新学期が始まりました。進級した皆さんは新しいクラスの仲間とのスタートですね。
そして、小学校、中学校、高校、大学へと進学した皆さんには今までとは全く違った環境で新しい日々が始まります。
不安もあると思いますが、少し成長した自分に出会うという場面にきっと遭遇するでしょう。心新たにわくわくしながら頑張っていきましょう!!

何か伝えたいことがある〃
報告しようかな〃
嬉しいことがありました〃
相談していいですか〃
など、指導中以外ならいつでもお話を聞くことができます。
ぜひ話しかけてください。橿原本部にも毎日顔を出しています。会いにきてくださってもいいですし、お手紙でもメールでもいいですよ。
待っています!!

さて、時流にのってフエイスブックを始めました!世界に点在する<極真関係者>とあっという間につながる!世界は広いけれどやっぱりどこかで繋がっていてとても不思議な思いの昨日今日の私です。

2012.4.6

師範   秦
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2012年3月23日
師範 秦
【春を待ちわび

桜前線の北上を今か今かと待っているのは私だけではないでしょう。
日差しは確かに春のもの。しかし風はまだ冷たく感じます。
今朝、高知で桜の開花を知らせるニュースが流れました。もう一息の<春の到来>。
みなさんお変わりないですか。花粉が飛び始めて、これも又季節を告げる風物詩と言えるかも知れません。


吉野山

 
3月11日、東日本大震災から一年。いつもなら一年がとても速く過ぎると感じますが、この一年はとても長く感じました。
気持ちが閉ざされていた時期が長かったせいもありますが、まだまだ明かりが見えない現地の状況に触れることが、やはり気持ちの回復を遅らせる原因ではないかと思います。遠く離れた我々でさえそうなのですから、被災された多くの方にとってはまだ出発地点からのスタートラインにさえ立てていない状況なのでとは思っています。現実的な春の訪れはまだ遠いと思います。
身が竦むとはこのことか〃と思った衝撃的な出来事でした。生涯に二度はないと信じたい!そんな思いです。
瓦礫処理の問題や、変わらず放射能の除染問題、企業や商店や個人の再就職に関わる問題、親を亡くした子供達や学校の再建問題など手つかずの現状にあっても、政府の俊敏な動きは見えません。
変わらずに手を携えて見守り続けてゆきたいと思います。

さて、悲喜こもごもに受験の季節が終息しましたね。たくさんの報告が届き、嬉しい時期でもあります。又、道場に復帰して気持ち新たに頑張ってください。

先日の日曜日、キッズの新人戦ともいえるチャレンジカップが終了しました。
私が言うのもなんですがとても楽しい大会でした。初めて試合にチャレンジする子供達のために、最初トーナメント形式に組んだものをリーグ戦に全変更しました。一度で敗退する子もいるわけですから、それはあまりにもさみしいのではないかと考えました。折角の機会ですからたくさんの試合を経験して、一層空手を好きになってほしいと思ったわけです。
「優勝しました!」と駆け寄る子供たちの中には初めてトロフィーを手にする子もいて、皆同様に嬉しくて目に涙が浮かんでいて、こちらにもその嬉しさが十分伝わってきました。
どうだったでしょうか?私の思いは伝わりましたか?

最近、テレビなどで小学生から十代の後半までのタレントや歌手、すでに俳優と呼ばれる子供たちや若者の活躍が目立ちます。
一昨夜でしたかポニョの歌を歌った大橋のぞみちゃんが、中学進学をきっかけに芸能界を引退するという事である番組に出ているのを観ました。
家族(親)の考え方がいいな‥とホッとしました。柔らかい家族の愛情で包まれたのぞみちゃんは、ちっともすれてなくて普通のかわいい少女のまんまで好印象を受けました。又家族の中に戻っての<夢探し>に拍手を送りたいと思います。

有名なタレントになった子供達。もともと持っているものなのかもしれませんが、それぞれに達者な演技や表現力に圧倒されるばかりです。
親の意向も大いに反映されているのだろうと想像に難くないですが、一度芸能界という特殊な社会の中の一員になって、衆目に晒されるということがいかほどの影響を子ども自身に与えるか〃とうことをふと思うと、手放しには喜べません。過去にも子役から育って道が逸れたひともいますが、周りの大人の思いとは全くかけ離れた<子ども自身の子供らしい世界>がおざなりにされて、途方もない方向に向いたがゆえに残念な結果となったときにはもう遅いと感じます。

今の子役たちのあり方を決して否定はしませんが、子供の世界はちゃんと確保したうえで、大人が子供の世界に踏み込まないということ、そして、過剰な干渉や甘やかしによる怪物を作らないことに十分注意を払ってあげてほしいですね。教える、叱るという当たり前のことをきちんとしてあげていれば、怪物は手の付けられない化け物にはならないと思います。

ヒップホップダンスのスクールや芸能プロダクションへの所属。末は有名なタレントになって華やかな生活をさせてあげ、又その親として脚光を浴びたいというような軽い気持のみで、子供に夢を投影させるのはいかがなものかと思います。

皆さんの夢はなんですか?しっかりと心の内に打ち立てた夢は、夢にとどまらず目標になってあなたに力を与えます。先に進む勇気を与えてくれます。
いつも自分を信じて突き進みましょう。
望めば開く夢への扉
勇気をもって開きましょう!そして進みましょう!あなたの今はたった一度だけ。
頑張れ!!


師範   秦
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2012年3月3日
師範 秦
の訪れ
まだまだ寒い日が続きますが、私のもとにはぼつぼつと嬉しい知らせが届きます。
つい先日は受験のため稽古を休んでいた橿原道場所属の山本直緒(1級)が訪ねてきました。

「師範!今日合格発表で、受かりました!!」

満面の笑顔で嬉しくてほっぺが高揚して桜色になっていました。

「良かったね~☆そうか‥夢に向かってこれからますます頑張っていかないといけないな〃空手も頑張らないと!」

「押忍!頑張ります!それで‥昇段審査を受けさせていただきたいのですが」


意気揚々の春。
大きな夢に向かってスタートを切る子供たちに精一杯のエールを送りたいと思います。


最近身近なところで見つけたことばです。


どの道を選ぶかより
選んだ道をどう生きるかだ


君はこの先何度も転ぶ
でもその度に立ち上がることも出来る力を
君は持っているんだよ


今自分にできること
頑張ればできそうなこと
そういうことを積み重ねていかないと
遠くの大きな目標は近づいてこない



師範   秦
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2012年2月8日
師範 秦
【如月に】
強烈な寒波の到来で雪の舞う寒い日が続いています。みなさんお変わりないですか?インフルエンザ流行の勢いが止まりませんね。学級閉鎖、学年閉鎖とじわじわとウイルスの蔓延が止まりません。いろいろとインフルエンザの予防にいいといわれる食べ物や漢方薬などが紹介されています。いいといわれることはやってみて損はないと思いますが、もう言い尽くされたことですが、十分な睡眠と栄養と清潔な生活習慣に心がけましょう。

さて、先日開催の型試合では桜井道場の上辻兄弟の活躍が目立ちました。
家族一丸となって空手に向き合う日頃の努力がはっきりと表れていると思います。心から拍手を送りたいと思います。
他にも卓越していい演武をしてくれたひとが何人もいます。又、特筆すべきは吉野道場の活躍です。入賞者14人中5人の入賞者を輩出しました。
日頃どれだけの時間を型の練習に励んだかが結果として出ています。素晴らしいと思います。
極真カラテの魅力は【組手】にあるといっても過言ではないですが、型あっての生きる組手ということです。力強く、しなやかで完成された型は誰もの心を打ちます。組手のみを追求して型をおろそかにするということは、土台の無い建物と同じで、完成されたものとは言えません。美しい型は見る者の心を打ち感動をあたえます。
支部の方針として、すべての会員の皆さんのレベルに応じたスキルアップを目指して指導に当たってゆきたいと思っています。
型試合は、型を披露するための披露イベントとしてはもちろんの事、更なる向上を目指すための試しの場として全員の参加を目指してゆきたいと考えています。

試合会場はご家族が見守る中、粛々と競技が進み組手の試合とはまた違った雰囲気でとても充実していたのではと感じました。
更に磨きをかけて励んで行ってください。


さて、先日青色の封筒に収められて私のもとに一通の封書が届きました。
ホームページにご紹介するかどうかを迷いましたが、無記名であったことなどできちんと読ませていただいたという意味で少しお話させていただきましょう。

保護者の間で流れたニュースで、元会員で上級の帯だった少年部と高校生が、最近できたジムに所属して黒帯を締めているのはおかしいし、私への裏切りの行為ではないかという内容でした。

ご存じのように、極真会館奈良支部の会員は今や多くの子供たちで占められています。全国的にもその傾向はあって、一般部の入会が減少している状態です。したがって年間の様々な行事の現場では、保護者の皆様方がお互いの情報交換の場として友好を深められるケースも多々あるかと思います。それはそれでよいことだと思っています。

前に大仏のへそにも書きましたので、重なる部分がありますが私の考えを今一度書かせていただきます。
10月書き込み:大仏のへその表題は【礼節】です。今一度お目通しいただければ幸いです。

私は極真会館奈良支部の支部長として、大山総裁の命を受けて支部を創設した経緯などはことあるごとにお話ししてきました。
指導者としての長きにわたり今【師範】と呼ばれ、公的な場所でも名のある方々と名刺を交換させていただき、又多くの著名な方々と長きにわたってお付き合いさせていただいているのは、故大山総裁から認可を受けた極真会館の黒帯に刺繍された五本の金線と、苦節を強いた修業時代の賜物にほかなりません。

ぽっと出て、指導者になりたい〃師範と呼ばれたい〃というような安易なことは出来ませんし、あり得ません。
初めて今出会った方には、私の今までの自分史や極真との深い縁を分かっていただけることは難しいとおもいます。それは当然のことです。もしやするといつもただ偉そうにふん反りかえっている怖いひとなどという印象であるかもしれません。
県下の各道場では、私が直接厳しく指導し育てた弟子たちが今分支部の長として又指導員としてたくさんの弟子を持ち、日々の指導に励んでくれています。
大きく成長した支部を統括し、試合や合宿などのイベントを通じて奈良での極真カラテを今以上に活性化させることが私の使命であります。
又、世界全国に広がる極真の存続のために一命をかけているともいえます。

我が極真カラテは、大山総裁から継承された唯一無二の武道空手であると信じて止みません。
したがって、他の武道世界のことは知識としてあっても、深くかかわってゆくなどということは生涯ないでしょう。

極真会館奈良支部をそれなりの理由で退会し、その後に別の世界に傾倒することについては本人の自由であってなにも言う立場にはありません。
ですが、お手紙の主が仰るように不快な思いは無いとは言えません。なぜなら、子供たちが時間をかけて稽古に来て汗を流したのは私の道場であったということです。腹立ちはありませんし裏切りなどとも思っておりません。
申し訳ないですが、私の思うこととの次元が違う事なので正直なところコメントし辛いということもあります。
ただひとついえるのは“子供たちは大人のおもちゃではない”ということ。
親自身がしっかりしないと、子供の行き先に不安が付きまとうと感じます。

私が【礼節】で言いたかったことは、自分を高めるのも自分を貶めるのも自分自身だということです。それは試合の会場などで話したりもしています。
親がプライドを失わずに子供を導くためには、親自身の人生という修行の道を歩むということにほかならないと思うのです。

邪悪な何かに心をからめ捕られて、落ちてゆけば底なし沼のように限りがありません。澱んだ水には魚は住めません。
子供を犠牲にしてまで親のエゴを貫き通すということに寒々とした思いがあります。

昨今、テレビのニュースなどで親の身勝手で犠牲になる子供たちが後を絶ちません。
怒りで体が震える思いです。もちろん〃このように極めつけの事件を引き起こす連中は人間として許されない、重い刑で裁かれて当然の鬼畜といってもいい人間です。

前述の話とはかなり違うことは承知です。

子供が大人になる過程に一番そばにいる指導者は親に他なりません。
親の言うことは絶対で、親が与えてくれる食べ物を食べて満足し、親が身を包んでくれる。親が寝床を与えてくれる。親が‥親が一人前になるまで子供を育て大人にするのが当たり前の人の道です。
だからして子は、大人になって親を敬い親を大事にするという図式が出来上がるのですから。人間の世界はその繰り返しです。
子は、全幅の信頼を以て親の力にすがって生きてゆかねばならないが故、親の言うとおりに生きてゆくしかありません。
だからこそしっかりと精神を律して子供を育ててほしい。建前だけでいうのでは決してありません。心から願っているのです。

子供たちは日本の未来を背負っています。何があっても屈しない、どんな逆境にも耐えてゆける、夢と果てしない可能性を持ちながら世界を目指して生きていってほしい。

辛いことから逃げたい。苦言はききたくない。楽な道を行きたいのは実は親自身ではないのですか?
迷わずに逸れずに進んで行ってほしいと願います。

お手紙をくださった方にはいつもありがとうございます。
道場や私の立場を思っていただき感謝申し上げます。今後とも支部を見守っていただきますようお願い申し上げます。


立春とはいえ今しばらくは寒さ厳しく、梅の花の開花にはまだ少し早いようですね。
多武峰での冬合宿も今週末に迫ってきました。体調管理に十分気を付けていただき、多くの皆さんに参加していただき気勢を上げたいと思います。

師範   秦
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2012年1月9日
師範 秦
【お伊勢参り】
新春三日目。恒例のお伊勢参りに行ってきました。
今年は、本部道場二階の加圧スタジオのトレーナー鶴井君を誘っての三重行き。そして、名古屋の石黒支部長と伊勢市駅にて待ち合わせて同行しました。
前日の二日には鶴井君と自宅で屠蘇で祝った後の夕刻から、近くの橿原神宮にも参拝しました。
夕刻で人影まばらな拝殿でしたが、実に身の引き締まる厳かな雰囲気でした。
今年の大干支絵馬は見事な紺碧色の龍(辰)。天まで昇りそうです。
年末年始に大掃除をしたり、神棚をきれいにし、一年の埃を払った玄関にしめ縄・門松・国旗を設置して、お鏡餅を飾る。
日本人として地方の風習に沿って過ごすと気持ちが改まり、“さあ〃やるぞ!”という気運が高まります。

3日は、八木駅を昼前発の特急に乗車して一路伊勢へ。
伊勢市駅で名古屋からの石黒支部長と待ち合わせて、先ずは外宮からお参りしました。
外宮お参りの後バスで移動して内宮へ。

さすがに正月三日とあって人の波が拝殿の大社まで続きました。
清い五十鈴川の流れ、揺れる日の丸。社を覆う参道の木々が神聖な空気を放っていました。

参拝を終えてみんなで【おかげ横丁】へ。
約50店舗が軒を連ねる美味しいもの満載の通り。ここを訪れるのも楽しみの一つです。お参りを済ませた人の波。あちこちのお店からいい匂いが漂っており‥。

地元の造り酒屋では立ち飲みで美味しい【おかげ】の杯で新年を祝い、≪ひらき屋≫で焼きたての秋刀魚の丸干しにかぶりつきました。知る人ぞ知る≪赤福餅≫にも。

帰りは宇治山田駅より近鉄特急に乗って奈良へと帰ってきました。

さあ!明日(4日)から初仕事。年末年始にやるべきことの全てを終えて、気持ち新たなスタートを切りました。

皆さんのお正月はいかがでしたか?

今年もどうぞよろしくお願いします!
一緒に頑張りましょう!!

【 橿原神宮】


【 伊勢神宮】

師範   秦
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2012年1月6日

【奈良支部黒帯OB石原藤彦氏(ウガンダ在住)より新年お祝いメールが届きました☆】


■石原藤彦氏よりの新年お祝いメール



昨年は、大変、お世話になりました。

いかがお過ごしでしょうか。

ご健康とご多幸を心よりお祈り申し上げます。

本年もどうぞ宜しくお願い致します。
石原藤彦







■石原氏へ 師範からの返信



新年のメールありがとう。

その後変わりなく体型を保ちながら頑張っているかな?

年末28日に一応全道場休みに入ったものの、
私は30日に加圧のほうのスタジオの最終の掃除に出かけて、トレーナーの鶴井君とワックスがけなどした。
この夜は今年最後に鶴井君を家に呼んで酒を飲んだ。
昨年もよくやってくれたからね。

大晦日は、親しくしている居酒屋の常連さんたちと年越しをした。こんなことは過去になく、なかなかに楽しかったよ。
筋トレが趣味の年下の歯医者さんとこの店で友達になったので、一緒に年越しそばを食べた。
様々な職業の気の置けない人たちと飲んだり話したりすることは自分にとっても刺激になってリラックスもでき、
空手関係の支部長たちとの懇親会とは又違った楽しさがある。
気が向けば皆で年越し参りに‥と思って着物を着て行ったら、皆にやいのやいのと言われて少々気恥ずかしかったな。
結局お参りはせずに元旦3時ころに帰宅した。

実はずっとやりたいと思っていたことを敢行した。
日の丸・国旗の掲揚。
この前の世界大会の折に靖国にお参りして国旗を買ってきた。

道場入口に31日に掲げて気持ちが引き締まった。

京都府相楽のほうで造園と花屋をやっている黒帯に昨年から門松も作ってもらって今年も玄関に配置した。
完全に日本のお正月を復元し、愛国心をことさらに強くした次第。
元旦は屠蘇とおせち料理もいただいた。

石原君は
正月はこちらに帰国しなかったのかな?

長い間年末から海外に行っていた時期があったが、昨今の不況でさすがに浮かれていてはいかんと自粛が続いている。
まあ、お蔭で日本人として年の初めを静粛に迎えるという儀式を怠りなく出来るようになって、それはそれで気持ちのいいものだと思っている。

4日から加圧のスタジオが始まった。
毎週水曜日にトレーニングに来る会員さんが皆きちんとやってきて、
朝10時から夜8時までぶっ通しの初トレが続いて、その後は鶴井君と二人でマイトレーニングに汗を流した次第。

空手は今日から通常通りの稽古指導が始まったので、もう正月気分はすっかり抜けてやるき満々です。

昨年の春を想いだすと身のすくむ思いがする。
今年は、いやこれからずっとどうか平穏な日々が続くようにと願わずにはおれない。
まだまだ被災地はたいへんな状況で、又折をみて現地にも赴きたいと思う。


写真の子供たちがかわいい。君のお子さんが端に写っているね。
子供は地球の宝だ。そして希望だ。
たくさんの小さな命をに全霊をかけて守ることが我々先をゆく人間である大人の使命だ。


頑張って行こう!!

今年もどうぞよろしく!!


秦 貴典







■石原氏からの再受信メール


秦師範


早速のご返信恐縮です。居酒屋で年越しというのもいいですね。読んでいるだけで楽しさが情景が伝わってまいります。


私は、今年もウガンダで年を越しました。ウガンダは、クリスマスに比べて、正月はそんなに騒ぎませんので、2日から通常の業務が始まっております。31日に年末の筋トレをしまして、2日から年始の筋トレを開始しました。


現在は、バルクアップ中ですので、体重も10kg程戻りました。脂肪はつきましたが、筋肉が大きくなったように感じます。体脂肪計はあてになりませんが、そんなに体脂肪率は変わっておりません。今年は、2月より、絞り始めようと思っております。今年こそは体脂肪を一桁台に持っていきたいと考えております。また、途中経過、結果のレポートをお送りしたいと思っております。


さて、私事ですが、うちの団体は小さく、震災からこちらは、資金難で色々と大変な状態でした。そんな訳でしたので、色々とあちこちに助成金等の申請をしておりましたところ、年末にJICA関係のプロジェクトに採用されました。そのプロジェクトは、浄水器のプロジェクトでして、実施国はバングラデッシュです。今月半ばから2週間、バングラデッシュへ行き、その後、6月から半年間の長期滞在をすることになりました。バングラデシュには、極真の支部もありますので、時間が取れれば通いたいと思っております。それから、筋トレは続けていきたいので、ジム探しもしたいと思っております。


師範には、色々とお話をお伺いしたいと思っておりますが、中々帰国できず残念でなりません。ただ、バングラデシュは一応アジア圏ですので、アフリカよりは近いのでもしかしましたら、一時帰国することができるかもしれません。


海外にいますと、日本の素晴らしさが身にしみます。訳のわからない左翼が国家斉唱、国旗掲揚を反対しておりますが、だったら、日本人をやめろと言いたいです。日本国のパスポートをもっているだけで、ビザなしで、大国に入れるのは、本当に信用があるからだと思います。次回帰国する際は、是非とも靖国に参拝したいと思います。東京出身で行ったことがないというのも恥ずかしい話です。


それから、当団体でウガンダに武道館を建てるプロジェクトをしておりまして、昨年末から第1期工事を開始しました。今回は、武道館の基礎、事務所棟、整地、フェンス工事をします。資金が足りず、何回かに分けて建設する予定です。バングラデシュでの給料でもしかしましたら、武道館の完成ができるかもしれません。完成した暁には、是非とも師範ご臨席のもと、式典を行いたいと思っております。その時は、どうぞよろしくお願いします。


本年もどうぞよろしくお願いします。


押忍


石原拝


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2012年1月5日
師範 秦
【新年あけましておめでとうございます】

新年あけましておめでとうございます


      

皆様おそろいで輝かしい新年をお迎えのこととお慶び申し上げます。
一年の計は元旦にあり と申します。心改まるときにこそ、
夢や希望、又目標を立てて出発するという気持ちは大事です。
それぞれが、無理のない身の丈の目標を立てて新しいスタートを切るきっかけとしなければなりません。

さて、何につけても昨年の春に起きた大震災を避けては通れません。
政治経済の低迷や社会情勢の闇の部分が心に重くのしかかるような中での、
大規模な自然災害への遭遇。私たち人間が持てる力や心を試されているようなそんな思いの一年でした。
季節は巡り、梅の花が咲き又数カ月たてば桜が開花のときを迎えます。
被災地の瓦礫に埋まった荒地にも新しい年が来て、芽を吹く若葉もあるでしょう。
心休まる時代は必ずくると信じて、手を携えながら進んでゆきたいと心より願います。
新年を祝う風習は所違えども世界中にあります。
それぞれも国での宗教や国の歴史などによって多少違いますが、機を改め新しい年を迎えることで
人々の健康を願い自然界への尊厳を新たにして神様に祈るという基本的なことは同じではないでしょうか。      
さて、道場は五日より稽古が始まります。
空手の一年の計も抜かりなく立てて目標に向かって励みましょう。
一月八日には合同で初稽古を行います。毎年この合同初稽古の日には寒波が到来し吹雪くことが多いです。
身の引き締まる思いで一年を出発するのはなかなかに嬉しいものだと私は思っています。
二月には例年通り多武峰にて冬合宿。滝浴びを今年も敢行します。
うっかりと風邪などひかないよう体力をつけ、日常生活に活を入れて臨んでください。

さあ!!

今年も師範は元気いっぱいダッシュで駆け抜けます。
みんなしっかりついてきてください!!
極真会館奈良支部道場生〃誰一人脱落しないで…・
極真の道を全うする 】 為

今年もどうぞよろしくお願いします。        
                 


■門松 フローリスト山一 (経営者:山本治初段)
http://www.eflora.co.jp/shop/fryamaichi/


師範   秦
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2011年12月21日
師範 秦
【別れ】
多くの場合、別れは突然やってくる。
家族が不治の病に冒され余命を宣告されていた場合も、やはり死は思いがけずにやってきて心は悲しみに打ちひしがれる。そうなったときの心の準備などはなんの役にも立たない。
突然の事故などで家族や親しい人を亡くしたときは、例えようもなくその悲しみは深い。ずっと悲しみは癒えることは無いけれど、人間は強くできていて、いつしかその悲しみを心の内に享受して、いつも通りの日常を取り戻す。
忘れてはいけないことではあるけれど、形を変えて心にしまって進まないと、明日が来ない。又、そうして生きてゆけるようにできている。
自分もまたいつの日か死を迎える道の途中ではあるけれど、今ある命を大事に十二分に輝かせて繋いでゆきたいと思う。



誰もが経験する「親との別れ」
父との別れは、私が37歳のときであった。若い頃から実家を離れて自立したので、家族の団欒は子供のころのことしか思い出に残っていない。



両親はとても仲が良かった。小さな工場を経営していて、
まさに夫唱婦随の生活で、休みには愛車を馳せて日本中を旅した。



父の愛車初代スバル360

父の愛車2スバルR2

父の愛車3スバルFF1

父の愛車4スバルレガシィ


男兄弟三人とも精神的にも経済的にも自立が早かったのは、父と母の教育の賜物に他ならない。しかし何かのときには父が相談に乗ってくれて、私たち三人兄弟にとって世界で一番大事で心から尊敬する人であった。


医者に余命を告げられ、できる限りの治療をと毎日病院に通う日が続いて、
長い間の無沙汰の距離が一気に縮まった。
亡くなることがわかっていても、心の準備などできるはずもなく、
病床にあっても気丈にふるまう父が居なくなることは信じがたいことだった。信じたくないという気持ちがそうさせていたのかもしれない。
もう食べるものも受け付けず日々衰弱が激しくなる一方の末期の迫った時期、父らしいエピソードがある。
兵庫から、大先輩の中村師範がお見舞いに来て下さった時、かの中村誠師範がおいで下さったと恐縮し、寝たきりの体を起しベッドに正座しようとした。
律義で厳格な父らしいと思ったものだ。


来年早々に、私の母は82歳になる。大きな病を克服し気丈に生きている。
53歳になった私でも母を見送る日が来ることをやはり考えたくない。
しかし、20代のときならば途方に暮れたかもしれないが、今ならなんとか自分を失わずに冷静に受け止め粛々と送ることはできるだろう。


直轄指導員のO君のお父さんが先日亡くなった。病状の報告に橿原本部に来てくれて、私は不在であったため電話で少し話した。もう今日明日かもしれないと落胆し悲しむ様子が感じとれた。早く帰ってついていてあげなさいと帰したら3時間ほどして亡くなったと泣きながら報告が入った。

それまで穏やかだった家庭の環境が20歳ころから激変して、有体に言えば経験したことのない苦労を背負うことになった。何かあったら言うんだよ‥と常に直接の指導員である奈良のN君と見守ってきた。

今そこにある肉親の死を俄かには信じられないまま、送る儀式は進めなければならない。
誰もが通る道だけれども、生涯でこれほど悲しく辛いものはなく、言いようのない不安で一杯になるものだ。

人は誰も、自分は広い世界でたった一人の空しい存在だと思う瞬間がある。私にもある。一時も離れず私の周りを固め守ってくれるひとたちが居ても尚そう思うことがある。
永遠の眠りにつくときはそうなのだから、常に人間はそのときの来ることを心のどこかで予感しているのかもしれない。
だけども、耳を澄ませて、目を凝らし、心を巡らせれば‥
決して一人ではないことに気づく。
誰かが常に自分を見てくれて、又違う誰かが見えないところで支えになっていてくれて、こうして生きているのだと気づく。

天涯孤独などということばがあるけれども、それが通用する寂しい世の中であってはならない。

私たちは一つにつながる輪の中に居る。

通夜の夜、25年来の友人鍵田忠兵衛氏逝去の訃報が入る。-追悼―

2011.12.21
師範   秦
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2011年11月21日
師範 秦
【国を思うということ】
先般の東京行の際に、どうしても行っておきたいところがあった。
靖国神社である。
最初にお断りしておきたい。私は偏った主義を持っているわけでなく、又極端な論者でもない。

私の若い頃の経歴を知っていて下さる方も多いことと思う。
私は高校卒業後実家を出てすぐ陸上自衛隊に入隊し、第一空挺団に入団した。空挺部隊入隊は誰でもが志願してもパスできるものではない。屈強であるべきは肉体であるが、精神はその何倍も強くなければならない。日々の訓練は、今の自分では耐えきれるかどうかはわからないくらい過酷なものだった。その頃はどんなつらい訓練にも耐え切れるという大きな自信があった。若かったからこそ突き進んだ。そんな中でも空挺レインジャー部隊は、現在テロ対策の一線で訓練を受けていると聞く。
※写真;第一空挺団より拝借しました。


自衛隊が組織されたのは1954年の7月。入隊時はすでに23年のときを経ていたが、憲法9条をめぐって自衛隊の存在意義そのものが合法だ違憲だと論争の激しい時代であった。今もその論争は時によりテレビで評論家や知識人の間で舌戦が交わされている。
若かったということもあって、その頃は難しく考えることはなかった。
訓練は国の有事に備えたまさしく日本国(国民)を守るためのものであって、熱い志は入隊時代の何倍にもなっていた。

実は、極真空手(大山倍達)への思慕は高校時代に遡る。1976年初版の【極真への道:私の空手哲学】を読んで強い憧れを抱く。職業としての自衛隊入隊であったが、いつか必ず大山倍達に師事したいと願っていた。その為にももっと体を苛め抜いて修行をして真に最強の人間になりたい!と心が逸ったのだ。
そして決断する。極真会館本部内弟子寮に入寮。

其の後の空手の修業時代も今の世界とはちがって、かなり厳しいものであった。
三歩下がって師の影を踏まず は常識の範囲。一日そこに立っておきなさい!と命ぜられると気が遠くなっても立っていなければならない。いや!師が立たせたことを忘れられたとしても勝手に休むことは考えられなかった。
日々様々な修行の中で気の緩むようなことはなかったが、食事のときや、自由時間に接する総裁の素顔は限りなく温かくまるで大きな大仏様の懐にいるかのように思えた。千日の修業は私の人生にとって忘れえない歴史となり、勲章となった。中途で挫折するものが多く、実際私の同期も何人か途中で退寮し故郷に帰っている。私は、その過酷な日常を一日とて無駄にしないと心に決めていた。
自衛隊時代の訓練を思えばなんにでも耐えることができた。自分の心身を苛め抜いて厳しくされるほど“究極の強さ”に向うという志が湧いた。
今私は53の齢を得て、振り返ること暫し。
あのころの熱い気持ちはひたすら自身を磨きぬくことであったけれど、今はどうなのか。同じ思いを持つ後進のものにその思いを伝えたい。そして育成すること。総裁の教えを体と心で伝える事。

さて、戦後生まれの我々は戦争の悲劇を体験していない。聞くか読むかでしか知ることができない。
権力と国益を得、世界にその力を知らしめることのために、多くの人間が身を挺して≪御国≫に命を捧げた。今思えばそれは愚かで究極の過ちであるという議論はある。しかし時代はどうしようもない大きな流れに突き動かされてそこに存在した。決して戦争を肯定しているのではない。
はっきり申せば戦争は【悪】である。これほどに命を顧みない行為はない。まさに神から与えられた命を冒涜し卑しめるものであると思う。
しかし、その時代、国を守るという志をもって自ら志願し戦地に赴くひとが居て、ゼロ戦に騎乗し自らの命もろともに空母や敵機に撃沈した人もいる。これは作り話ではないのだから、今の時代も人々の心を激しく打つ。
この時代を語るときに自らの命と共に散った若者の≪愛国心≫の純粋さに誰もが涙する。
間違いだとか、愚かだとか、そのようなレベルで語ることでは断じてない。
いつの世も人は時代を作って生きる。
世界の一民族として肩を並べて常に繁栄を築ながら進んでいる。
戦争という野蛮な手段は近代においても“あり得ない”ということは無い。
世界を牽引するアメリカでさえ建国以来226年のうちに41回の戦争、実力行使を行っている。その結果、自国、相手国に多くの死者を出した。

全ての意味において、自国を守る自衛隊はなくてはならない。
春の大震災においては誰もが認める活躍に国民は安堵し、自衛隊の存在のありがたさを心に刻んだ。なくてはならないものとして誰もの心に刻まれたと思う。

又、戦争の放棄を謳いながら自衛のための武力行使は認められるという一見不合理な現在の憲法は、もっと分り易く国民が納得するものに確立するべきではと、ささやかな存在である一日本人として思う。

少し話が逸れたが、靖国に眠る英霊は今ある日本の礎を守った戦死者たちが眠るところ。混同されがちだが、自衛隊で殉死した人は靖国には葬られない。なぜならば自衛隊員には戦死者がいないからであって、事故、災害、在職中の病死などで、警察官の殉職者と同じ護国寺に葬られている。
靖国神社は、一部の例外はあるものの、靖国神社には戌辰戦争や太平洋戦争だけでなく、吉田松陰や坂本龍馬など、幕末から現在に至るまでに戦争で命を落とした多くの軍事関係者達246万柱が、年齢や身分の区別なく平等に英霊として祀られている。 

 
国の歴史に思いを馳せ、日本国を心から愛する一人の人間として、命を懸けて国を守り抜いた英雄たちの御霊に手を合わせた。

その日、杜を覆うように、身震いするような青空が覆っていた。
師範   秦
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2011年11月21日
師範 秦
【悲しいこと その一】

道場に急ぐ朝、自宅を出て車を止めているガレージに向う道、ふと右側のおうちの側溝に目をやると写真のような情景が目に入った。一戸建てのお宅の前の溝。なんだこれは?!と思って写真に収めていたら玄関先に70代くらいの女性が出ていらした。
「驚きますね‥この溝の吸殻」と声をかけたら、女性は仰った。「角なので捨てやすいのか毎日それだけくらいたまりまして‥朝いつも溝の中に入って集めて捨てますね。ほんまに困ってます。とんでもない人がいるもんですわ」

朝からいやな思いの出発で、心底どうしたものかと気持ちが澱んだ。
事務所に入ってその話をしたらマナーのなってない喫煙者が後を絶たないというような話になった。
車を運転していると時たまに目撃する。前の車の運転席から火のついたたばこの吸い殻が“ポイ”と投げ捨てられる。
運転中なので「ちっ!バカめ!!」と舌打ちするしかない。

飲食店でもよくある。隣の席に、灰皿に火の点いた煙草を置いたまま酒を飲んだり、話に夢中になっている人がいる。熱々の美味しいおでんをつまんでいたりすると、煙が体ばかりかせっかくの料理にまで及んで腹が立つことこの上無い。
喫煙者は男女にかかわらないが、店が喫煙を許していると迷惑だと思っても注意しにくい。
分煙が当たり前になってきた昨今。吸ってはいけない法律はないし、吸う人の権利もあるわけなので、我々のような完全な嫌煙者は多少のことには目をつぶるしかないという現実。ちゃんとマナーは守りましょう!という社会の基本ルールを守ってほしい。ルールとして確立していない状況なら、しっかりとしたマナー認識を持つべきだ。年齢や性別を問わないので、徹底することは本当に難しい。隣の人が煙いだろうから、話をするときやせめて口に食べ物や飲み物を入れてる時くらいは点けないというくらいの認識は持ってほしい。
恐らく、ポイ捨てなどについては個人の良識に訴えるのはいたちごっこの範疇でしょうから、罰金やなどの罰則が設定されてもいいと思う。

外で煙草を吸うのは気持ちがいいものかもしれない。青空を見上げて一服。
仕事を終えて外に出て一服。
携帯用の灰皿やせめて 缶コーヒーの空き缶くらいは持ってでればどうだろう。
きちんとスーツにネクタイの人が、こぎれいな携帯用の小さな灰皿を手に、きれいに煙草を吸っているのがテレビの公共広告機構のコマーシャルか何かでみたことがあるが、かっこいいではないですか。

【あなたの煙草の火は、赤ちゃんのベビーカーの位置と同じです】
というような歩きたばこを諌めるようなCMが流れていたことを思い出す。

車からのポイ捨ての煙草の火がコロコロと転がって、積んであった可燃ごみに火を点けたというようなことも起きないとは言えない。

日本人が世界中に誇れる規律や我慢強さを持つ素晴らしい民族だ!などと称賛される誇らしい思いは、いつになってもつまらぬマナー違反を犯す一部の愚かな人たちによって汚されることを残念に思う。

腹立ちは同じ人としての悲しみでもある。


師範   秦
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2011年11月21日
師範 秦
【悲しいこと その二】

上の写真がわかりますか?すこしぼやけていますが駅構内のエレベーターのボタンです。見せてもらって携帯に送ってもらったものです。

煙草の話につづくかなり不快な現実です。
改札と地下を指示する二つのボタンが点いていますね。といっても下のボタンは何やら白いものがついていて見えない‥そればかりか地下にいくボタンを押そうとしても押せない。口からだしたガムがべったりとついているのです。

職員が帰宅時に乗って改札ボタンを押したとき“ギヤッ!”と驚いたということです。

駅構内には毎日清掃会社のひとが忙しく働いているようですから、間もなくこのガムも取り除かれるだろうとのことですが、これはもういたずらとか不注意とは言えない、はっきり言って営業妨害にもなりうる由々しきことだと思います。
さて、この仕業はいったいどのような年代の人間がやったのでしょうか。
想像の域をでませんが、年代の高い人の確立は低い。ガムを噛む習慣からいうと男女を問わない学生から一般社会人と予測されます。

空しい・馬鹿げた・最低の行為であると思います。

人の心はどこでどのように荒んでゆくものなのでしょうか。
だれもが平等にもって生まれた純粋な心のどれほどが、何かの影響で、何かに毒されて、ゆがんだ心を隠し持つ大人になってしまうのか。

そう考えたとき、国を滅ぼすのも立て直すのも【教育】にあるという事に行きつきます。幼いころからの教育は家庭を中心にして、社会がその半分を担っているのだと気づかなければいけません。
世の中が不況や自然の驚異によって影響を受け荒んでいったとしても、精神教育の柱がしっかりしていれば立ち直ることは可能です。
諦めないで目を見開いて前に進めば、逆境や不運さえも押しのけていけるのではないでしょうか。

ガムをつけて何かがかわるとは思えません。
ちょっとした憂さ晴らしか、いたずらだとしても、自分がしたことは間違いなく死ぬまで頭から消え去ることはないと思います。

人は皆愚かで弱い部分を持っています。
開き直ってどうでもいいなんていってるうちに人生のいい時は終わってしまうのですから、早くそのことに気づいてほしいものです。


師範   秦
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2011年11月21日
師範 秦
【子供の心が見えない】

身近に最近頭を悩ませる生徒がいて、日々直属の指導員と連絡をとりあっています。未だ解決の糸を手繰り寄せる日々の中ですから詳しいお話はできません。
突然子供が荒れる。という状況に周りの大人は慌てます。
もちろんご両親の戸惑いや苦しみは想像を絶するものがあるのは言うまでもありません。
長く空手の師範として今日まできて、多くの子供たちとその保護者の皆さんと関わってきました。
ある中学校から生徒指導の先生が相談に見えたこともあります。空手の現場では何事もなくちゃんと稽古にくる生徒も、学校や家庭では問題を起こすというケースは結構あります。

親のいうことはききませんが師範は子供にとって絶対な存在なので師範からいってやってください!
と私のもとにこられたお母さんも何人かおられます。

もうどうしていいかわかりません。師範のそばに預かってもらえませんか〃
と来られる方もいました。

どんなときも二つ返事はせずに、存分に話を聞いて状況を把握し一旦話を親御さんに返して、しばらく様子を見ながら私は私で生徒と対峙するということを続けます。
もうどうしようもない!どこにも相談に行けない!親としてお手上げです!と言われた場合も、冷静に時間をかけて相談に乗るうちに事態が落ち着き、親としての威厳を取り戻すことや、解決への糸口が見つかるという方向性がでてくることがほとんどです。

子供の機嫌をとったり、恐れたり、腫物に触るように接したり、暴力で押さえつけたりはいい結果を生みません。

私も空手の指導者として精神的な教育につけてはプロであると自認しますが、突然持ちかけられた問題をすべて解決できるというわけではありません。
ですが、通ってこられる親御さんと話したり、直接生徒と話すことを繰り返していると不思議と改善の方向に向かいます。
えてして家庭の中だけで悶々と悩んでいたり、暴れたり言うことをきかない子供と格闘していると狭い空間に落ち込んで、ブラックホールに落ちることになりかねません。

最悪の手段はいつでも打てるのです。自分でもわからない胸にたまった反発心や心の蟠りには必ず原因があって、すこしずつ解いてゆくことで小さな明かりに到達することがあります。

全てがうまくいくとは限りませんが、私は私の持てるものをすべて出して心で向き合おうといつも思っています。  

今、そんな現実に直面しているご家庭もあるかもしれません。
決して諦めずに子供たちの心と向き合って、緊迫して張りつめた空気を少しずつ抜くために道場に足を向けてください。
最悪の事態は自分のうちには決して起きないとは限りません。

子供の心が見えない!
そんな時、私でよければいつでもお話を伺います。

大丈夫ですよ。
誰もがひとりで生きているのではないのですから。

師範   秦
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2011年11月1日
師範 秦
【礼節】

礼節を重んじるということを第一の柱にして、人が社会の一員として生きてい
くことは難しいと感じますか?
言葉にすれば固いイメージがしますが、それは意外に容易く生活の中に取り入れることができます。

子供にもできることでいえば、

●朝起きたら“おはよう(ございます)”という。
●鼻水を拭こうとしたらティッシュがなかった。隣の席の子が自分のを差し出してくれたので“ありがとう”と言った。
●通学途中で、足元がおぼつかなくて転んだおばあさんがいた。“大丈夫ですか?”
と声をかけて手を貸した。

まだまだ礼節を養うチャンスは日常の様々なシーンで得ることができます。
心を素直にいつもきれいな状態にしていると、誰かに教えてもらわなくても自然に心と体が反応するものです。
大人になるとより複雑な人間関係の中で多くの人と交わるので、いいことも悪いことも経験します。ストレスを感じ、ともすれば心は落ち込んで沈んでゆくこともしばしばです。
ほとんどの人は一つの屋根の下に家族を基本とした≪家≫をもちます。人間の営みはそうして未来へと引き継がれていきます。
さて、そうした日々の営みの中で多くの人の心に知らず知らずに芽生えるもの・・不満、妬み、驕りなどに加えて、お金に対する執着心などもあります。
暮らしが豊かになり、お金さえあれば何でも手に入る社会になってくればなるほど、そういった邪悪な心が芽生えてくるものです。

子供の養育環境のなかでは、自分の子と他人の子を見比べる。勉強やスポーツにおいては負けまいと必要以上に必死になる。誰かより少しでもいい学校に入れて、苦労の無い未来を与えてやりたいと思う。
ところが現実にはいくら発破をかけても金を使っても親の思い通りには事が進まず、その結果心は思わぬ方向に向いてしまって、挙句誰かに迷惑をかけたり義理を欠いたり、いわゆる≪礼節≫はすっかり忘れ去られることになるのです。

自分(自分の家族)本位になってしまって、自分さえよければ‥というような方向に向かうのは明らかです。

又、結果だけを追い求めるので、途中にある大事な部分、例えば“努力”“忍耐”は避けて、如何に楽に、そして卑怯な手段を使ってでも如何に先回りしてゴールにたどり着けるか〃が本来の目標とすり替えられます。

結果、人を蹴落としたり、嘘をついたり、最悪は完全に人を裏切って真似事で身の保全を図る‥といったことにまで及びます。
いくつかのそんな例を見てきましたが、結果は最悪です。
人が見れば≪本物ではない≫≪虎の威を借る狐≫であることは歴然なのですが、本人は、なにも悪いことはしていないし何をしようと勝手じゃないか‥という認識だと思います。

 

一つの道を究めるときに、先駆者である【師】に教えを乞うのはどの世界でも同じです。
あらかたのノウハウを身に付けた途端に、師に対する恩義や礼節を忘れて、如何にも自分(親)の努力と資質だけでここまで来たと己を言い聞かせる人がいます。そうしないと自己否定になるからです。
これはどの世界にもそんなイレギュラーを平気で冒すひとがいて、上で見守る人間は落胆することになるのです。

一般的なことで≪礼節≫のお話をしましたが、どうかせっかく作り上げたあなたの家、頑丈な構の中の暖かな部分はしっかりと守っていただき、子供たちに恥ずかしくない人生の先駆者であってください。

本格的な秋になり流れてくる風に乗って、いいこともわるいことも私の耳には届きます。

冬に向かう季節。体も心も風邪をひかないようにと言い聞かせております。


あと二か月。新しい年を迎える心の準備は怠りないように‥。


10月の終わりに。
師範   秦
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2011年9月27日
師範 秦
【御 礼 】
初秋の候 貴下益々ご清祥の段、お慶び申し上げます。

秋晴れの二十三日秋分の日、
日本赤十字社 東日本大震災 義援金チャリティー
【第十六回奈良県空手道選手権大会・極真カラテ大仏杯 】

を開催させていただき、無事成功裡に終了することができました。
これも偏に、多くの皆様方のご支援とご協力の賜物と感謝申し上げますとともに、心より御礼申し上げます。

東日本を襲った大震災から半年が過ぎた今も、広範囲に亘る津波の傷跡は無残な姿を留め、放射能汚染の現状回復は未だ見通しのつかない状態です。
微力ながらも現地に義援の気持ちを届け続けることが、大事なことだと思っております。遅々として進まぬ復興対策に歯がゆい思いはありますが、どんなときにも、我々は一人ではない、皆が手を繋ぎ心を寄せ合うことが、大きな力となって世の中を動かすことができると信じています。

今日の武道の根源となるのは、江戸の時代を最盛期とした【武士道】より流れ出ずるものであるのは間違いがありません。
道徳大系としての武士道とは『君に忠、親に孝、自らを節すること厳しく、下位の者に仁慈を以てし、敵には憐みをかけ、私欲を忌み、公正を尊び、富貴よりも名誉を以て貴しとなす』という大義を呈し、長き時代の変遷にあってもその高い精神性を追求し続けてまいりました。武士道に通ずる高潔な生き方に誰しもが憧れ、求めてやまないものであると思います。
今大会においても、幼い子供たちが果敢に向かってゆく光景に胸を打たれた方もたくさんいらっしゃることと思います。武道の大義は精神教育であります。
どのような困難にあっても『負けない精神力』『我慢する忍耐力』『前にむかう行動力』この三つの心の戒めを極真カラテを通じ、青少年育成の柱として伝えてゆく所存です。

今日の武道に生きる武士道精神、これからも心にしかと刻んで精進して参ります。
この度は誠にありがとうございました。

平成二十三年九月二十七日

国際空手道連盟
極真会館 奈良支部
支部長 秦 貴典
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2011年8月26日
師範 秦
【夏の終わりに】
不安定な天気が続いていますが、みなさんお変わりないですか。
季節が変わってゆくこの頃は、体調に十分気を付けて過ごしていただきたいと思います。

しばらくホームページの<大仏のへそ>から遠ざかっていました。
3月の震災以降の長い沈黙でしたが、そろそろ活動せねばと思いだしています。

 早いもので今年も後期4か月を残すのみとなりました。
月日は空しく川の流れのように過ぎ去って・・と回想しておりますと、鴨長明が残しました方丈記を思い出しました。

ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例なし。世の中にある人と、栖(すみか)とまたかくのごとし。

鎌倉時代の有名な随筆ですが、人の世(生)の無常の様を川の流れに例えて、又後半においては長明自身が体験した元歴の五大災害(元歴の大震災)についても触れ、この世の無常と儚さを言い当てております。

時代は移れど人の生くる様は同じであり、現世の人の輪廻は考えてみればとても儚くて、自然の脅威に手も足も出ず。懸命に働いて居を得て家族を作り、各々の棲家を磨いて生きている。よくよくと考えてみれば人間そのものがとるに足らないものであると感じます。
だけれども、多くの人は己の人生に刃向わず享受しながら慎ましく生きて、穏やかに死を享受する。
大災害に遭遇しても更に前へと進まざるを得ず、不思議なことに力が湧き出て、又心が奮い立ち、人は人を思い遣って人の世は治められている。
少しずつ復興に向け動き出した東北地方の現状に、勇気をいただき逆に励まされているのは私だけではないと思います。

53になる年に3月の大震災の証人となり、心を痛めることになりました。
元気を発信しないといけない。じっとしていてはならないと常に思うもののなぜかエネルギーが湧いてこない。そんな時期をいままで過ごしていました。
季節が春から夏へと移り間もなく秋に。秋は短く瞬く間に凍りつくような冬が被災地にもやってきます。不自由を強いられておられる方もまだたくさんおられることでしょう。
はや半年近くが過ぎた今、語られなかった3.11が徐々にテレビなどを通じて伝えられます。

先の方丈記にありますように、古の鎌倉の時代に同じように天変地異が起きて、又、政治の世界でも争いが絶えず、初めて武士が政権を握るという歴史上大きな節目となった時代。

繰り返された乱世は今もあり。
人は突然の自然災害の猛威にさらされて窮地に立ち、民族や国家の統一のため争いを起こし、綿々と命を繋いできました。昔も今も変わらぬ命の流れ。
この近代国家、何もかもが過ぎゆく車窓の景色のように過ぎ去って発展を遂げてきた長き時代。世界の中の小さな島国である<日本>がこの大震災を通じて世界に発信したメッセージは大きいと思います。
遠く振り返れば戦争の終結間際に落とされた二発の原子爆弾。日本人が日本人として世界に認知を受け続けているのは、その崇高な精神性にあります。
人の認識の範囲を超えた犠牲というにはあまりにも辛すぎる試練、それらが今の日本人の孤高の姿を作り上げてきたと思います。

相も変わらず日本だけでなく、世界中に痛ましい災害や事件が相次いで起きて
心休まる日はありません。

人それぞれの持てる力は小さいけれど、同じ地球上に生きる限り、絶えることなく命はつながってゆきます。横に縦にぐるっと回って・・そうしてすべてを分かち合って生きてゆく。約束しましょう!!

吾らはひとつ。吾らはくじけない。吾らは人としてつながり人として生きてゆく。





師範   秦
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2011年7月13日
師範 秦
【アフリカウガンダ在住の元弟子の石原君からメール】
アフリカウガンダ在住の元弟子の石原君からメールが届きました。
加圧トレーニングに非常に興味を示してくれ、一時帰国の際にスタジオを訪ねてきてくれた際、
ベルトも購入しウガンダに帰ってからも日々トレーニングに励んでいたようです。

途中で何度か報告がありましたが、今回の報告メールには正直驚きました。
彼のストイックなまでの頑張りに、トレーナー資格を持つ私自身も圧倒されたような次第です。
ぜひ、皆さんに公開させていただき、加圧トレーニングの凄さと醍醐味を感じていただきたいと思います。

素晴らしいよ!石原君!
これからも精進し頑張ってください!!

怪我の回復も順調でぼつぼつと私もトレーニングに励む毎日。
まだまだ君には負けないぞ!!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

秦師範

前略 承りますれば、4月29日お怪我されたとのこと、大変、驚いております。お怪我の具合はいかがでしょうか。
一日も早くお怪我が完治するようお祈りしています。
さて、前回、お送りしましたダイエットの経過報告です。最近の写真も添付しました。
今月の末には、ダイエットをストップして、来月からはバルクアップに入りたいと思っております。

石原拝

                                                        草々








秦師範

ご無沙汰しております。恥ずかしながら、3ヶ月のダイエットを敢行いたしました。

2月18日 開始時
74.1kg 23.7% ウェスト 87cm

3月18日 開始1ヶ月目
70.6kg 23.3% ウェスト 83.8cm

4月18日 開始2ヶ月目
70.3kg 20.3% ウェスト 80.4cm

5月20日 開始3ヶ月目
64.1kg 19.6% ウェスト 76.7cm

体重 10kg減 体脂肪率 4.1%減 ウェスト 10.3cm減

加圧トレーニングと並行して、脂肪分カット、ローカーボ、ハイプロティンでやってみました。

約20年前に出場したウェイト制の時と同じ体重になりました。若い時に戻ったようで嬉しいです。

加圧トレーニングは凄いですね。体重は減りましたが、腕の太さは殆ど変わりません。
ただ、脚の脂肪はとれましたので、細くなりました。脚の加圧ベルトがLですので、ブカブカになってしまいました。
次回、帰国時に再購入しなければなりませんね。
それと、驚いたのが、10kgも体重が減ったのに、ベンチプレスで100kgが数回挙ります。
ということは、筋肉が減ってないのだと思われます。ある程度の筋肉減少は仕方ないと思っておりましたのに。


久しぶりに、楽しいダイエットになりました。体脂肪計が古いので、中々良い数値が出ませんでした。
まだ、ひとけた代になっておりませんので、引き続き、ダイエットを続けようと思っております。

使ったサプリメントは、プロティンとBCAAとマルチビタミンのみでした。

お見苦しいでしょうが、写真を添付いたします。

本当に素晴らしいチャンスをありがとうございました。これからも、どうぞ、ご指導のほど宜しくお願いします。

押忍

石原拝





    
師範   秦
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2011年3月15日
師範 秦
【東北地方太平洋地震お見舞い】
師範   秦
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2011年1月11日
師範 秦
【新年明けましておめでとうございます!!】


皆様お元気で新しい年をお迎えのことと存じます。年末年始は寒波の到来で震え上がった日本列島。年始早々、奈良県内のあちこちで記録的な積雪に見舞われました。久々の雪に雪だるまを作ったり、雪合戦をしたり・・子供たちは大喜びだったかもしれません。
私は、たくさんの年賀状に目を通し、とても穏やかでゆっくりとした三が日を過ごしました。三日には近くの橿原神宮へ、四日にはバイクを飛ばして伊勢神宮へお参りに行ってきました。どちらの神社でもとても清々しい気持ちになりました。

パワースポットとは・・・

昨年は、《パワースポット》なる場所が日本全国で有名になり、それぞれに賑わいを見せたようですが、そもそもパワー(力)スポット(地点)なるものに人はなぜ心動くのか・・
懐古の昔より人間は自然の力を崇め、恐れ、自然から受けるパワーとともに生きてきました。人間が進化し得たのは陽と水の恩恵であると思わざるを得ません。太陽は太陽神として古代ギリシャ時代でも崇められており、又、我々人間や多くの動物も大いなるパワーの恩恵を受け、今日まで命を繋いできました。

何百年の歴史を経ても人間は自然に逆らうことが出来ない・・それは確固たる事実です。恐れを抱く対象となるものは、即ち絶対的な存在として畏敬の念を抱くものである。太陽から受けるエネルギーや地から湧き出るパワーや、樹木や植物などから得る心や体をも浄化するスピリチュアルなもの・・このような全てのものは人間の求めてやまないものであると思います。

世の中がざわざわとしていて落ちつかない。
いつまでも続く政界の揺らぎ、経済界の不安定、進んでゆく自然破壊等々・・
様々な負のエネルギーを受けて人々の心が病んでゆきます。
それゆえ神社仏閣や山々、森林、水などに心の安らぎとパワーを求めて自然と人が動いていると私は感じます。
事実、神社に足を運ぶと気持ちが落ち着く。やる気が出る。心が穏やかになるなどいいこと尽くめである事に気がつきます。
橿原神宮にも、伊勢神宮にも参道には深々とした森があり樹木が天高くそびえ 立ち圧倒されるものが有ります。

自然回帰

様々な文明や科学の発達にどっぷりと浸ってしまった私たちが最後に求めるもの、それが自然の力であると思います。
生き方を自然に戻す。簡単そうで今となってはなかなかに難しい。

【ねじれず、素直に、ありのままの姿で、柔軟な生き方をしたい】

今年の私の念頭の目標となりました。

皆さんも、日常色々な事に煩わされて時として吾を忘れ、怒りの心や憎悪の気持ちに染まりそうになっても、心を静めること。ほんの1拍の《無の境地》にトライしてみませんか?!


今年もどうぞ宜しくおねがいもうしあげます。


2011年お正月         
           師範   秦    

■橿原神宮参拝■


■伊勢神宮参拝■

    
師範   秦
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2010年10月29日
師範 秦
【子供の未来・親の夢】


妙な自然現象に戸惑うこのごろです。豪雨による未曾有の被害に遭われた奄美の皆様には心からお見舞い申し上げます。
酷暑の夏から一足飛びに冬が来たように気温が下がって、北海道に初雪、片や南から台風14号が日本列島をほぼ縦断するかの勢いで近づいています。
  寒暖の差が激しく、風邪をひきやすい季節です。十分気をつけてください。

道場では、大仏杯が終了し、一気に年末に向かって行事ごとが進んでゆきますが、冬季審査会や交流試合もまもなく開催されます。
冬休みも間近に迫っていて、受験生にとっても厳しい冬がやってきます。

昨夜のことです。
指導が終わって関係者と約束の会食に出かけたある駅前で、塾帰りの中学生の弟子にばったり出会いました。
小さい頃からガッツのある組手と、休まずしっかり稽古に通って身に付けた体で覚えた独特のスタイルで常にトップを走り続けてきた彼が、今受験のために休会しています。
奈良支部の少年部の子供たちだけでなく、全国には彼を目標とする極真の少年部の子供たちがたくさんいることでしょう。
時間がもう11時をすぎており、私は驚きました。
『押忍!師範!こんばんは』
『こんな時間まで頑張ってるのか!』
と声をかけました。
決して大柄ではない彼の表情が大人びてしっかりしていて、とても清清しい気持ちになりました。

以前からどこからともなく聞こえてくる彼の将来の目標・・・それは本当かどうかは直接聞いていないため確言は避けますが、とても素晴らしい夢だと思いました。夢に向かって一生懸命に努力していると聞き、嬉しかったことを思い出します。
国際大会でもほとんどの大会で頂点を極めていて、空手に対する情熱や根性がただならぬものではないと常々思っていました。
D君の持つ大きな夢が、どこからいつから彼の胸のうちに沸き出したのかはわかり得ませんが、彼は必ずや頑張ってその夢を成し遂げてくれると信じます。又、実現することを心から祈っています。

過去、同じように少年部で頑張ってきた子供たちが志望大学に入学したり、立派な職業に就いた例もあります。私は常々思うのです。空手をやっていればこそ身につくもの。それは目に見えません。けれども確かにあると自信を持っていえます。
空手の稽古を何があっても休まない。少々の怪我でも必ずやってきて使える手や足で稽古に参加することが大事だとうるさく言ってきましたが、そうして身に付くものは何か?!
それはどんなときもへこたれない強い精神力と集中力だと思うのです。
もちろん、人それぞれに持っている資質や性格や家庭の環境で全てがいい方向に向かうとはいえません。
自立心を早くから身につけた子供は、親からの旅立ち(自立)が早いと言えます。必要以上に子供の日常や内面に介入しないが故、大人としての考えを早く持つことが出来ると思うのです。

少年部の親御さんに、子供に自分の姿を投影して見る方が多いのに驚きます。
つまり、自分がやりたかった夢、自分には出来ない夢を子供に叶えさせてもらう。その力の入れ方がときとして歪になっていることに当のご本人は気付きません。
小さい頃は子供は親の言うがままです。子供は親の背を見て育ち、子供の世界は=親の考える世界なのです。

いつか子供は自我に目覚め、1人の人間として親とは又違った夢に向かうこともあり、かといってたまたま親と子供の気持ちが全く一つとなってビッグな夢の実現をした例もたくさんあります。イチロー選手やゴルフの石川選手・・オリンピックの選手の中にも親子密接な方もおられることでしょう。

さて・・その自我に目覚める時期がいつであるのか・・それは個人差があり確かなことはいえませんが、思春期に差し掛かる辺りではと感じます。親御さんにとって一番難しい時期でもあるでしょう。小学3年生あたりを第一反抗期とするならば、中学二年生辺りから第二反抗期がやってくるのではないでしょうか。

たくさんの親子関係を見てきましたが、うまくその頃を潜り抜けて行くことができると、子供は20歳を迎えるまでに既にしっかりした価値観や将来への設計というものを持ち始めるのではと思います。 

さて・・
多くの方が既にご存知かもしれません。
今お話したこととは全く対極にある事実が、この1~2ヶ月私の身辺でありました。

多くの生徒を抱え、その管轄地域が奈良県全体に及ぶため会員全ての名前や顔を認識することは難しく、特に日ごろ指導に当たっていないとなると顔を合わせるのは試合場などということも少なくありません。

もう何年も前の話になります。
ことの起こりは、ある少年部の父親の謂れのない私や指導員に対する誹謗中傷とまではいかない、所謂よくある“不満”“驕り”“悪口”に類するものでした。
おかしなもので、一度そういうことをやりだすと、場所を変えても、又人を替えても同じ事をする。
しかも、神聖な競技の場において酒気を帯びて出入りし、他の支部長にも目を付けられる・・・ということが続きました。
直属の指導員から注意を即し正そうとしても、その次には又別のことをやらかす。そして注意、謹慎。そんなことを繰り返していました。
私からいえば些細な程度の低い戯言でしたが、懸命に頑張る子供にも影響が出ていることは徐々に明らかになりました。
よくものの例えに言うように、恐がりの犬ほどよく鳴く。肝っ玉は小さいが故に少々結果を出してきた息子を傘に着て、自分も強くなったと思いこむ。
どこに行っても何をしても程度の悪い風を吹かせてイキがっているとしか見えませんでした。

あることをきっかけに、そろそろ大きな処罰が必要かと直属の指導員が退会を即すことになりました。
そのあとも意味の分からない動向が聞こえてきましたが、特にどうすることもなく・・。
最近になって、私共の支部のHPの問い合わせのコンテンツからこの父親についての妙なメールが入りました。
正直どこのどなた分からないメールでしたので、それに返すこともなく放っておきました。同じ時期にあるところでこの父親についての同じような噂話が流れていると聞き、正直うんざりした気持ちでした。
ままあることですが、もう気にもかけない者のことをわざわざ耳に入れてくる人もいて、私はその都度侘しく思います。
親としての分際を知らぬが故に、もともと真っ白だった子供の伸びだした芽を摘む。哀れですがどうしようもありません。

支部長として今あることは私の生涯の誇りです。
たくさんの弟子たちを育て上げたことも心より喜ばしいと思っています。
時として私の思いに沿わないことが起きたとしても、それはそれで受け入れねばならない事実です。
そのときの状況に照らして精一杯の対応を心を込めてやってきて今があり、苦労や後悔があったとしても、決して精神を腐らせるようなことにはしてこなかった。それが私の信条であるからです。

今、どの支部でも中心になるのは少年部の子供たちです。
私たちには子供たちの未来に光をともす一助となるための責務があります。
軸をブレさせずにたった一つの道を行く。
私は一生をかけて必ずや遣り遂げます。

いつまでも、巨象にたかるハエのように身の回りが煩いが故、このようにここ一両日に感じたことを書いてみました。

同じ立場にいらっしゃる皆さんはどうお考えでしょうか。


ともあれ・・年度がもうすぐ変わります。
今年の総決算。よかったのか・・反省を込めて総浚いをしてみましょう。


2010年10月29日
師範   秦
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2010年10月21日
師範 秦
【御礼】

謹啓
秋冷の候、皆様方に於かれましては益々ご健勝のこととお慶び申し上げます。
 さて、去る十月十七日開催の極真カラテ2010関西地区大会 第十五回奈良県空手道選手権大会・大仏杯が無事成功裡に終了することが出来ましたのも偏に皆様方のご支援ご協力の賜物と、深く感謝申し上げますとともに心より御礼申し上げます。
  若き日より、大山総裁の直々の教えを享受し今日まで道を逸れることなく、その生き方を不器用と揶揄されようとただ一筋に歩んでまいりました。その間、多くの門下の弟子たちが育ってまいりましたが、我思いとは裏腹に砂を噛む様な思いも多々ありましたが、それもまた自身の血肉となって成長する糧となったのではと良い方向に思いを巡らせております。
 今後も師の教えを守り、尚一層努力精進して参る所存でございます故、尚一層のご指導、ご鞭撻を賜りますよう心よりお願い申し上げます。
この度は誠にありがとうございました。


カエルフォトサービス
ご案内
 
【 極真カラテ 2010関西地区大会 第15回奈良県空手道選手権大会・大仏杯 】
 
★参加いただきました皆様方、又、観戦にご来場いただきました皆様へ★
 
 感動の勇姿と輝ける一瞬を捉えた写真を是非ご覧下さい!!
 
 プロカメラマンの撮影したお気に入りの写真をご購入いただくことが出来ます。
 下記アドレスを入力していただくか、「カエルフォトサービスと入力して検索ボタンをクリックしてください。
 
 
  閲覧にはパスワードが必要です。778888 と、入力してください!
2010年10月21日
師範   秦
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2010年9月21日
師範 秦

★ 典 

2010.9.12 ヒルトン大阪


先週の日曜日、田原一樹君の結婚披露宴に招かれました。
奈良支部で日頃拳をまみえる奈良北和道場の一般部から6名、事務局より2名
私とで9名臨席させていただきました。
一時、田原君は大阪なみはや支部にも在籍していた時期があり、当日は田ケ原支部長と同席しました。


彼は優秀なドクターであることをご存知の方も多いと思いますが、新婦の友美さんも実は列記としたお医者様。
代々お医者様の家系で彼女もまた非常に優秀なドクターでいらっしゃると紹介されました。
もちろんお母様もお医者様です。

披露宴会場に入って席に着き出席者名簿を拝見して驚きました。
我々を除いて殆どが奈良県内の有名大病院の先生方でした。
一樹君と友美さんを取り巻く方々の輪が、どれほど輝かしく素晴らしいものであるかを感じました。

スピーチを頼まれていた私ですが、流石に続々と続く大先生たちのスピーチに圧倒され正直緊張しておりました。


それにしても・・・新婦の愛らしさ〃美しさ〃溜息の出るような輝きを放っておられました。
もちろん!一樹君も一世一代の式典に堂々と友美さんをリードして立派なその姿に感動しました。

宴もたけなわとなったお色直しのあと、いよいよ私のスピーチの番が参りました。

実は、なみはや支部の田ケ原支部長と事前に申し合わせて一興を企んでおりました。

『皆様!たいへん長らくお待たせいたしました!やっと私の番が参りました!』

と第一声を発しますと、会場内がどっと沸きました。
(実は)得意のアドリブがうけて、場がとても和んだことで緊張が解けました。

数日前から用意したお祝いの言葉を心を込めて贈りました。
極真らしく〃極真精神の言葉を取り入れて一番言いたかったことを話しました。

【孝を原点として他を益する】

新しい人生のスタートに当たって感謝すべきはご両親であるということ。
残念ですが新婦のお父様は他界されていて(高名なお医者様だったということです)
お母様の愛情を一身に受けて育たれたと思います。

このあと・・・・
ひな壇前に全員集合とし、ひな壇から一樹君も降りて田ケ原支部長の掛け声の後30本突きをやりました。

やんやの喝采を受けて、私のスピーチとパフォーマンスは終わりました。

お二人揃って
更なる研究心と医者としての使命を持ち、多くの人の命を守る素晴らしいドクターとして輝き続けて欲しいと心から思います。

会場に居た全ての皆さんの心に
〝二人が出逢うべくして出逢った最高のカップル〟であるという確信が残ったことでしょう。


末永くお幸せに!!おめでとう!!







2010年9月21日
師範   秦
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2010年8月19日
師範 秦
【木村洋介君がやってきた!】


8月18日水曜日 8:00~

橿原本部道場 一般チャンピオンクラス

警察官になるための教育期間に入る為、3月一杯で支部を一時退会した木村洋介弐段が、
昨夜、一般チャンピオンクラス開始30分前に現れた。
私は少年部の指導中だったので先ずは事務所に立ち寄り・・・
黒く日焼けし一層精悍な顔立ちになって、直立不動、白いシャツに黒いズボン姿の彼は目をかっと見開きつつも笑顔で

『たいへんご無沙汰しています!只今休暇中で師範をお尋ねしました!』

と、大きな手土産を差し出したという。
聞けば教育期間中に挫折する者も何名もいて、訓練は非常に厳しいものらしい。

今夜はチャンピオンクラスがある・・と解っての来訪である。

夕方に前もって電話があったので、久しぶりだからみんなに激を入れてあげてくれ!
とトレーニング用のシャツなどを持ってくるようにと伝えてあった。

稽古に来ていたチャンピオンクラスの面々も嬉しそうに彼を迎えた。

ーーー今日は気合いが入るぞ!!ーーー
私も楽しみにこの時間を迎えた。

みっちり二時間、木村君を中心に熱気に満ちた充実した稽古は終わった。
『久しぶりにみんなとやってどうだった?!』と私が聞くと
彼は言った。

『押忍!警察官の訓練よりもこっちのほうがきついです!押忍!』

皆で笑い、暫し談笑した。
時間が遅く、残念ながら食事をすることは出来なかったが、思いがけない来訪にとても楽しい時間を共に出来たことを嬉しく思う。

空手で培った精神力や技量が、警察官としての彼の将来を確固たるものにすることは間違いが無いと私は思う。
いや!そう願いたい。

さて・・・・
彼は将来稽古に来れる日はあるのだろうか・・。
その日まで、私自身も又自分磨きに精を出し、彼のあとに続くものを育てねばならないと心に誓った。


2010年8月19日
師範   秦
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2010年8月12日
師範 秦
【続:嬉しいこと】


(^^)v 

新黒帯の五名と一緒に合宿先で赤福餅(&御福餅)を食べ歩き・・・

7月のサマーキャンプの二日目。夕方の自由時間に新黒帯となった5人と一緒に二見の旅館街を散策。
先ずは、かの有名な赤福餅本店に。夏場は赤福が載ったかき氷が有名です。緋毛氈のかかった床に腰掛けて打ち解けた会話をしながらかき氷を食べました。笑み満面!!実は私は《赤福餅》の大ファン!もちろんかき氷も大好きです。

半分冗談でもありましたが、このあと我々は御福餅を食しに行きました。
いわば福餅の食べ歩きであります。
めでたい〔福〕の字のつくアンコ餅は実に美味しい!

♪伊勢~の 名~物 赤福餅はいいじゃないか~♪

昇段審査では厳しい目で五人の審査を行い、鬼のような師範と思われたことでしょうが、この日は実に楽しい時間を共有することが出来ました。

極真の黒帯は他のどの空手道の黒帯よりも値打ちがある。
私だけでなく、実際に修業を重ねて極真の黒帯を手にしたもの全てがそう実感します。
まさしく〔苦行の後の最高の喜び〕〔修行者の憧れの極致〕と言えるでしょう。

新しく誕生した五人の黒帯に私は大いなる未来への飛躍と、武道家としての人間性の確立を、心から期待しています。

若き彼らに赤福を!御福を!大いなる祝福を!・・・・^^;





   



(^^)v

黒帯の里奈ちゃんが訪ねてきました!!

『押忍!師範、この前のパーテイにプレゼントを渡せなかったので今日持ってきました。自分が焼いたパンです!押忍!』

ほんとうかーー師範嬉しいな~~

右手を故障して手術し、今リハビリ中の里奈ちゃん。

早く復帰してがんばれよ!!

と激励しました。

帰ったあとから袋を除くと心を込めて焼いてくれたんだろう・・山食パンが入っていました。そして手紙。

いつも思います。
空手一筋にやってきて良かった。指導者として頑張ってきてよかった。
弟子や生徒の温かい真心に触れたとき師範冥利に尽きるのです。

ありがとう!!








(^^)v

忘れていたら・・嬉しいことがありました!

今日11日は私の誕生日。この前の日曜日にみんな集まって一足早くお祝いをしてくれたので、うっかりしていました(´`;)・・
水曜日は少年部の稽古の日。又・・嬉しいことがありました。
少年部の子供たちからこんなプレゼントが届きました!

私は、つくづくと世界一幸せな師範です!!

みんなありがとうヽ(^O^)/












2010年8月12日
師範   秦
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2010年8月11日
師範 秦
【嬉しいことがいっぱいありました!】


(^^)v 

まこちゃんが美味しい葡萄を持ってきてくれました!!

まこちゃんは、夏休みの間上の太子のおばあちゃんの家に行ってるらしく、今は稽古に一人で電車で通っています。上の太子は昔から葡萄の栽培が盛んで、山は一面ブドウ畑。おばあちゃんのところで出来た新鮮な葡萄を貰いました^^
一緒についてきたかれんちゃんとかのんちゃんも一緒にカメラに収めました。
純粋で屈託の無い笑顔にこちらまでうれしくなり、このまま素直に育っていってほしいなと思いました。ありがとう!まこちゃん。おじいちゃんおばあちゃん。大好きな葡萄を早速いただきました。







(^^)v

ドクター一樹君の結婚!!

26年この奈良の地で師範をやってきましたが、その間様々な職業の一般道場生が育ちました。警察官も何人かいて、この前このへそのコーナーにも紹介しましたが現役選手だった木村君も今警察官になるべく特訓中。
そんな中、意外に思われるかもしれませんが、お医者さんも数名います。
不思議なことに、お医者さんも、警察官も、みんな最終的には黒帯を取っています。
そのお医者さんの門下生。田原一樹君から7月に結婚式披露宴への招待状をいただきました。私の話しかけに大きな声で〝押忍!〟を繰り返す。少しも偉そぶったこともなく、あくまで師範と弟子の立場を崩さない。見上げたものです。
医者という職業をとても手の届かない立場のひと・・と取る方もいらして、気難しいとか近寄りがたいとか思う方もいらっしゃるでしょうが、彼は飛びぬけて《気さく》《素朴》《楽しい》という印象のとても素晴らしい人間性を持っています。
暫らく大阪の病院に勤務していたため、久しぶりでしたが挨拶にわざわざ来てくれました。招待状は届いてもそこまで丁寧にしてくれる人は実際珍しいです。
しかも!!愛妻となる彼女を同行して来てくれました。
さすが!ドクター一樹が選んだ花嫁は素晴らしい女性でした。笑顔の愛らしい可愛い女性(ひと)でした。内科のドクターだそうで、こんな優しいドクターなら診てもらいたいなんて思いました^^:

結婚式は9月。今からとても楽しみにしています☆
ん・・・・スピーチを頼まれたが実は頭を悩ませているよ。

追伸:お祝いだからね〃写真を載せさせていただくことを許してください。





(^^)v

牛窓へ・・・バイクで行ってきました!

久しぶりにフリーの日曜日。バイクを飛ばしました。
岡山県の牛窓(うしまど)。温暖な気候でオリーブ栽培が盛ん。そしてその海の美しさから《日本のエーゲ海》と称されます。
訪れるのは二度目。姫路のツーリングとダイビング仲間のY社長と久しぶりの一日を楽しみました。
かの有名な画家竹久夢二の生地でもあります。記念館にお邪魔しました。
竹久夢二の描く独特の女性画は明治・大正時代のレトロモダンを感じさせます。
知り合いのお店にたまたま《黒猫を抱く女》が飾られていて見入ったことを思い出しました。
午後からは、彼の所有するアルカイダという名前の(--:)クルーザーで海に出ました。
久々に体中に海風が吹きぬけ、何もかも忘れる最高の時間でした。夕食はご当地では知る人ぞ知る〃【リゾートホテル・リマーニ】の鉄板焼きレストランでステーキを食べました。うまい!!
たった一日でしたが大いに英気を養いリフレッシュして帰ってきた次第。

またがんばるぞ!!













2010年8月11日
師範   秦
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2010年6月30日
師範 秦
【おげんきですか?】


じめじめとした梅雨の季節、体調を崩しがちですが皆さんお変わりありませんか?
もうすぐ夏休みですが、学生の皆さんには期末テストを前に奮闘中ではないでしょうか。頑張ってください。
新年の合同稽古から、冬合宿・春季審査会・キッズカップ、そして5月30日には昇段審査を実施し、前期の行事が終了しました。
6月のウエイト制大会では初出場の若手選手も含めて7名が奮闘しました。
女子の型の部では天理の伊藤観世選手が優勝し、組手の部でも三位に入賞を決めました。
7月には19日の交流試合の開催に続いて、23日から二泊でサマーキャンプも実施されます。夏休みの始まりはサマーキャンプから!!
その頃には梅雨も明けて真夏の太陽が顔を出していることでしょう。

さて、暫く振りの大仏のへそへの書き込みです。身近で起きたことや気付いたことなどいくつかお話させていただきます。


《狭い道でのクラクション》

職員に聞いた話です。車二台は通れない狭い道の右側を傘を差して歩いていたら、真後ろに猛スピードで軽自動車が近づいてきて大きな音でクラクションを二度鳴らしたので驚いたという。
邪魔になっていないはずだし何事かと思ったら、5メートル位先の駅前からワゴン車が入ってきたのが見えて、どうやらその車に向かって鳴らしているのが分かって、ワゴン車はバックする気配。そしたら軽自動車の助手席から学生が慌てて降りて走って駅に向かった。どうやら母親が電車に遅れそうな息子を乗せて駅に送ってきたようだったといいます。

ときたまに無闇にクラクションを鳴らして威嚇しているような車を見ることもありますが、今回の話のように自分の都合で一方通行でもない道路で、まるで相手に非があるかのようにクラクションを鳴らすのはどうでしょうか・・。

塾通いの子供たちを迎えに来た保護者の車が駅前の道路を塞ぎ、歩行者の邪魔をする。うちの道場にもそれはいえますが、くどいほど注意しているにもかかわらず、雨の日などわが子が濡れるのが可愛そうだとばかりに道場前の路上に車を停めてずっと待っている車が何台かあるのが現実です。

自分さえ良ければという親の意識は必ず子供たちに受け継がれます。何度も言っております。社会のルールは口で伝え、又親が範を示さねばなりません。
だって・・・だって・・・は通じません。


《言葉は人間性を語る》

昨日、友達が道場を訪ねてきたのであるお店に食事に行きました。ネパール料理の店。安くて美味しいので自分も行きお知り合いになった方にも紹介しています。
久しぶりに行ったら二つのグループが賑やかに談笑していました。
若い人4人。40代風のひと3人。その若い人達がやたらに大きな声で話すので気になり・・。ネパール人の気のいいマスターを呼びつけてつまらない質問をしたり、ネパール語の本を借りて大声で読んだり・・兎に角大騒ぎ。
「カレーもうできる?」「なあ〃ネパールで自慢って何?」という具合。
ヒマラヤ山脈が中央アジアの各国にまたがっていることも知らないのか・・。
もう私語が筒抜けで、とにかくつまらない内容に終始して・・。

そのとき、がらがら声で足を男性のように広げて話していた女性が真向かいの男性に「先生〃先生は理科と何でしたっけ?」と聞いたことで、このグループは教師だと判明。
私は心底がっかりしました。教壇に立つ先生の会話としたら内容の薄い、はっきり言って品格の欠片もない会話であったと。
言葉は常に自分を表し、時にその人の人間性をも探ることが出来るのです。
又教養というものは、一般的に学問的なものと思われているけれど、世間の一般常識に長けていて他の人を思いやりながら会話を楽しめる人にこそ教養や品格が現れると考えます。


《どうしていますか?》

黒帯を持ってる君たち。
黒帯を手にしてから君たちの魂はどこに行ったのか・・と師範は不思議に思っています。
黒帯を締めることが最終ではないと皆レポートに一様に書いています。
後輩たちの模範になるように、師範や応援していただいた方々への恩返しを、後進を育ててゆきます!などそのとき限りの奇麗事が並び、正直がっかりすること暫し。
先日の昇段審査では、5人それぞれが不得手な部分もありながら最後まで諦めることなく完遂した事に拍手を送ります。
並々ならぬ努力と学習の後が見えたのは一般女子の受審者でしたが、彼女はどちらかというとこつこつと積み重ねてゆくタイプだと私は思う。
私の元でトレーニングも欠かさない。自営の仕事はかなり多忙で家族の面倒も見ている。なのに時間を見つけて自分磨きを欠かさない。たいしたものだと思う。彼女はいう。これからは何も出来なかった自分をここまで育ててくださった師範や先生に恩返しをします。この言葉に嘘はないと信じたい。

極真の魂が抜けた黒帯は何の威力も威厳も魅力もないぞ!!


さて、書きたいことはもっとありますが今回はこの辺で。

岡田ジャパンが快進撃!明るいニュースにホッとする私です。


       

2010年6月30日
師範   秦
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2010年3月26日
師範 秦
【―別れ―】
桜の開花宣言がなされて、一挙にこの辺りの景色も桜色に染まってきた。
春は・・
今年も忘れずにやってきた。



昨日の夜、
4月に社会人としてスタートする弟子の送別会があった。
この弟子のことを、一つ前の大仏のへそに書いた。
聞けば、たくさんの人たちがこの文を読んでくれて、そこで初めて彼が旅立つことを知った人もいた。
分支部長たちや職員、事務所の関係者、道場で後輩として直接に手を併せてもらった若手もやってきて極内輪の送別会となった。

私は出席を渋ったわけではないが、正直別れの席には気が向かなかった。
だからといって師範が出ないでは皆の気持ちが無になる。
奈良での審査会を終えて一路送別会の会場に向かった。

飲むか・・・・そして飲ませるか・・・・・・・・

まだ心を開いて話ができていなかった。
気まずかった。
なぜ?気まずいのはむこうではないか・・
といわれてもなぜか気まずい思いは自分のほうにあってできればもうこのままでもいいと思うくらいだった。
順序を一つ一つ追ってきた結果〔報告〕であれば心の準備もあったかもしれない。

〝 乾杯 〟直轄指導員Nさんの発声で会は始まった。

飲み放題、食べ放題の焼肉の席。
彼は私の横で固まっていた。
別に叱るつもりなど無く、めでたいことなのだから・・
だが、彼は最後まで正座を崩さず、差し向けられる酒を杯に満たし、喉に流し込んでいた。

固まったままの彼に
食べろ〃と時々皿に肉を落とす。

――過去に幾度こうやってこいつと食事を共にしただろう――

食べることも修業
先輩や師範方や先生たちとの酒席では飲むことも修業
体を大きくして今あるガッツにパワーをプラスしろ!
なんども繰り返し言ってきた。

懸命に食べた。
そして共に飲んだ。

それは彼にとってどんな時間であったのか・・
聞いたことは無い。

私にとってはまたとなく楽しい時間であった。
大きく強くなる姿を夢見て自分の魂を注ぎ込むことは、激しい稽古をつけることと同じだった。

昨夜
彼はそうたいした量ではない酒に酔った。
そして・・・・・・大声で泣き始めた。
そして・・・・・・大声で言った。

『やめたくないですーーーー』

そして手放しに〝わぁーーーーーーっ〟と泣き続けた。

空手での日常をほとんどともにする職員のN君にしがみついて彼は泣いた。
介抱する事務員のOさんは泣きながら彼の背中をさすってくれていた。
感極まって皆が泣いた。
別れるのは寂しい。
そしてもうすぐ開催される大阪での全日本ウエイト制大会で、彼の勇姿を見たかった。
誠実で明るい彼の人格を、取り巻くもの皆がきっと好きだったと思う。

私は沈黙した。
これで彼は全てを打ち明けたのだ。そう確信した。
就職することはこれからの人生において大きな節目であると同時に、これまで見守ってくださったご両親への恩返しのためのスタート地点に立つということでもある。
だが・・・・彼の空手人生は今が花だった。本人も充実した状況の中でその夢を断ち切ることは断腸の思いであったろう。

師範である私への申し訳ないという想い
可愛がってもらったT先生への想い
一緒に修行に励んだ仲間たちへの惜別の情

時間に猶予のない現実に頭の中がいっぱいになっていたのだろう。
先輩の車の後部に乗せてもらい赤児の様に手放しで泣く彼に私は言った。

『お前の気持ちはよくわかった!立派な社会人になってお父さんお母さんに恩返しするんだぞ!そしてな〃来れるようになったら又来なさい!その日を師範は待ってるから!』

今日、職員N君のメールで
彼が何をしたのか・・何を言ったのか・・・一切の記憶が無いらしいと。
まぁそんなもんだ。
催眠術にかかったようなものだったのか。

彼の本音を、同じ場所に居た20人と共に私はしっかりと心に刻んだ。
気持ちのいいこの若者に出会えた幸運に、改めて心が熱くなった。

明けて水曜日。事務所に顔を出した彼がこう告げたらしい。
『半年後に必ず戻ってきますので、そのときは又よろしくお願いします!』


〝 頑張れ!! 〟


緊張の・・


宴たけなわ


続く別れの杯
2010年3月26日
師範   秦
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2010年3月20日
師範 秦
【華やかさの中で】
明日は春分の日。彼岸の中日とも言う。春分の日を挟んだ前後3日間を合わせた1週間をお彼岸と言う。

彼岸の入りと、彼岸の明けを挟んだ春分の日はお墓参りに行かれる方も多いでしょう。季節の変わり目に無病息災を願って、ご先祖様や故人に手を合わせるのは気持ちのいいことだと思う。


今日は暖かいのに春の嵐が吹き荒れて、橿原の本部道場も風で唸り声を上げている。そのせいか何故か気持ちが落ち着かず、ともすれば心に虚しさを覚える季節でもある。


又、この時期は卒業と入試のシーズンでもある。

昨日も今日も学校や保育園では卒業式が行われていて、別れのシーンがあちこちで繰り広げられていることだろう。

又、社会人になる人にとっては、自分史に新たな一歩を刻む季節でもある。




何日前だったか・・弟子で現役選手のK君から就職が決まった旨の報告を受けた。あまりにも唐突で私は喜びと同時に少し大袈裟だけれども唖然としてしまった。


小学校二年生から15年の間指導し、彼の成長と共に見守ってきた。

小さい頃は体が小さく組手でよく泣いた。今のように少年部の会員が大人数ではなかった頃、私は鬼のように恐い存在であったかもしれない。


少年部の時代のエピソードの一つ。


道場訓をなかなか覚えてこないK君に「今度の稽古までに覚えてきなさい!」と言っておいたら、次の稽古に姿を見せなかった。

心配もあって事務員から家に電話を入れさせたら、“空手に行ってきます”と家を出てそのまま公園で時間を潰していた・・というような子供らしい辻褄合わせに思わず笑ったが、次に稽古では私に叱られて又べそをかいた。


大学受験で暫くのブランクがあったが、復帰後一年にして彼はめきめきと頭角を現す。

彼の空手への夢を成就させるべく、私もまた努力した。大きな大会で入賞するほどの力を付けてきた近年、あと一歩の前進で彼は彼自身の空手の夢をその手に掴んだかもしれない。

いや!つかませてやりたかった。

食の細い彼を食事につれてゆき、食べることも修行だと言うと、『押忍!』と目を見開いて食べる姿は微笑ましくもあった。


性格が真っ直ぐで、真面目。他の道には決して逸れない太い気持ちが彼にはあった。

大学の四回生だから、丁度社会人への過渡期でもあるので、どうなのか・・・ということを私から何度か聞いてみたり、直属の指導員がはっきりと将来はどうするんだ?等とも何度も聞いていたようだ。

だが、笑顔を見せているだけで、もう一年現役を続行するのか?などと気を揉んでいた。


言い出しにくかったか・・。


今にして思えばそういう気持ちも察することが出来る。


兎に角も、親御さんも一安心されたことと思う。今の時代、就職難は続く。公務員試験も何度もチャレンジしている人もいる中、一発で決めた彼を立派だと褒めてやりたい。

彼のことだから、両立しながらとう言うことも将来的にはあるかもしれない。

そのときを待とう。



桜にはまだ早いが、彼には満開の春が来た。

私にははらはらと花が散る様を見るように正直寂しい思いではある。
2010年3月20日
師範   秦
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2010年2月5日
師範 秦
【今年も鬼がやってきたぁ~】
2月3日節分

節分とは、年の分け目。
立春・立夏・立秋・立冬この4回の節分があるけれど
特に冬から春への節分に行事が行われることが通説になった。
季節の変わり目で一番厳しい時期なので、健康を願って節目を乗り切ろうという気持ちの表れかもしれない。

私の子供の頃は、どの家庭でも豆まきをした。
今はどうなんだろう。
夜になったら雨戸を開けて「鬼はーー外!」と煎り豆を撒いて何度か繰り返す。
次は家の中に豆を撒く。「福はーー内!」
村の鎮守様にお参りして豆をお供えする。そして家に帰れば食卓には鰯が載っている。
柊の枝に鰯の頭を刺して入り口に付けておくと邪気を祓うといわれていた。
マンション暮らしも多くなり、街中でそういう情景に出くわすことがなくなった。
恐らく地方に行けばきちんと節分の行事は、親子代々と継がれてきちんと行われているのだろう。
情緒たっぷりなそんな情景があることがうらやましい。

今日は丁度橿原道場は水曜日で、幼年と少年部のクラスが続いた。
事務所のものに豆まきの用意を頼んだ。
幼年のクラスが終わり、次の少年部合同との間の時間を使って豆まきをやろうと決まった。

鬼は師範!お願いしますよ!
と言われてしょうじき「こりゃ困ったな・・と思ったが奮起した。

用意された豆や飴やチョコレートを両手に持って子供たちが待っている所に赤鬼乱入!!


泣き虫はどの子だあ~~


いうこと聞かない子はだれだあ~~


鬼に金棒ならぬ・・道場にある木製の巨大棍棒を片手に持って。


3歳児くらいはチョコレートや豆の袋を持って固まっている。
あまり恐がらせてはいけないと思っていたが
思いのほか子供たちの攻撃が、映画《レッドクリフ》で見たような矢の大群のように飛んできて
鬼の私は退散した・・・・やれやれ。

折角着た赤鬼の衣装、ついでに二階のスタジオにも乱入し、お客様にも喜んでもらった次第。




今日は立春。


早春賦

春は名のみの 風の寒さや
谷のうぐいす 歌は思えど
時にあらずと 声も立てず
時にあらずと 声も立てず

氷解け去り 葦は角ぐむ
さては時ぞと 思うあやにく
今日もきのうも 雪の空
今日もきのうも 雪の空

春と聞かねば 知らてありしを
聞けば急がるる 胸の思を
いかにせよとの この頃か
いかにせよとの この頃か





春はもうすぐですよ。
2010年2月5日
師範   秦
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2010年2月1日
師範 秦
【負けないということ】
昨年の11月13日付の大仏のへそに、私は書いた。届かぬ思い・・その届かぬ思いはあることが発覚して完全にぶち切られ、腐りかけたものを口に無理やり押し込まれたような反吐の出るような思いに変わった。

自分には指導力がないので云々・・ これは黒帯Ⅰ
転勤なので退会します・・ .Ⅰといつも行動を共にしていた茶帯。

言い訳とは思いつつ、私は何か自分がし残したことのあるような気持ち悪さが否めなかった。一人前の人間を私如きがどうこうできるというものではない。
だが、仮にも自分は極真空手の師範である。だからして、人を正しい方向に導くのは故大山総裁から受け継いだ遺志である。
だから、彼らをどうにか出来なかった自分に力不足を感じたとも言える。

彼らは雁首をそろえて、よりにもよって、何年か前に後を思い切り濁して造反したある人間の下に身を寄せているらしい。
こんな噂や事実は秘密裏に動いていたとして、必ずあっという間に風に乗って私の元に届く。

実に情けない。仮にも歴史ある極真の教えを受けたものである。腰に締めた帯の重さを認識することなく、よく恥ずかしめもなく蠢く虫の中に入っていったものだと思う。
在籍中から自分勝手な行動が目に付いていたことや、距離感がなかなか埋まらないことに自分からできるだけ手をさしだすようにと心がけていたが、結局は響かなかったということだった。
ここに来てなりふりかまわず全く裏側の人間になってしまったことに、正直なかなか理解が及ばなかった。


誰しも《勝ち・負け》を意識したとき勝ちたいと思う。スポーツや武道においてはまず100%勝つことを意識して臨む。小さな子供でさえ、かけっこで一線に並んだとき「よーーし!一番になるぞ!」と意気込む。親は必死になって応援する。負けてもきっと言うのだ。『頑張ったね!』
しかし言えるのは負けても本人の意識次第で次へと向かう気持ちがわくこと、それは負けてこそ見に付く人間としての強みだ。負けることにも意味がある。
だが、大にしてなかなかそうは行かないのが人間の常。
勝つ・負けるということは、勝負の世界だけではない。
人が生きてゆく上でも、随所においてそういう場面に出会うことがある。

私が一番愚かだと思うのは【自分に負ける】ということだ。
この言葉の理解はなかなかに難しい。自分に負けるってどういうこと?
武道やスポーツに身を置く子供たちには、漠然とだけれど分かるかもしれない。

自分に負けることは自分のプライドを捨てることだ。
今までの自分を捨てることだ。
何事も続けることに意味があり、その対象には真実の魂が宿っていなければならない。だからこそ続けることに意味がある。
他人のふんどしで相撲を取るな!
自分に負けたことに蓋をして生きるなど、日陰のぺんぺん草とおなじだ。
堂々と日のあたる表舞台で男なら勝負しろ!
と、私は言いたい。

配下の分支部長に勧められるまま、身を寄せたというHPを開いてみた。
まるでその道場の古参の道場生であるかのように稽古をする姿がそこにあった。

身を落とす。
私からいわせればそうとしか思えない。
君たちに極真の精神は宿ってはいなかった。己のなかに巣食う虫に食われてしまって中は空洞であるに違いない。

残念ではあるが、身から異物をこそぎ落とした・・そんな身軽になったという想いもある。

去るもの追わず。
私の信念や行く道はたった一つ。永遠に変わらない。



■この二名は退会届を受理したと同日、永久除名・破門とした。
2010年2月1日
師範   秦
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2010年1月21日
師範 秦
【旅立ち】
秦師範へ

急に退会するってなってごめんなさい。
ここまで頑張って来て辞めるなんて、とてももったいないって思います。
こんなに続けれてこんなに頑張れたのは、極真空手だったからだと思います。
何回も辞めたいって思ったとこもありますが、ここまで頑張って来れたのは、やっぱり秦師範や先生方、いつも応援してくださった周りの人達、そして両親のおかげだと思っています。みんなが居なかったら私はすんなり辞めていたかも知れません。
今、空手を辞めるってなってとても辛いです。
辞めてしまったらもう空手の友達に会えないし、まだ世界一になってないし、リベンジしなきゃいけない子だっていっぱいいます。負けたまま終わるなんてとても悔しいです。
そして何より私が唯一頑張れたことだからです。
もう私には頑張ることが出来ないのかと思うと、とても悲しいです。
でも、私にはしなきゃいけないことがあります。
それは・・・親孝行です。昇段審査を受けるときの作文にも書きましたが、今でも親孝行と言えるようなことはまだ何も出来ていません。だから、私には考えがあります。
これから私は高校に入り、社会人になって行きます。高校に入学し、高校生活に慣れ、落ち着いて来たら、バイトをしようかなと思っています。頑張って働いて、初めてのお給料で一番に両親に何かいい物をあげるか、何か喜んでもらえるようなことが出来たらいいなと思っています。
初めて自分で稼いだお金でいつもお世話になっている両親を喜ばしてあげたいです。今まで迷惑ばっかりかけてきたので、これからは私がちゃんとした大人になって両親に楽させてあげたいです。
私はちゃんとした大人になります!今まで私のことを思って時には厳しく、時には優しく叱ってくれた秦師範、本当にありがとうございました。
心配ばかりかけてごめんなさい。いつもこんな私を可愛がってくださって、応援してくださって、本当にありがとうございました。おかげでここまで成長することが出来ました。本当にありがとうございました。
勉強はあまり得意なほうではありませんが、常識のある筋の通った立派な人間になり、何事にも挑戦し、頑張って行きます!

  「はい」という素直な心
  「すみません」という反省の心
  「私がします」という奉仕の心
  「おかげさまで」という謙虚な心
  「ありがとう」という感謝の心
  「我慢する」という強い心

日常の六心はこれからもずっと忘れずに歩んで行きます。
今までお世話になったこと、絶対に忘れません。
お体に気をつけて、これからも、極真会館奈良支部の師範として道場や道場生のみなさんを守り続けて下さい。
色々たいへんやと思いますが頑張って下さい。
応援しています。
それと、最後になりましたが、私のこと忘れないで下さいね!
本当に本当に、
ありがとうございました!!   
                              押忍

弟子が又一人旅立った。
女子中学生の黒帯初段が暫らく稽古を休んでいて心配していた。
楽しそうに稽古に来て他の少年部の面倒をよくみていた。
さっぱりとした気性と風貌が合っていて、将来一般部の国際大会などで活躍すれば一気に有名選手となる素質十分であった。いわば天理道場の伊藤観世弐段の次を行く期待の星であった。
高校受験を控えていることや、成長の過程においては過渡期でもあるので、気持ち的なことで揺らぎがでてきたかな・・とも思っていた。
こんな時代だから、家庭の事情であるかもしれない・・失礼かもしれないがそうも思った。

私の居ない時に保護者が退会届と休会届けを取りにきたという。
やっぱりそうか・・と私は落胆した。
どっちにするか迷っているのだろう。そう思っていたら父親が付き添って本人が退会届を持ってきた。

そしてこの手紙を受け取った。

多くの子供たちに長年指導をしてきて、昨今は、幼年と小学生の子供たちが私の支部でもご多分に漏れず在籍生徒の大半を占める。
時代を反映するかのように一般部の入会者が少ない。
今年の大卒の就職率が70%だという。高卒で60%をきっている。
この就職難の時代、めでたく就職した企業もあっけなく倒産の憂き目に遭うことも珍しくない。
学費を捻出するのに親は共働きで頑張る。高校や大学に入る前から塾通いなどで家計は圧迫されていることだろう。
どこを切り取ってみても〝不安の構図〟は行き先付いて周るのだ。

空手の修業に身を置いて精神力を鍛えたい!鍛えさせたい!そう思う若者も、幼子の保護者もいるんだろうが、生活が成り立つことが優先されるのは致し方の無いことだ。

この手紙にそんな現代の世相の縮図が垣間見える。
しかし・・・よかった。私はこの世界で生きてきて、仮にも師範といわれて多くの生徒を育て、日々極真の精神性を説いてこれたことをほんとうにありがたく、そして嬉しく思った。
《 師範冥利に尽きる 》
繰り返し手紙に目を通してつくづくそう思った。


六心

だが!人生は思うようにならぬが常。今熱く志に燃えて突き進んだとして、人の生きてゆく道程には越えなければならない壁がごまんとある。
一つ一つの壁を越えてゆくには、健康な体と堅固な精神力が必要だ。


道場訓

十年間通い詰めた道場で学んだものは、きっと君の底力となって君の人としての成長を助けるだろう。
恐れずに進んでほしい。
今、まだ中学生のその年齢で【親孝行】に目覚めた君に心から拍手を送りたい。


極真精神

極真空手の真髄はこの言葉に集約されている。

見守りたい!
君が立派な大人になる日まで!
そして又帰ってくる日があるようにと祈る。

頑張れ!!

最後にひとつ紹介したい言葉がある。

気持ちのいい人に会うと、その一日一日が楽しい。
ましてそれが若者であると、
先の方までずっと明るい感じに見えてくる。

/城山 三郎




総裁から


弐段から   


初段

■今頑張っている多くの後輩たちに、君の純粋なこの手紙を読ませてあげたいと思ったが故、了解を得ずして公開することをどうぞお許しください。

2010年1月21日
師範   秦
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2010年1月8日
師範 秦
【お伊勢参り】

新年もあっという間に一週間が過ぎました。皆さんおかわりありませんか?
休みの間はついつい体を動かすこともなく、食べてはテレビを見てすごす・・というようなことになりがちです。
何日間かじっとしていることが続くと体の筋肉が衰えて、逆に消費されない分のカロリーが溜まってしまって数日の間に体重が一気に増えてしまうというようなことになりかねません。
私の3が日は、できるだけ毎日体を動かそうと時間を見つけては道場に出向いて筋トレをやったりして、ついつい怠けがちな体と気持ちを奮い起こすようにすごしました。道場に届いた年賀状を見る楽しみもありました。
少年部の皆さんはたくさんお餅をいただきましたか?お正月のお雑煮に入ってる丸いお餅のように一年をまーるく過ごす。そしてお餅のように粘り強く頑張るという意味合いがあるようです。

さて!年頭のご挨拶に書きましたように【お伊勢参り】を実行しました。
4日のことでしたが、後でテレビのニュースで知りましたが、この日の午前中には自民党の谷垣総裁が、午後には鳩山総理大臣も参拝されたとか。

明日からの道場の稽古始が気になって道場に出向いたりしていたため、少し出発が遅くなりました。
橿原を午後3時30分頃に出発。東吉野から三重に入る旧伊勢街道をひた走りました。約3時間で内宮前に到着。
4日ということと既に日が暮れかけており、人の数は少なかったです。
内宮の大神門をくぐると五十鈴川にかかる宇治橋を渡ります。
昨年20年に一度の架け替え工事が行われて、昨年の11月3日に完成した真新しい橋を感慨を持って渡りました。
いつも伊勢神宮に来ると思うのですが、この宇治橋を降りて歩く参道で既に気持ちが非常に引き締まり、参道の両脇を埋める大木の数々に圧倒されるのです。
神宮のご神木の1本1本にやはり神のエネルギーが宿っているように思われます。

式年遷宮といって、20年に一度社殿自体を作り替える行事が平成25年には行われます。
今ある内宮のすぐ横の場所にその用地は用意されております。
内宮に鎮まる神は天照大神。わが国ではもっとも貴く、国家の最高神とされています。それゆえ一国の総理大臣も参拝され、又、皇室の宮様方も繁くお参りになられます。
今回、時間が遅く、随所にカメラを向けることが出来ませんでしたが、ご参考にネットで集めた画像を少し載せさせていただきます。

古今、お伊勢参りの旅人は数知れません。八百万の神々が集まるパワースポットには誰しもが心惹かれます。
皆さんにも是非お勧めしたいと思います。

昼間なら観光客用に作られた神門前から続く《おかげ横丁》に足を伸ばして、伊勢名物に舌鼓を打つのもお勧めです。家族みんなで楽しめるのではないでしょうか。

地元の橿原神宮、そして今回の伊勢神宮と今年は心清清しくお参りさせていただきました。
県下の各道場では稽古も始まり、日曜日には合同の初稽古も行います。
お年玉もたくさん用意しました。
年間努力賞の最高稽古数はなんと290日。そして驚いたのは一般部が最高稽古数で表彰されます。過去になかったことだと記憶します。
頑張ってくれました。その成果が今年発揮されて実績として輝くことを祈って止みません。

さあ!
指導する我々も、稽古に励む皆さんも共に今年も気合一発!頑張って行きましょう!!

   
2010年1月8日
師範   秦
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2010年1月1日
師範 秦
【新年あけましておめでとうございます】

ご家族お揃いで元気に新しい年をお迎えのこととお慶び申し上げます。
年頭に当たりましてひとことご挨拶申し上げます。

昨年は何度か口にしましたように、景気の低迷の影響を受け士気の上がらない一年でした。政治への不満の矛先が政権交代を起こさせる結果となりましたが、国民が期待する上昇気運は果して叶えられるのか・・疑問です。

何かのせいにして沈滞することはやめようと決意しました。
己の信念は《不屈の精神で前に進むこと》であったはず。支部開設から26年間休むことなく進んできたことは自分自身で評価し、今の時代に沿った変革をこれからはやっていかねばならないと思うのです。

職を失って新たなスタートを切らざるを得なくなった方もいらっしゃることでしょう。何年か前までは支給されていたボーナスなどもカットされ、家計の遣り繰りに困窮されている方も多いことと思います。
気持ちの切替はなかなかに難しいと思いますが、ここで気持ちを大きく切り替えて新たな出発をせねばならないのではないでしょうか。
そのことによって、一旦得た暖かい環境ががらりと変わることもあるかもしれません。私とて同じラインに立っております。

寒い冬のあとには必ず花咲く春がやってきます。
そんな気持ちで一緒に一歩ずつ歩んでゆきましょう!

ともあれ・・年は明けて暫らくは、新年の挨拶があちこちで繰り返されます。

今年は、何年か行ってなかった伊勢神宮へ足を伸ばしてみようかと、私は思っております。又、ご報告できることもあるかもしれません。

さて、10日は新年合同稽古が橿原市の曽我川緑地体育館で行われます。
初稽古といえば毎年楽しみにしてもらっているお年玉グッズが恒例です。
何も無い初稽古は寂しいだろうと、一生懸命お年玉をいろいろ取り揃えました。
年間の努力賞の発表もあります。
ぜひ!皆さん、元気な顔を見せてください!待っています。

皆さんのご多幸をお祈りします!!

2010年元旦       
2010年1月1日
師範   秦
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2009年12月16日
師範 秦
【年の瀬】

年の瀬も押し迫り、あと2週間ばかりで今年も終わる。
この前の日曜日に今年の最後を飾る県下各道場の交流試合を奈良市内で開催した。
250名のエントリーであったが、新型インフルエンザの罹患で数名が欠場となった。
だが、出場選手は元気一杯!気合充分に会場に参集した。総じていい試合が各コートで繰り広げられたと思う。
長年のことであるにもかかわらず、私は実践の気の張り詰めた現場に立つとき身震いを感じる。
勝ったほうも負けたほうも、終わったあと私のそばに挨拶に来る。負けた方は悔し涙を流している。目標の優勝カップを手にした一般の選手も喜びに手放しで泣いている。
この感動がたまらない。
硬く握手をして、どの選手にも『よくやったな!頑張ったよ』と声をかける。

今年はインフルエンザの恐怖に振り回された一年だった。学校では未だに学級閉鎖や学年閉鎖で休まざるを得ない子供たちが居るようだ。多くの子供たちに接する機会が多い我々指導者も気が気ではない。

気持が沈むので本当は書きたくないが、不景気の世相の中、《デフレスパイラル》なる言葉が飛び交った年でもあった。
100円台の根付けをした弁当屋の主人がぼやいていた。
こうしないと勝ち残れない、しかし朝から晩まできりきり舞いしても儲けは無い。

どこも同じ様相を呈していて、うかうかしていられない。人事ではないのだ。

飲食店も居酒屋もスーパーでさえ、生き残りをかけて様々な手法で客を呼ぼうと必死である。

樹木を彩る発光ダイオードの青いイルミネーションが寒々しく感じる。

時代が悪くなると人の心も荒む。凶悪な犯罪や猟奇的な殺人事件などが相次ぐ。
この日曜日には、地元の私鉄で特急電車に飛び込んだ人が居た。自殺も多くなる時期だ。
地球滅亡の映画などに人が集まる。
まるで世紀末の予想図を確かめるかのように。

年中気持を一定にと心がけている私も流石に今年は心が〝寒い〟。

さあて・・来年はどうだろうか。
生き残りのためには頭を使わなければならないだろう。
事業主の方たちも家庭経済を預かる主婦の方々も同じだ。どこを削って節減するべきか!を真剣に考える。
もうこれ以上は無理といわれたところをもう一度見直す。
我々のような一般庶民はそれくらいが精一杯の頑張りである。

時の首相が、兄と揃って母親から年間億を超える資金援助を受けていたことに口があんぐりする思いだ。
まったく馬鹿げている。
庶民の感覚が分からぬセレブな政治家に、ぎりぎりの明日しかない国民の苦しみや苦悩が分かるものか・・・。

と嘆く。
吠える。

我々はなんだかんだ言っても頑張るしかない。
逆転ホームランはまだ先になるが、いつか笑い話にしたいものだ。
『いやーー大変な時代だったよな・・よく乗り越えて今日まできたものだ』

気づくと映画のような世紀末が到来しているかもしれませんね〔笑〕



さて、稽古も曜日に準じて終了して年末年始のお休みに入ります。

本格的な寒波もそろそろやってきそうな気配。
家族揃ってせめて元気に心だけは温かいお正月を迎えてください。

少し早いですが・・

ーーーーーいいお年をお迎えくださいーーーーー    
2009年12月16日
師範   秦
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2009年11月13日
師範 秦
【届かぬ想い】

気がつけば・・今年ももう1ヶ月半を残すばかりになっている。
毎年そのようなことをここに綴っているようで、それ自体が私の年末行事となっている。

巷のあちこちにきらきらとイルミネーションの輝き。


フープイルミネーション 

デパート前イルミネーション
今日事務所にきたある広告関係の営業マンは言っていた。

〝飲食サービス業界が不景気に喘いでいます。その影響を受けてうちの関連もなかなか難しい昨今です〟

そうか・・。不景気といわれて久しい。今年くらいが底だから来年こそ少しは上向きになるでしょう・・と。しかしその気配を感ずることなく今年も年末を向かえ、年を越す。政権が移ったことが大ニュースとなった今年。国民の声を枯らした声援と、瀬戸際に立っての期待は続くが、本当に【友愛】に満ちた温かい社会への橋渡しがなされるのかは難しく、そう簡単にはいかないだろう。それくらいに思っておくのが精神的にはいい。

さて、
この寒々しい年末に私の周辺に気持ちが塞ぐような出来事がいくつかあった。
いや!それは一大事ではないことを明記しておく。だから腹は立たぬが、自分に返って考えてみた時に表題のように・・・届かぬ想い・・・は確かにあったといえるのだ。

思えば一年中いや年がら年中、様々な外からの負のエネルギーを受けながら、私は存在している。
都度、解決に至る方法をみいだすのに、余計な時間と内なるエネルギーを放出するので、そのあと根こそぎ出したエネルギーの充填に又大きな時間を要することになる。

先日の日曜日、奈良支部では今年の冬一番の審査会が橿原で行われた。
その数日前に三重の支部長から何度か連絡をいただき、同日に開催される中京大会に行くことに決めていた。審査会は参段の先生たちに託した。

三重の支部長とは懇意にさせてもらっている。プライベートでもお付き合いがある。この世界では後輩に当たるが、男っぽくすっぱりしているので気性が合って仲がいい。だから私は朝早くから三重に向かって車を飛ばした。

本部席から会場内の様子がよく見える。自分の支部の大会ではなかなかそこまでの余裕がない。これも勉強だからといつもいろいろと見させてもらっている。

地区割りが違うので、今回奈良からは選手を輩出していない・。
なのに・・おかしな場面が目に飛び込んできた。
顔を知っている奈良支部の保護者が数名いる。ま、見学に来るのは自由ではある。それが大きな大会で対戦相手となる選手の試合を見て攻略のための勉強だとしても、大人しくしていて一観戦者であれば特に問題はない。事を荒立てるつもりも無い。
飛んで行ってこちらから「何をしに来ていますか?」と聞くようなことはしない。

以前にあったことだが、自分はエントリーしていない試合会場に私服で会場内に入り込んでいる少年部会員がいたことがある。そこそこ大きな大会で結果を出しているメンバーである。
もちろん現場で注意を促したが、保護者然り、そういう規則を度外視した行動をする人がいることは事実である。自分ならそれが許されると考えることが基本的に間違っている。運動会をやっていても突然関係ない者が場内に入り込む事は無いだろう。
もはや、規律や礼節を重んじる極真カラテの試合会場であるという認識はそこには無い。
子どもは親の態度や言動そして考え方そのままに育つ。長年に亘り子供達に接しているとよく分かる。
子供に罪は無い。まあ、罪というほどのもではないが、いわば家庭内のことや教育方針などが浮き上がってくる。私自身そこまで手を伸ばすことはできないので、傍観するしかない。
※2005.7.6 01号 【親は子の手本】をもう一度読んでください。

今回の三重の大会会場では、道着を着たうちの支部の生徒がうろうろしているのを見た。コート周りでスパーリングの相手でもしていたのか・・・。それは定かではなかったが、後日、事情を話しに私のところにやってきたのでしかと言い聞かせた。
今後は一切そのような常識外のことはないようにと祈る。
この日、実はもっと私の心が落ちたのはその者たちが私の姿を見ていて【挨拶】ができなかったことである。親も子も。
親が礼節を度外視した生き方をしていたとして私には関係が無い。
だが!子供は違う。私たち指導者は子供たちに日々礼節を教え込んでいる。様々な話に代えて親孝行を説く。挨拶を叩き込む。

本来のあるべき姿は、親子ともども私の傍にきて、『押忍!今日は勉強のために観戦にやってきました。』と【挨拶】するべきである。
そんなものはクソ食らえ〃という考え方であれば、私の空手家としての基本的論理からはずれる。異論があるならばやめていただくしかないということになる。

そんなことがあって久々に楽しみに出かけていった三重の大会から心にひっかかりをもって帰ってきた。


次の朝、『黒帯指導員の○○さんから退会届が届きましたが師範にはお話がいっていますでしょうか』と事務所から連絡があった。
実は、この指導員に関しては予測できないことではなかった。
きちんとした指導が出来ない上に、仕事に理由をつけて稽古時間を守らない。
何度も言って聞かせ注意を促したが、一向に改まる気配が無い。
行事ごとにも仕事にかこつけて最後にちょっと顔を出して平気な顔をする。
格上の指導員が指導について注意をすると、いきなり帯を解いて帰るという。
それを聞いたとき、一体この人間は極真カラテの何を学んで修業したのか!
黒帯を取るまでの苦労をわすれたのか・・。
個人的な事情を抱えていたが、励ましながら常に見守っていたのだが、折角取った黒帯も首の皮一枚でおしまいか・・・と日々頭を痛めていた。
10月の支部の大会で怪我をしたと聞いていたものの、その近況は一切分からず連絡が取れないため話すことはもちろんできず。
指導も直接連絡の無いまま済し崩しになっている。
今日、もしかしたら家にいるのではと車を馳せたが、驚いたことにその住まいは売りに出されていた。恐らくもう会えないのだろう。

肩を落としたと同時に予感は現実になり、気配は形になって現れた。

退会届の下段にこう書いてあった。
・・・・・鍵は△△に預けました。指導を変わってしばらくやってくれます。
その△△は、一日前に『転勤になりましたので辞めます』と既に退会していたのだ。


一つ穴の狢。

事程左様に・・・

寒々しい年末、私の想いは届かない。    
2009年11月13日
師範   秦
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2009年10月21日
師範 秦
【御礼状】

謹啓
秋冷の候、皆様方に於かれましては益々ご健勝のこととお慶び申し上げます。
 さて、去る十月十二日開催の関西地区第十四回極真カラテ大仏杯奈良選手権大会が無事成功裡に終了致しましたのは、偏に皆様方のご支援ご協力の賜物と深く感謝申し上げます。
当日は台風一過の素晴らしい好天に恵まれ、会場を通り抜ける風が本格的な秋の到来を告げておりました。
私自身もまだまだ修業の身と受けとめ、師の教えを忠実に守り尚一層精進して参る所存です。今後とも尚一層のご支援、ご指導を賜りますよう心よりお願い申し上げる次第です。
健闘した選手諸君には今後益々修業に精を出していただき、今の君を越える存在となれるよう頑張っていってください。その先には必ず揚々とした世界が広がっていると信じます。
ご尽力いただきました全ての皆様に厚く御礼申し上げます。
この度は誠にありがとうございました。         
謹白
平成二十一年 菊花薫の候
                国際空手道連盟 極真会館 奈良支部
                      支部長 師範
                          秦  貴典
2009年10月21日
師範   秦
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2009年6月25日
師範 秦
【夏に向かっています!】

梅雨前線が張り出すのかと思えば、南からの真夏の高気圧が張り出して真夏日が続き、いよいよ本格的な夏の序章が始まりました。
皆様方にはお元気でおすごしのことと存じます。
六月ももうあと僅かで終わり七月に突入します。7月の最大イベントは24日からの三重でのサマーキャンプです。行きも帰りも貸し切り列車でゆったりと車窓を楽しむことができるでしょう。
早朝からの野外稽古は、小さい子供たちには眠くて辛いものかもしれません。
ですが、普段経験することの無い水平線からのご来光を仰ぐことの感動や、波打ち際をダッシュしたりするような稽古は実に新鮮でやる気を充分起こさせてくれます。もちろん午後からの海水浴やスイカ割りや花火大会、2日目の夜の隠し芸大会など楽しいことも一杯です。
一度参加した子供たちは口をそろえて『サマーキャンプ大好きやから又いきたい!』と嬉しそうに話します。

さて、6月の全日本ウエイト制大会では、多くの皆さんの声援をいただき、12名の選手は渾身の力を込めて頑張ってくれましたが、惜しくも、木村選手がベスト16に留まり、伊藤選手と佐渡選手が2回戦にて敗退しました。
皆様、応援本当に有難うございました。

サマーキャンプに先駆けて、7月の5日より4回に亘り8月に開催される2009国際大会に向けての強化稽古も実施されます。
9月には、10月12日に開催される第14回大仏杯に向けての強化稽古も2回実施の予定です。
選手諸君にとっては、7月8月の夏休みも気の抜けない大事な期間となるでしょう。

ジメジメとした梅雨の到来でどうやら新型インフルエンザが生りを潜めたようですが、世界でも寒い気候の地帯では尚且つ蔓延しているようで、日本も季節が移って寒い時期になると大流行するのではと懸念されています。
 夏は夏で、お腹の風邪や、相変わらず熱や咳の出る風邪にもまだまだ油断はなりません。プールに入る季節にはプール熱。手足口病などというウイルスが媒介する発疹の出る病気もあるようで一年中我々人間は、このウイルスという厄介者と闘ってゆかねばなりません。
早寝早起き、満遍なく色々なものを食べる、昼間は元気に外で遊ぶ、体を清潔に保つ・・我々が子供だった頃に親からうるさく言われたことがそのまま今の時代にも充分通用します。
お子様の健康管理には充分気をつけていただいて、元気な夏休みを迎えていただきたいと思います。

サマーキャンプ!師範も楽しみにしています。みんなで結束を固めて真夏の海に大移動しよう!!

2009年6月9日
師範   秦
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2009年6月9日
職員/植田記
【2009.5.24 橿原本部道場 道場開き】

■――――御礼――――■

初夏の風吹き渡る五月の末日、リニューアルオープンとなった橿原本部道場のリニューアルオープン式典が開催されました。
師範の長年に亘る夢がここに現実のものとなりました。
当お祝いに駆けつけてくださった方は、ご来賓の皆さんと、道場関係者の方総勢53名、式典に華を添えていただきました。

ご来賓をご紹介申し上げます。

経済産業大臣 高市早苗先生 秘書 山尾様
前衆議院議員 鍵田忠兵衛様 秘書 長本様
県議会議員 現議会副議長 神田 和代 様
奈良市市議会議員 森田 一成 様
桜井市議会議員 藤井 孝博 様
日本空手道連盟 正道会館 副館長 中本 直樹 様
秋篠法律事務所 弁護士 前奈良県弁護士協会会長 藤本 卓司 様
税理士法人東岡会計 所長 東岡 英雄 様
株式会社 ふる里 代表取締役社長 斎藤 能久 様
山岸企画 代表 山岸 隆 様
生和コーポレーション 河野 能久 様
生和コーポレーション 佐藤 繁 様
株式会社 アラカルト 代表取締役社長 谷口 徳一 様
奈良支部師範の叔父様 宮崎 茂教 様
国際空手道連盟 極真会館 大阪東南支部 田中 隆昌 支部長
国際空手道連盟 極真会館 東大阪支部  髙尾 正紀 支部長
国際空手道連盟 極真会館 大阪東南支部 指導員 今井 宏行様

以下、奈良支部分支部長・直轄道場指導員・黒帯有志・第26回全日本ウエイト制大会出場選手・職員 36名

当日は公務にてお越しいただけなかった
経済産業副大臣 高市早苗 様
橿原市議会議員 竹田 清喜 様
奈良支部後援会会長 三和澱粉工業 代表取締役 森本 俊一 様
ご列席いただいた上祝電も頂戴した、奈良県議会議員 神田 和代 様

以上の皆様方にはご祝電を頂戴いたしました。

又、後援者のお1人でもあり、奈良支部弐段のフジボウル社長 坂本貴洋 様には多大なるご厚志の品をお届けいただきました。


式典

■ 御祭(みまつり)   桜井市多武峰 談山神社
■ 祝宴
秦 師範がご挨拶させていただきました。
ご来賓の皆様にお祝いのご挨拶をいただきました。
■ 祝電のご披露
■ 第26回全日本ウエイト制空手道選手権大会 出場者 壮行会
■ 鏡割り
秦 師範
高市早苗衆議院議員 秘書 八尾 様
鍵田忠兵衛氏 秘書 長本 様
県議会議員 神田和代 様
奈良市議会議員 森田一成 様
桜井市議会議員 藤井孝博 様
秋篠法律事務所 弁護士 藤本卓司 様
以上7人にて。
■ 乾杯
乾杯の音頭 税理士法人 東岡会計 所長 東岡栄雄 様
■ 会食
■ 中締め 
中締めの挨拶
大阪東支部 支部長 髙尾 正紀 師範 より心にしみるご挨拶をいただきました。

■ PM4:00 閉会

皆様方には、一階の道場のみならず昨年リニューアルした二階の加圧ジムスタジオもご見学いただき、奈良盆地の全てを見渡せる秦師範ご自慢の屋上よりの眺望もご覧いただきました。
無事盛会のうちに式典は終了し、新たな展開に向けて秦師範以下指導員、選手、職員の面々は気持ちを一つに奮起することを心に誓いました。

ご来場の皆様、本当にありがとうございました。
秦師範、おめでとうございました!!
今後更なる発展を遂げられますよう、心よりお祈り申し上げます。


                                                             職員/植田記
2009年6月9日
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2009年4月8日
師範 秦
【 リニューアルオープン!!】

■橿原本部道場■

今、まさに桜花爛漫の好季節となりました。
皆様方にはお変わりなくお過ごし事とお喜び申し上げます。
入社、進学、進級の時期、意気揚々と新たなスタートを切られた方もたくさんおられることと存じます。
初心を忘れることなく、一層の意気込みをもって頑張っていただきたいと思います。

さて、予てより計画しておりました橿原本部道場の増築工事がほぼ終了し、皆様方にお披露目の日を迎えることが出来ました。
先般行われました【昇段審査】においては、新しい道場にて気合の入った組手が行われ、賑わいを見せました。

オープン記念の式典は只今計画中でございますが、既に従来の稽古はリニューアルされた綺麗な道場で開始されております。

会員の皆様方にはぜひ一度お足をお運びいただき、稽古に参加していただければ幸いです。


外観

自動ドアのロゴ

玄関壁のモニュメント

案内板

狛犬

定礎

従来の出入り

階段へのドア

エントランス

内側から出入口を望む

後年の総裁

大山総裁

牛殺しモニュメント

不動明王を遠見

不動明王3

神殿と支部旗

倉庫

倉庫位置より
玄関部分を望む

倉庫看板

建物裏側榊の木

階段に屋根が付い

屋上への階段新設
2009年4月8日
師範   秦
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2009年2月21日
師範 秦
【アメリカの宮地君に】
アメリカテネシー州のメンフィス在住の宮地さんから、手紙と何枚かの写真(下部掲載)が届きました。
宮地さんは、奈良支部の黒帯OBです。
実は、先日橿原の本部道場に師範を訪ねて一時帰国している宮地さんがおいでになったのです。

アメリカに帰られてから、お手紙とともにこの写真が届きました。
遠いアメリカでお仕事と両立しながら、極真空手の真髄を伝えていこうと頑張る宮地さんの近況を
是非、皆さんにもご紹介したいと思います。

又、師範が返信された手紙も公開させていただきます。ご一読ください。


【秦師範から宮地さんへの手紙】
Dear MASARU MIYAJI
元気に頑張っていることと思います。
先日は突然の訪問に驚いたものの、とても嬉しかったよ。
写真を送ってくれてありがとう。早速ホームページにもアップさせてもらうよ。
橿原の本部道場も、あと3週間余りで増築工事が終了し、私の思いが込められた最終の砦が完成する。

23年間歩み続けてきた極真カラテの師範としての人生の道程を振り返ったとき、今心に去来するのは、一抹の寂しさの入り混じった悔恨の情と、安堵するに十分な達成感。これらは相反するものとして私の心に深く刻まれる。

血気盛んだった20代から30代の私は、極真カラテを奈良の地に広めるという、総裁の遺志を継ぐべく奔走した時代だった。
己の持てる全てを体と心をもって、日々弟子たちと対峙した。
今、分支部長になった者たちが時折思い出話に花を咲かせる。鬼のように怖い師範であったという。帯研の稽古の折に、私が少しの間道場を留守にしたその間に、皆で体を休めて道場の床に寝転んだり、アイスを食べていたとき、帰館した私に大声で一喝されたなどと言う。よくそんな細かいことを覚えているものだ。
流石の私も、休憩時間でさえ気合を入れろとはいわなかっただろうに、尾ひれが付いて、今彼らは面白おかしく語るのだ。
私も年とともに丸くなりつつある。丸くならないと体に障る年齢になった。血圧が高くなるのでね。
バカな奴らに集団で裏切りを受ける事件が起きてから、まだ十年経たない。
時代が大きく変わる頃であったと思う。全てがあの時期に様変わりを見せていた。日本のバブル時代の絶頂期に育った若者が、うちの道場にもたくさんいた。
物や情報に溢れた社会でぬくぬくと育った子供たち。
親も子供も飢餓感や反骨精神などには無縁の環境の中で、自分さえ良ければOKというような生ぬるい世界にどっぷりと浸かっていた。

私は今にして思う。そんな時代だったからこそ・・なるべくしてなった。そしてまざまざとその現実を見たのだ。
大きな脱力感に襲われ、経済的のみならず精神的なダメージを受け、張り詰めていた糸は大きな音を立てて切れた。
幸いにして、私の体にしっかりと叩き込まれた極真の精神は枯れることなく息づいていて、又多くの人に支えられてすぐに蘇った。
どのようなことにしろ、経験は尊い。人生は長く厳しく、いいことばかりではない。裏切りを受けようと、使命は全うするという私には列記とした志が心のうち深くにあった。
〝勝つ”とは、信念と情熱に裏打ちされた己自身であること。心は決して乱さず正しいと思う道を貫き通すことだ。
嫉妬や妬みや私欲に支配されているような人間は必ず滅びる。大きくなれない。己に勝つことこそ自己成長の鍵である。

今、私は新たな時代に沿った、自分の人生を歩んでいる。
空手の全盛時代は去りつつあるのかもしれない。
が、しかし!忘れてはいけない。極真の精神に謳われる『頭は低く目は高く 口を慎んで心広く 考を原点として他を益す』という言葉や、押忍の精神『尊敬 感謝 忍耐』といった日本人が忘れつつある日本人としての心、精神を伝えるべくは吾らであること。
私は、大山総裁の直弟子として過ごした修業時代を含めて、極真空手に携わる人間として生きていることに大きな誇りを持つ。
天命を与えていただいたと心からそう思う。

長いようで人生は短い。
思い残すことのないよう、精一杯の努力を惜しまず正々堂々と生きてゆきたいものだ。

君もそう思わないか?!

私は、写真から伝わってくる情熱をひしひしと感じた。国が変わっても極真カラテの修行者の精神は一つだと思った。

頑張ろう!!お互いに。

押忍!


2009.2.20
    
奈良支部 師範  秦 貴典



宮地さんからの手紙


【宮地さんからお送り頂いた写真】
2009年2月21日
師範   秦
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2009年1月5日
師範 秦
【新年明けましておめでとうございます】
皆様揃って健やかに新しい年をお迎えのことと、お慶び申し上げます。
昨年中はいろいろとお世話になりまして、誠にありがとうございました。

昨年末より不況の波が日本列島を揺さぶり、たいへんな年明けとなりました。現実のこととして不安な年越しをされた方もいらっしゃるのではと懸念致しております。

又、新型のインフルエンザがすでに流行していて、保護者の皆様には、毎日ご心配なこととお察しいたします。

ともあれスタートした2009年。
昨年はどうだったか・・など振り返りながら、又、新年に向けての指針などお話させていただきたいと存じます。

昨年は、前にもお話させていただきましたように、空手道場に併設した《加圧トレーニングスタジオ》をオープンさせていただきました。
東京の総本部はもちろんのこと他支部でも導入され、大きな意味では極真会館としても初のチャレンジでもありました。
昨今ではブームが起きているかのような広がりをみせている訳ですが、私自身も全く初めての分野に参入してゆくという意味合いでは、かなりの緊張感を持ってのスタートでした。

本拠地はどこにするか、スタジオの内容の集約など試行錯誤の末、橿原道場二階を簡単に改装し機材などを搬入、【加圧トレーニングスタジオ エクセルギィ奈良】は3月オープンとなりました。
すでに9ヶ月が過ぎましたが、お蔭様でなんとか順調に運んでおります。
もちろん、私自身は空手の師範、指導者としても今までどおり従事させていただいておりますので、エクセルギィの方は他にインストラクターの先生にも来て頂き手伝っていただいております。

その間に気付いたことですが、スタジオの会員になって、繁くトレーニングに通ってこられる方の一様な傾向として、『健康への投資は、未来への投資である』という信念を皆さんお持ちだということです。すなわちそれは、自身への投資でもあります。

メタボリック症候群などという言葉も昨年浮上してきた言葉ですが、栄養過多の食生活、運動不足な日常生活、心身的ストレスのかかる時代から生み出された言葉ではないでしょうか。

判っていながらなかなか行動に移せない。
運動するような時間がない。
そんなことにかける経済的な余裕がない。

などと理由付けはさまざまでしょうが、

会社の健康診断で危険な数値が出たとしたらどうでしょう。
又、同僚や友達と飲みに行ったりする時間はあるけれど・・・。
たまの休みはだらだらと家で過ごしていたい。

結局、止むに止まれぬ事情が出来ても、時間の調整がうまく出来ないで、体を休めるという大義名分の中、自身を甘やかす・・という方が多いのではないでしょうか。

本当にこの加圧トレーニングが、そういった方にとっては最適な自身の体を守る手段であると思います。

会員の方の60パーセント強は女性です。
職業をお持ちの方、主婦の方、家事手伝いの方などさまざまですが、少しでも余裕が出来れば自分磨きに使いたい!そのためになら仕事も家事も頑張れるという方がほとんどです。

前向きに生きてゆくためには、健康が第一の条件となることは間違いがありません。

たいへんな時代だからこそ、気持ちを引き締める。そして自己の精神を鍛える必用があると思います。何もなくても元気な体一本、そして誰よりもやる気があります!
そんな気骨を持たないと、さまざまなストレスに押しつぶされそうになるでしょう。乱世を生き延びるために心して精進して行きたいと、私自身も【兜の緒を締める】まさにそんな心境で迎えた新年です。


今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。


2009年1月5日
師範   秦
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2008年12月19日
師範 秦
【日常の六心】
1、『はい』という 素直な心
2、『すみません』という 反省の心
3、『わたしがします』という 奉仕の心
4、『おかげさまで』という 謙虚な心
5、『ありがとう』という 感謝の心
6、『がまんします』という 強い心

日々の稽古の中で、道場訓とともに唱和する奈良支部ならではの言葉です。
この六心を心得る人が、現代の世の中にいかほど存在するかは疑問です。
小さな子供たちに口移しで教える(叩き込む)究極の道徳心です。
ところがそれが出来ないのは実は大人なのです。
日常のあらゆる場面で、それを知ることは容易です。
身近なことでいえば、稽古中窓からのぞいていた保護者の方から、うちの子だけが組手で大きい帯の上の子と当たっている・・・・
はしゃいでいるこどもたちを指して、うちの子がいじめられてる・・・など。
試合の審判判定に不服を申し立て、ひいきだと息巻く。
審査の結果が不服で、よその子を妬む。
あれをしてもらっていない・・・聞いていない・・・
自分(の子供)さえよければ・・・・強くなればそれでいい。

余りにも自己中心的で、社会性が欠けた大人が多すぎます。

こどもたちの将来を憂えるため、私はなんと言われようとも、道場訓と六心を唱和し、
毎日何処かの道場で様々なことに話を変えて、小さな子にも理解できるようにと、説いて聞かせています。


さて、
過日の12月3日、
私の元に一通の手紙が届きました。
もう何年前になるでしょうか。覚えていらっしゃる方もおられるでしょう。
内弟子だった若い者が、大勢の門下生を連れてある日突然造反を起こした一件です。

もう思い出したくも無いことではありますが、先日ある方からの電話でその一件を思い出さざるを得ないことになったのです。

電話の内容は次のようなことでした。

『ある親しくしている方から、Nというものの面倒を見てもらえないかと相談があり、聞くところによると師範のところを造反して出て行ったものの一人で、内弟子で面倒をみておられたとか。極真会館に不義理をして裏切ったような人物は、自分としても受け入れは難しいのですが、いかがなものでしょうか』

私は言ったのです。

『まあそれは事実で、いろんなところから噂は自然と入ってきて、行くところいくところで途中で辞めたり、不義理を重ねているようですね。とにかく、筋を通せと言っといてくださいますか』

彼の兄は、プロボクサーで誰もが知っている現役のチャンピオンであります。
真摯で精神性の高い素晴らしいボクサーであるとテレビなどでも紹介され、ファンも多いことと思います。

さて、敢て事件と申しますが、その事件は奈良支部に大きな経済的損失をもたらしたことはもちろんのことですが、私以下奈良支部を守り育ててきた指導員や門下生の心に大きな傷跡を残しました。
当初は、怒りと苦しみに体が震えるような日々でしたが、日がたつにつれて私の心は、自反する方向に向かって行きました。
前向きに、道を誤らずに生きてゆかねばならないと今日までやってきたのです。

妬み、嫉妬、金に心を奪われ、増長を顕にした彼らは、今どうでしょうか?
分裂と諍いを重ねてもう威力の無い小団体となってしまっています。


その事件の折に、首謀者についていったNという内弟子からの手紙でした。
手紙には、通り一遍の謝罪の言葉がつらつらと並べ立ててありました。
とりあえず書いたということが読み取れました。
そういったこともあって、私は、先ずは筋を通さないと前には進まないといったわけです。

だからといって彼の生き様を今更どうこう言うわけでなく、又、前を遮ろうとしているわけではありません。

彼はいずれ私の前に参じることになるでしょうが、心からの謝罪というものは自然と心に染みてくるでしょう。
そのとき、私の心の澱が僅かでも澄んでくれれば私にとってもこれほど嬉しい事はありません。

昨今の武道界、格闘技の世界が広くマスコミなどで取り上げられ、例えば、亀田選手を倒した内藤選手が、
いい人キャラでテレビやコマーシャルに出ていたり、プロレスの髙田延彦さんが〝出て来いやーー!〟と面白キャラ
で、バラェティ番組に頻繁に出ていたりもして、武道の世界が精神を重んじる厳しい世界だということは、
神話化しつつあると思います。

かっこいい・・・金が儲かる・・・といった短絡的な風潮が、
わが極真会館の伝統ある空手の世界にまで及ばぬよう気を引き締めねばと思っております。


日常の六心

簡単な言葉の裏に込められた人間としてもつべきもの。

皆様方ももう一度声を出して、子供たちと唱和していただきたいと願います。


2008年12月19日
師範   秦
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2008年9月12日
師範 秦
【秋の気配を感じて】


奈良支部の年間行事のうちの1大イベント、大仏杯も無事終了し、ほっと胸を撫で下ろす日々です。ふと気づけば橿原の道場周辺の空き地にたくさんのトンボが飛び交っています。
日中はまだまだ暑い日が続きますが、周辺の田んぼの稲穂も実をつけて涼やかな風を受け、本格的な秋がいよいよやってきたなという気がします。

さて、世間は、食品の偽装や汚染、又相撲界の大麻事件で喧しいこの頃。
今日は今の相撲界について一言申し上げましょう。
相撲部屋での大麻事件では、逮捕されたロシア人力士のニュースに怒りと落胆を覚えた方がほとんどではないでしょうか。
つい先だっては、痛ましい暴力事件で修業半ばの若い力士が亡くなったばかり。
可愛がりと証したリンチは日常茶飯事に行われていたと聞けば、今日この日のことは氷山の一角、相撲界の将来をも憂える事件でありました。

何につけてもニ人間としての『緊張感』や『誇り』といったものが、日本人の心から消えてゆきつつあることは確かです。

大麻疑惑が明らかになり追放を受けた力士の出身地はロシアでしたが、特筆すべきは、日本名の四股名をもらって日本国の国技である相撲界に入門したからには心は日本人であるべきですし、又相撲界の厳しいしきたりに従うのが常道であります。
その世界を治めるべき親方や取り巻きが呆けているとしか言いようがありません。
毎月、ある相撲部屋からいただく番付表を改めて見てみれば、
 モンゴル、エストニア、グルジア、ブルガリア、ロシア、韓国、ブラジル、
 ハンガリー、カザフスタン、中国、チェコ、トンガ
と、多くの国から力士の受け入れが行われていることに驚きます。

もはや相撲界は、他のスポーツ競技と同じく様々な国からの受け入れを得て成り立っているとも言えなくはありません。
なぜか一抹の寂しさの入り混じった不安が沸き起こってくるのは私だけでしょうか。

空手の大会にも、今やロシアやブラジルから強力な選手が出場し、入賞のカップを持って帰るということが珍しいことではなくなりました。
グローバルな視野から申せば、これも時代に沿った変化であるということにもなり、特別に慌てることでもないという見方もあるでしょうが、やはり日本で誕生した我々の極真カラテの世界では、日本人がトップの座を外国の選手に譲ることは本来あってはならないと思います。
『極真カラテの世界大会で万が一日本人が王座を外国人に取られるのなら、私はここで腹を切るよ』と仰られた故大山総裁の言葉が忘れられません。
それこそが《サムライ精神》というものでしょう。
何が何でも・・・という気迫、後がないという覚悟、戦国の武将がはった背水の陣。
一人戦場に立つ人間は、そこまでの気持ちで守らねばならない只ひとつのことを死守する。それほどの重々しい緊張感がほしいものだと思います。

それはさておき、他に比べようも無いほどの『厳しい世界』といわれた相撲界が、形だけの云わば格好だけの世界となって、親方の権限や影響力も無くなっているとするならば、それは恥ずるべきだと思います。なぜならば、相撲は伝統と品格を重んじる日本の国技といわれるからであります。

日本人の心から大切なものが消えうせようとする昨今。
緊張感、誇り、品格、責任感、団結力、孝行心、義理、情・・書き出せばキリがありません。


物事を醒めた頭で考えるには格好の季節です。
何事も素通りすることなく、少し心に引っ掛けて、一つのことに注目して新たな指針を得るということを皆さんもぜひやってみてください。

とはいえ、美味しい秋の到来。
今宵はこんがり焼けた秋刀魚にすだちをたっぷり絞って、一献傾けてみるのもいいものですね。


2008年9月12日
師範   秦
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2008年7月8日
師範 秦
【頑張っています】


昨日、葛城山に巨大な真っ黒な雲の冠が乗ったと見えたら、徐々にこちらに移動して、雷を伴う大雨に。警報が出たらしく、学校や保育園は途中から休校休園になったようでした。
昨日から引き続きの今日3時頃、雲行きが悪くなったと思ったら横なぶりの雨になり、子供たちのクラスがもうすぐ始まる時間だとちょっと心配してしまいました。 

もう梅雨が明けるのでしょう。いよいよ本格的な夏がやってきます。
みなさまお変わりありませんか?
私も元気に頑張っています。ご承知のように、橿原南和本部道場二階に3月17日にオープンした【エクセルギィ奈良】も、お陰さまで順調に稼動しています。
会員様の定着とともにその輪が広がって、今では他府県にも会員様が増えてきています。今のところ日曜日は返上して、他府県まで出張加圧に行くような日常です。
加圧トレーニングに出会えたこのチャンスは、私の空手人生の中では異色といえるもののようではありますが、今、どんなスポーツも医学的な見地に基づいた肉体創造(トレーニング)とボディメンテナンスが如何に大事であるかについて、様々な検証結果が報告されております。
ただがむしゃらに頑張るというのでなく、無駄の無いトレーニング方法による体造りと、ボディケアがとても重要視されてきています。

今、私のスタジオにはプロの選手も何名か通ってきてくださっています。
怪我のリハビリにも加圧トレーニングがいいということが、もう既にプロスポーツ界でも当たり前のことのように定着しつつあります。
現に、テレビで活躍の有名選手も、加圧トレーニングや酸素カプセルを活用されているというようなニュースが流れたりもしています。

 又、空前のブームといってもいいのは、エステの業界です。
ダイエット、アンチエイジグ、リラクゼーション、マッサージ、永久脱毛や、まつげのエクステンション・パーマ、糸脱毛、もちろんフェイスエステも。
私は男性ですのであまり関わりがないとお思いでしょうが、スタジオに併設したエステルーム(ラジオ波・リンパ)のお陰で、いろんなことを奥深く学ぶことになりました。
ことに最近の折込チラシや、シティマガジンとも呼ばれる無料のフリーペーパーの類には、数多くのエステサロンの広告が掲載されています。
その数には本当に驚きます。

エステの方は資格をきちんと取ったスタッフがかかりきりでお客様の対応をしてくれています。逆にお客様の方が知識を持ってらっしゃる場合もあるのでエステティシャンも気が抜けません。勉強を重ねて頑張ってくれています。

どちらかというと喋ることが苦手なほうだった私も、加圧においでになる多くのお客様と接して行くうち、不思議なもので雄弁になってきたように思われます。
1対1でトレーニングを行いますから、当然のことながら常に説明と声がけは必要なことであり、それが加圧トレーニングの醍醐味でもあるわけです。

縁とは不思議なものです。
初めておいでになった方とも最後まで一緒にトレーニングしてゆくと、お帰りになるとき、または次回においでになったときは心の距離がとても近づいているのを実感します。縁が出来たということですね。

お客様と向き合い、トレーニングして行くうちに、体はみるみる変わってきます。見た目で充分自覚していただけるということです。もちろんそこには喜びが湧きます。指導する私もそれはとても嬉しいことです。

こんな風に、新しく始めた事業は少しずつ展開を見せ、定着しつつあります。
もちろん今までと変わらずカラテにも力を注いでゆきます。

この間のウエイト制に出た選手たちのように、これからは加圧トレーニングや酸素カプセルも活用しながら体造りをしてゆければと考えています。

時代は目まぐるしく変わってゆきます。どんどん新しいものが開発され科学やデジタル世界での発展にも目を見張るものがあります。
自分にとって何が必要か?これから取り入れるべきものは何か?
いいものを選別して取り入れるには、常に物事に対して柔軟であること、先見性をもつことが必要ではないかと思っています。もちろん何事に対しても敏感であるアンテナを張っていることも大事だと考えます。                                                                                                                                                                                                                  

一期一会を大切に、感謝しながら、これからも頑張ってゆきたいと思います。


2008年7月8日
師範   秦
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2008年4月11日
師範 秦
【新たな出発です!】


今年も、忘れることなく春が又巡ってきました。

折角の満開の桜もこのところの雨で、散ってしまいましたね。桜の季節は短いですが、続く若葉の季節は気持ちがよく、新たな意欲も湧いてきます。
学生の皆さんには進級や進学の季節でもあり、気持ち新たに出発されたことと存じます。

さて、道場でも、今春、新たな取り組みとして事業を展開することとなりましたことを皆さんにご報告申し上げます。

拠点は橿原南和本部道場の二階です。


名称《 加圧トレーニングスタジオ エクセルギィ奈良 

    


■ 加圧トレーニング
    

      

■ 酸素カプセル


■ ラジオ波エステ
■ リンパマッサージ

    

以上の施術が行えるスタジオが完成しました。

それぞれの詳細についてはホームページでも近々公開させていただきます。
又、チラシを各道場にも配布させていただきますのでご覧いただきたいと存じます。
その中で、既に加圧トレーニングについては、ホームページ上のコンテンツを増やしており、見ていただくことが出来ます。

興味のある方は、ぜひお問合せいただき、又、カラテをするための体作りと組み合わせた形でも生きてくる加圧トレーニングは、
短時間に集中して肉体改造を行うことの出来る最適な手段として、脚光を浴びております。

今現在では、アンチエイジング、ダイエット、怪我などによるリハビリの目的でのトレーニングとしても既に知られております。

酸素カプセルはもうご存知の方も大勢いらっしゃるでしょうが、広くスポーツの有名プロ選手が日常的に活用されているようです。
高気圧の中で高濃度酸素を取り入れる酸素カプセルは、体の隅々に新鮮な酸素が行渡り、疲労の回復や怪我の回復治療にもお勧めです。
プロの業界から既にお越しいただいた何人かの選手の方もいらっしゃいます。
早稲田のハンカチ王子こと斉藤選手も早い時期から酸素カプセルを
利用されていたということはご存知の方もいらっしゃるでしょう。

又、別の分野でのエステ業界にも幅を広げました。
成人病に結びつく肥満、メタボリック症候群など、先ごろ様々なメディアにおいて報告がなされていますが、
一旦体についてしまった脂肪やセルライトはなかなか生活習慣では落とすことができないのが実情です。
ラジオ波によって溶解された脂肪を体外に排出する。リンパの流れをよくして基礎代謝力を復活させ健康な体造りを目指す。
もちろん、美しい体を作るための手段でもあります。

ざっと申し上げればこのような内容となりますが、詳しくはホームページ上でご覧いただくなり、
お問合せいただければ嬉しく存じます。

いくつになってもチャレンジする姿勢を大事にしたいというのが私の心情です。

さて、本格始動の春、ここ一番の力を出して皆さんも頑張っていただきたいと思います。
私も皆さんと同じように頑張ってまいります。


これからもどうぞよろしくお願い申し上げます。


2008年4月11日
師範   秦
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2008年2月1日
師範 秦
【食の安全の話をしましょう】


いつか何かがおきそうだ・・・・と予測が的中したように、中国製餃子で中毒。
千葉市と兵庫、近畿のお膝元でも起きてしまったようだ。
恐ろしい症状が出るようでどのニュースを読んでも本当に恐ろしくてぞっとする。
メタミドホスという殺虫剤がパッケージから検出されたらしい。

中国野菜が危ないといわれて久しい。たまに私も業務用スーパーなどにも行く。
安い値段で中国野菜が並ぶコーナーもある。国産の美味しそうな野菜は割高だ。
中国野菜の売り場を素通りして通るのは、この頃では恐らく当たり前のことであろう。
これでもかと、テレビや雑誌やネットでも中国の農薬の使い方、ずさんな工場管理が伝えられる。
前に見たテレビでは、川が真っ赤や青い色をしていた。農薬を使った野菜は中国では食べないと言っていた。
食べる野菜を洗剤でブクブク泡を立てて洗ってもいた。
日本に行くんだこの野菜は・・・という傍の川には、ありとあらゆるゴミが浮いてブクブクとクリーム色に泡立っていた。
心底おそろしいと私は思った。

感心を持ち出して、物を買う時に裏の表示をしっかり見るようになったのは言うまでも無い。
肉類も外国製。えびも東南アジア製。冷凍食品に外国製があると今始めて知ったのは私だけではないと思う。

この期に及んで中国からバンバンと輸入している会社も会社だが、私はひとつのことに注目した。

家族が集う団欒の場で、冷凍の餃子などが並ぶ時代なのか・・・と思ったのだ。
冷凍食品売り場が、スーパーの中で大きな位置を占めていることは知っている。
夫婦共働きのご家庭も多くなり、食事も時間をかけて手作りする時間も無いのかもしれない。
お弁当も冷凍食品をチンするだけで、可愛いものが出来るみたいだ。

だが、みんなの心に無いだろうか。
これでいいのかな・・・。

餃子。皮と餡でつくる中国料理。もうこれは日本国中で日本の家庭料理になった感がある。
それぞれの家庭の味があると聞く。
どうだろう。
先ずは国産で尚且つ安心な原材料で家庭の食事をなんとか復活できないものか。

うちの事務所内でも今日はその話で持ちきりだったが、外国産を一切買わないということは今はもう難しいという。
せめて危ないと分かっている中国産は買わない。この間COOPで丁度輸入ものの餃子を買った職員が『もう捨てました!』と。
ただ時間を惜しむと、危ないものに手を出すかもしれないので、できるだけ手作りを心がけますといっていた。
食べ盛りの子供がいると餃子も半端な数じゃないという。
そんなときは仕事の休みの日に、子供たちも手伝わせてたくさん作っておくらしい。

安いからと〃便利だから〃と手を出さないで、できるだけ一工夫して安全な物を手作りで食卓に載せていただきたい。

さて、輸入されてきた食材を検査する水際での機関は、どうなんだ!とききたい。
なぜこんなことが起きる。交じり合ったものがある食材は検査外だというが、表向きだけな検査機関でよく今日まで何事もなく来たものだ。

これだけ化学が進歩した日常に、普通に家庭という垣根を易々と越えて、『毒』
は、はるばると外国から、庶民の食卓にやってきたのだ。

本当に恐ろしいことである。


五感が麻痺しつつある現代人。
目と耳と鼻と口と手で、本物を確かめるという感覚を取り戻さねば、子供たちの将来さえも危ないと私は思うのです。


2008年2月1日
師範   秦
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2007年10月18日
師範 秦
【近況その2 苛立ちと怒り】



みなさん、先刻ご承知でしょうが、このごろの相撲界やボクシング界のざわざわとしたこの実態はどうしたものか・・・。

相撲界についてはモンゴルに帰ってしまった横綱のことだが、時代が変わったといってしまえばそれまでだ。
国に帰れば、国賓・英雄・企業家で大金持ちだ。
極真世界大会でもタイトルがブラジルの選手に取られた時期もあり、外国の選手が台頭してきていて、日本人の選手たちも刺激を受けいままで以上の努力をするようになっている。
それはそれでいいことであって、我々支部長が集結するようなときもそんな話で大いにもり上がる。

が、相撲が国技である以上は、相撲界でのいい加減は許すべきではない。
時津風部屋の不祥事に至っては、なんとも言いがたい苛立ちと怒りが脳天を突き破るかのような毎日であった。
しっかりしてほしいよ!!日本相撲協会。
親方や理事長がものを言うたびに、日本中の人たちに笑われているんじゃないのか?!

日を置かずしてボクシングの亀田一家事件。あえて事件と言わせてもらう。
だからこそきっぱり処分するが妥当だというのが私の意見。追放も然りであると、はっきり申しておきたい。
もちろん一個人の意見としてだ。
彼らが世に出だした頃から私は一家に対してNO!の姿勢。
見たくもないし、聞きたくも無い話、試合。
常識はずれな態度や発言に、血圧が上がりそうで体によくないからだ。

そして、助長するばかなマスコミ。お友達感覚の芸能人?!全くハテナでビックリだ。
ブーイングの嵐の中で、いつもかわらず汚い口で相手を挑発し、真っ当な試合が出来ない。
そんな中、にんまりしていた人間もいる。はやし立てた奴等もいる。

そして、そしてだ。
世の中には、プチ亀田一家になりたい人間がいることは否めない事実だ。
悲しいかな私の周りにもいそうな気配を感じて、苛立ちは収まらない。
見て見ぬ振りで、誰もがちやほやするのを止めなかったという責任もある。
おかげでボクシング界が賑わった?だと。チャンピオンになることは誰しもの夢である。
どんな手を使ってでもいいというような品格の無いルールはボクシングには無い。
多くの人に武道空手を教える側の人間として、私の怒りは収まらないのだ。
まじめに、日々努力をし続け、精神性をも追求して止まない多くの若者たちの心意気さえも汚された気がして、
殊更に情けなく腹立たしい。

最後に、初防衛に成功しベルトを前に語った、
チャンピオン内藤選手の、大人な温かいコメントにホッとした人は多いだろう。


2007年10月18日
師範   秦
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2007年10月18日
師範 秦
【 近況その1 母のこと】



母が、大きな手術をして無事病院から帰ってきて、又、母の日常が戻ってほっとした矢先。
二週間前くらいに、人と会う約束をしていてばたばたとしていたときに電話が鳴った。
母だ。胸騒ぎがした。
横腹か背中の右側かわからないが、ものすごい痛みが突然来たという。
今、あまりに痛いので、座薬を入れて様子を見ているという。

すぐにでも行って病院に連れて行きたいが、身動きが取れない状態であった。
弟たちも仕事中か連絡は取れない。
気にしながら、とにかく仕事がひと段落して、母に電話をしたら痛みが治まっているとの事。
いろいろ考えられるが、とにもかくにも診察の予約を入れた。
日を空けずに診察してもらうことが出来たが、腎結石だという。
癌の病巣を取り除いてからまだ日が余り無い。

痛みは想像を絶するものだったらしい。
結石が動くとき脂汗が出ると聞いたことがある。

来るときは一度に来るな・・・と、私は母を哀れに思いとにかく不安を除いてやりたいと、治療法や手術法や薬や入院などについて主治医の先生に聞くだけの事を聞いた。

レーザーで飛ばす。

そんなことだった。
幸いにしてその施術の日までに激しい痛みは無かったようで、レーザーで施術していただくのは前日からの一泊であったが、
私は他府県への出張で、その日は弟が付き添ってくれた。

最近の医療の最先端はすごい。
母は、その日以降痛みも無く穏やかな日々を送っているようだ。ありがたい。

母を思う気持ちは皆同じだと思う。
だが、どうしようもない試練が襲ってきたとき、冷静にどう動いてやれるかが肝心だ。私は母のおかげで、さまざまな事を改めて振り返る機会を持たせてもらったと感謝している。


2007年10月18日
師範   秦
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2007年10月18日
師範 秦
【秋桜・コスモス】



今年の夏は、本当に暑かった。
夏の合宿の頃が一番厳しかったんじゃあないだろうか。
よくみんな3日間を乗り切ってくれたと今になってだが、心からそう思う。

地球温暖化が問題となって久しいが、年々実感する。
さまざまな取り組みの中で、私たち個人が出来ることにも目を向けて生きたいと常々と思う今日この頃である。

いつまでも暑かった夏が終焉を迎え、空の気配がすっかり秋になり、空気が、風が、花たちが、秋の到来を告げる。

先日、たまには乗ってやろう!とバイクをガレージから引っ張り出して、近所を回ってみた。

秋の風を切って、橿原の市民プールがある辺りの走ったことの無い道を走っていたら、
ものすごい景色に出くわした。

辺り一面がピンク色に染まっていた。
コスモスだ!秋桜と書く。
まさしく秋に咲く桜。バイクを止めて写真を撮った。
花に詳しいわけではないが、コスモスの花の色にも濃い薄いがあって、しかも白いものや紫色の濃いものもちらほらあった。


車で見に来ている方もおられた。

隣り合わせた田んぼでは、農家のご夫婦が稲刈りをされていた。

しばらく、体中に秋のにおいを吸い込んで・・・
メットを被りバイクにまたがった。

今日は得をした気持ち。
事務所に帰って職員たちにそう告げた。



どこまでも

可憐

近鉄電車走る

誇り
2007年10月18日
師範   秦
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2007年9月4日
師範 秦
【 残暑見舞い(母お見舞い御礼) 】



残暑お見舞い申し上げます。

残暑厳しき折、皆様方には恙無くお過ごしのこととお喜び申し上げます。

さて、私議、母の病気入院中は皆様方にご心配をおかけし、温かいお志をたくさん頂戴いたしまして誠にありがとうございました。
病院までおいでいただきました関西本部長中村誠師範、西の京病院会長髙比先生に於かれましては、
お暑い中本当にありがとうございました。身に余る光栄に存じます。

おかげさまをもちまして、丁度一か月を経過いたしました八月三十一日午後、無事退院いたしました。
予後は、担当の医師と連携を取りながら療養に努めてまいります。

まだまだ予断は許さないのが実情でございますので、兄弟三人で力を併せ母を見守って参りたいと存じます。

略儀ではございますが、書中をもちまして先ずは御礼の言葉に代えさせていただきます。

皆様、本当にありがとうございました。


平成十九年九月四日
          国際空手道連盟 極真会館 奈良支部
            支部長師範  秦 貴典 
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2007年8月29日
師範 秦
【 命のふしぎと生きていることの意味 】



7月の末に私の母が奈良市内の総合病院へ入院した。癌の手術をする為の入院である。
手術は8月1日に行われて、もちろん私も私の兄弟もかけつけて母を見守った。
母は77歳。手術室に入って出てくるまで8時間の大手術であった。


私が支部長を務める極真会館奈良支部には、心強い後援者の方々がいてくださり、私はその後援者の皆様方に支えられながら今日、極真会館奈良支部の支部長として認知を受けていることになる。ありがたいことだ。私は日々そのご恩を忘れることなく生きていこうと心に決めている。

その後援者の方の一人、医療法人康仁会西の京病院の会長の髙比先生の勧めで3年前からPET検査を受けるようになった。
西の京病院別院のメディカルプラザ薬師西の京では、全国に先駆けてこのPET検査を行うための施設を作られ、かなりの患者さんが早期発見も含めて、次の段階への生きるためのステップを踏まれていると聞く。

長い間いわば親孝行を出来ない時期があって、そろそろ孝行が出来る余裕も出来たとおもう今日この頃であった。

髙比会長先生にPET診断を薦められて、正直高額な検査であることや、まだ世間に広く認知を受ける直前でもあったため、“二の足を踏んだ”のは事実だ。
だが、同じ金をかけて温泉や海外旅行に連れて行ってあげても、それなりに楽しんだとしても帰ってしまえば終わり。長い間母の体を心配することも無くきたことへの反省の意味もあり、診断を受ける決意をする。

2005年1月14日。母を伴ってメディカルプラザ薬師西の京に第1回目の検査。
それから毎年二人で検査に通った。

PETは、体への負担もなく癌の病巣をいち早くどんな小さなものでも見つけることが出来る医療の最先端をいく検査方法である。
専門的なことはわからないが、ざっとはこういうことである。薬剤に、癌が大量に消費するという糖分に光陽電子を組み込んだ注射をすることで、癌の出来た部分の細胞が光る。ということである。陽電子放射断層撮影法という。

2007年の今年。二人とも再検査を要する結果が出た。
私は多少胃部に炎症を起こしている程度であったので、簡単な投薬で済んだ。
問題は母であった。食道の下部が完全に光っていた。食道の癌であった。
再検査における胃カメラの検査が必要になった。

私は、人事のように今まで捉えていた家族への癌告知について、その決定低的瞬間から毎日頭と心を痛めることになったのだ。

人には涙は見せられなかったことももちろんだが、動揺を知られまいとなぜかそのころの私は内に篭った。何をしていてもそのことで頭がいっぱいになって、近しい人にだけ話してアドバイスを受けたり、情報を提供してもらったり、あれやこれやと議論したりした。
そして、母のいる実家に足繁く通ったのはいうまでも無い。今、目の前にいる母が癌に侵されているという事実が受け入れられないばかりか、嘘だろ・・と思ったりもした。母は元気だった。いつものおおらかで温かい母であった。
だが・・・・確かに病魔は巣食っていたのだ。なんか喉が詰まるような・・・
と、母が言ったことは紛れも無く異物が母の食道に巣食っているのだと確信した。
放っておけば一年の余命。信じられないばかりか、夢ではないかと呆然自失の時期もあった。
時間が無かった。一日も早く検査を進めて、髙比先生のご紹介してくださった病院の外科部長に会いにいく予定を立てねばならなかった。

結局告知は、執刀医の渡邊先生と私と母三人の診察室で、先生が言って下さった。

母は言った。
『もうこの歳ですから、手術しないで済まないものでしょうか』

先生は、手術することが今最良の手段ですと答えてくださった。

私は言った。
『悪いところは早いうちに取ってもらって、後がよければまだまだ長生きできるんや。奈良県で一番有名な先生に切ってもらえる。
先生を信じて頑張ろう』

今だから本心を言う。
私はそのとき、ほんの少しもの成功を確信することが出来ていず、大きな不安と迷いに押しつぶされそうになっていた。

正直な話、兄弟の中でも切ったほうがよいか、切らないで余生を楽しませてあげたほうがよいのか・・と何度も議論した。
77歳の高齢で、果たして長時間の手術に耐えうることが出来るのか?!
手術の後、体力が激しく落ちて寝たきりになってしまうのでは!
等々・・・。

最終的には母の言葉が私の背中を押した。

『お前がそういうなら切ってもらおう』

切っていらないものを体の外に追い出してやりたいという気持ちは、日々そして徐々に私の心のうちに強い決意となっていった。
母は強い人だ。きっと治る。という確信に近いものが沸いてきていた。


私の母は、おおらかな云わば楽天家である。
又、腰は少し曲がって小さくなってきたように思うが、いわゆる背筋の一本ピンと通ったしゃきっとした人だ。
昭和のはじめの生まれであるからして、激動の時代を生き、我々兄弟3人を育ててくれた。
父の頑固な一本気なところと母のおおらかさに包まれて、我々は大きくなった。

入院の前に母が私に預けた物がある。
母が日ごろ大事にしているもの一式である。
預金通帳数冊。印鑑。写真数枚・・など。

写真はセピアに色が変色していたり、
白黒だったり、かなり古いものも含まれていて、初めて目にするものも多かった。
私たち3人の兄弟が戯れたり、笑ったりしている写真がたくさんあった。
母は、事あるごとにこの写真で懐かしんでくれていたのだろうか・・。
あとは、父と母の仲むつまじい写真もあった。
どうやら、大好きな車に母を乗せて日本中を旅して回ったようだ。


術後から私は毎日一日も欠かさず病院に通った。
麻酔から醒めるのが人より早かったようだ。手術室からICUに運ばれて行く母を覗き込んだ。そして私はシャッターを切った。
手術前にも二人で並んで写真を撮った。母は笑っていた。
母は私たちの顔を見て酸素吸入器の中から声を出した。にっこり微笑んだ。
そのとき、私は母の強さに感動し、手術の成功を確信した。

8日間は点滴だけの日が続き、その後普通食へと徐々に移行していったようだ。
後で知った話だが、その8日間、『水が欲しくて氷を頬張りたくてたまらんかった』と言っていた。隣の人が水を飲む音がして羨ましかったらしい。
今だからこそ微笑ましくも思う。


テレビを見ればいいと持って行ったが、未だにベッドの横のチェストの中にある。つまり一度も見ないままである。

事務員が見舞いにいったときに母は言ったそうだ。

『入院中は【無】の境地でおりたかったんで、そんなもんはいらんと言うたんや。新聞だけで十分』

あっぱれ!!母は偉大であった。



明後日、母は無事退院する。
手術がとても難しい言われる食道癌の手術を難なく突破して、大きな傷跡を胸とおなかに抱えて、晴れて病院を後にする。

このことがあって、私は、命の重要性やあることの重大性や儚さを知ることになった。
病気は怖い。癌は怖い。だけれどももう癌は治せない病気じゃない。早く自分の中の癌の発生を知ることで、まだ、又、生きることの出来る病気だ。
命はとても儚くてぼんやりしてると終わってしまう。
だからいつも自分について関心を持たなければいけない。
そう思った。


母と癌との闘いは終わったわけじゃない。
これからも見守りながら、母と一緒に生きていきたい。

2007年8月29日
師範   秦
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2007年8月23日
師範 秦
第12回極真カラテ大仏杯奈良選手権大会

【 御 礼 】



謹啓

盛夏の候、皆様方に於かれましては益々ご健勝のこととお慶び申し上げます。
さて、去る八月十九日開催の第十二回極真カラテ大仏杯奈良選手権大会は、無事成功裡に終了することが出来ました。
これも偏に皆様方のご支援ご協力の賜物と、深く感謝申し上げますとともに心より御礼申し上げます。

酷暑の最中の熱き戦いをご観戦いただきました皆様方、又、ご協力いただきました皆様方に於かれましては、
お疲れはございませんでしたでしょうか。お尋ね申し上げます。


《大山倍達 著書 求道万日 序章より》

『武は礼に始まり、礼によって終わる』という至言があるように、武人たる者が矜持と心得なければならぬものが礼節であるに違いない。
ところが最近の世の中では礼節を尊ぶ風潮が失せ、人間が真人間として生き抜いていく為のさまざまな道徳は地に落ち、伝統的なモラルも亡国へ向かうべく変化をきたしているようだ。
私・大山倍達はこうした傾向を心の底から憂う。
世界にただひとつ残された生粋の武道、極真カラテに励む者、極真カラテの熱愛なる支持者の方々だけには退廃的な動向に身をひたしてほしくない。

以下省略



常々と心のうちに我師の教示を忘れぬようにと、門下の生徒たちに接しておりますが、日頃の稽古の折に、
又試合や大会の開催時に感ずることは、二十数年前に書かれた師の言葉そのものであります。
カラテ一筋に生涯を貫いた壮絶、壮大なる人生から吐き出された多くの訓示は、今尚、我々の心のうちに絶大なる存在感で以って輝き続けおります。

私もまた師の教えを守り、今後も尚一層努力精進して参る所存でございます。

今後とも尚一層のご支援、ご指導を賜りますよう心よりお願い申し上げます。
謹白
平成十九年八月二十三日
国際空手道連盟 極真会館
奈良支部 支部長師範
秦 貴典
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2007年7月11日
師範 秦
【 第1回奈良キッズチャレンジカップを終えて 】



選手の皆さんには、日頃の修業の成果を充分に出しきれましたでしょうか?
入賞されました皆様方には先ずは〝おめでとう!〟と申し上げたいと思います。惜しくも入賞を逃した皆さんも、これからチャレンジの場はたくさんあります。又、奮起して稽古に励み、再チャレンジしてください。

近年、全国のどの支部、道場においても一般部の会員の比率が、幼年・少年部の会員数に圧倒されていると感じます。
支部内試合や県大会レベルの大会を催すにも、大会のカテゴリーのほとんどが、子どもたちで占められてしまうといった傾向にあるのが実情です。

長年、この仕事をやっていて・・・などと書き出してしまえば、余にも普通過ぎないかとお叱りを受けそうでありますが、だからといって、今日この武道の精神世界において・・・などと話を始めても、重みを持って心から発した言葉さえも右から左に通過されてしまうのがおちであると最近私は思うのです。
日々の稽古での子供達との会話や、送迎の折の保護者に皆さんとの世間話にしても、なんとも言いようのない希薄さといいますか、だるさというような、一種独特な気合の入らぬ腑抜けた感が否めません。
稽古では、私が、竹刀を持って大きな声で汗を噴出しながら気合を入れていても、子どもたちからほとばしるエネルギーを感じることが少なくなりました。

武道世界の秩序やしきたりや礼節といったものは、私のように長年支部長をやろうが、認められて昨日今日支部長になろうが、極真会館という確固たる器自体は何等変わってはいません。いや、変わってはいけない世界であると私は思うのです。
だからこそ、何か伝えようとするとき、つい力が入るということもあって、お若い保護者の皆様方には、古臭いの、固いの、しつこいだのと言葉に表れなくとも、接し方で分かってしまうこともままあって、肩からがくんと力が抜けてしまいます。

日本全国の何処の支部でも、子どもたちの数が増えて、子どもたちの空手の技術自体も順調な伸びを見せる昨今。子どもたちだけではない、保護者であるご家族の皆様方にも喜んでいただこうという試みの、子どもたちの大会(試合)を開催しようとういう動きがみられます。

キッズを中心とした白い帯もオレンジの帯も、よーーっし!とチャレンジさせてあげたいと開催した、第1回奈良キッズチャレンジカップが、いくつかの問題点を残したとしても無事終了し、ほっと胸をなでおろしながらも、次に控える大仏カップに向けて、何かと忙しい事務所の中、二通のフアックスが送られてきました。

以下に、
二通の文書をフアックスされたかたへ、
そして、多くの幼年・少年部の保護者の皆様、
又、全国の極真カラテを学ぶ少年部道場生の保護者の皆さんへ、
私のメッセージを送ります。

二通のその文書は、そのまま、皆様方にご紹介しても宜しいかと思いました。

多くの皆様方にご判断を仰いでよい代物でもありました。

お名前が明記されていなかったこと。
又、内容に支部への誹謗中傷がはっきりと書いてあったこと。
先生をはっきりと馬鹿呼ばわりされていたこと。
先生の実名を以って誹謗されていたこと。

これは、まさしく私が支部長として長年をかけて守り育てた道場への、心無い
誹謗の書であったということ。

昨今のパソコンなどIT関連の発達に伴って、機器を通じて名前を名乗るまでもなく勝手気ままに人の悪口、ありもしない噂話や陰口など、言って当たり前の感があります。
この方も、〝言って何が悪い〟〝言ってやったわ〟という部類のいわば勘違いをされていると感じるものでありました。

余にも飛躍した陰口もあり、実名も書かれてあり、消し忘れの電話番号もプリントされており、探し出せばお名前さえもわかってしまうかもという配慮の元、公開は見送ります。

はっきり申しておきましょう。
この文書を読まれた貴女が、自ら奈良支部のみならずなぜか他にもその文書を送りますといわれたことによって、いや、実行されることによって、貴方を徹底的にお調べせねばならなくなるでしょうし、処分の対象になるということをお知らせしておきます。

はっきり申し上げ、送られてきた文書には、極真会館会員(の親)としてのプライドの微塵も感じられないとても寂しい文書であると感じました。

何度申せば理解が及びますか?!

直接私に言ってください!
面と向かってです。
何か言いたいこと、腹立たしいこと、聞きたいこと。
何時間でも聞きましょう。
たとえ、あなた自身の勘違いや、思い違いや、自分自身の思い込みであったとしても構いません。

我慢する心や、先生や親を敬う心を教わっている我が子どもを道場に預けながら、
親である貴女自身は、人の意見を聞くということ、話し合うということ以上に、【押忍】という字の持つ意味さえも理解に及んでいないと思います。

スポーツの大会において、何かについて抗議するという場面は、野球でもサッカーでもバスケットでも目にすることがあるでしょう。
それは、規則に則った競技上での正々堂々の抗議であって、名前も住所も明かさない陰湿ないやがらせとも受け取れる文書を送ることとは、大きくかけ離れています。
脅しめいたことをすることで、あなたご自身が大変なことになるということをわかっていらっしゃらないということも、理解されていないようです。
又、そういう卑怯な文書で支部に対して揺さぶりをかけるようなことをした親を、貴女のお子さんが喜ぶとは思えません。
一生懸命頑張ったお子さんは、いったい何の為に試合場に上がっていたのか。
勝つことのみが大事でなく、負けることで学ぶものが多いということは、試合があるごとに私が大会での挨拶の中で、又稽古中にいっていること。

自己満足のみで、狭い世界に貴女のみならずお子様本人も、置き去りになるのではと思います。
いいたいことがあるなら、正々堂々と私の目を見て話してください。

もう入会時にお渡しした案内の書は捨てられましたか?

極真会館奈良支部秦道場には、名誉や秩序というものがれっきとしてあるという項目を読まれてはどうでしょうか。

そして13条に目を留めてください。

ジャッジが気に入らないなら、お子様に試合はもう出ないでおこうとおっしゃいますか?
貴女があの文書のように誹謗された支部ならば、もう退会されてはいかがでしょうか。
そのほうが、貴女の精神状況に宜しいかと存じます。

最後に、
キッズの大会で反省の材料として残した事柄は、決してトーナメントのことでもなく、ジャッジのことでもなく、試合運びの問題点、会場に散乱していたゴミの数々、あれだけ公共交通機関でと申していたにもかかわらず停めてはいけない場所に停車された数台の車の件などなど・・・そのようなことです。


ともあれ、一生懸命に闘った君たちに、なんの責もなく、
君たちが流した涙を忘れないでほしい!!

もう・・・空手いらん・・・・・の弱虫じゃだめだ!!

こんどこそ!勝ってやる!・・・の強い人間になれ!!

そこから、君たちの性根の座った大人への道が始まる!!!

2007年7月11日
師範   秦
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2007年5月15日
師範 秦
2007.5/3(木)~5(土)

【 ゴールデンウイーク・ツーリング 】
  
〝 よいとこせ どっこいせと そばをうち 〟
兵庫県豊岡市竹野町のそば処に『床瀬そば』を食べに行くぞーーーとの隊長の掛け声に、
隼隊、今回は日本海の竹野近くに美味いと評判のそばを食べに行きました。

今回初めての参加は、大阪東支部の高尾支部長。免許取得前ということで隊長とタンデムでの走行となりました。

清らかな水と、地山で取れる自然薯がつなぎに使われた床瀬のそば。
挽きたて、打ちたて、茹がきたてのそばには、朝取りの旬の山菜と、鮮やかな野趣に満ちたヤマメの塩焼き、松葉肉(鶏一羽から一個しかとれない肉)、落花生豆腐、手作りコンニャクや新鮮な肉厚焼きしいたけもついて、1.155円!美味い!!

しかし・・待った~〃待った~〃待ち時間長し。。。。
評判が評判を呼び、大勢の人たちに混じって待つこと一時間。
隼隊全員の腹の虫が喧しく鳴きました。

そんなこんなで、本当は行きたかった宮本武蔵ゆかりの圓光手へは閉館の時間となり、
ゆっくりと寺社内を閲覧することが叶わず。

龍野は、若き宮本武蔵を剣豪へと育てた舞台(いわば修練の地)であるということは、かなり有名です。

姫路に戻り宿泊。次の日も、山本隊長に続き出発。
夕食には隊長企画の食事会にて、全員たらふくご馳走になり、感謝〃感謝〃の二日間でありました。

今回はこぢんまりとした移動ではありましたが、五月の風と空気をいっぱい吸って、大いに伸び伸びと過ごした二日間。
ユニフオームはいつも通り迷彩で!!

写真をどうぞご覧あれ!!
2007年5月15日
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2007年3月3日
師範 秦
【 今年も桜の季節がやってきた 】
早いものでもう3月弥生。春の気配を感じる季節となりました。受験生のみんなには緊迫した日々が続いていることと思う。
チラホラと嬉しい知らせも入っていて、今週末には私のところに、Y君も受験の結果の報告にやってくるとかで、嬉しい知らせであるようにと祈るような気持ちでいる。

月が明ければ桜花咲く4月。揃って新しい出発だ!!
道場で週に何回か稽古をつけている子供達も、小学校高学年か中学生入学前くらいになると、男の子は肩幅や顔の輪郭が男らしく張ってきていることに気付く。女の子は、女の子というよりも女性らしくなっていて、眉の形がきれいに整えられていて雰囲気がすっかり変わっていて驚くこともある。
いつも気をつけて見ている訳ではないので、ふとそう気付いたとき、みんな日々急速に成長しているんだなあと嬉しくなり、感動し、こんな私もしみじみしてしまう。

うきうきする季節なのに、一昨日から事務所の雰囲気が暗く重たい。
月曜日に道場前の道路でひき逃げ事故があり、22歳の女子大生が亡くなった。
月曜日に、桜井で稽古を終えた頃職員から電話があって、道場前で事故があり、パトカーやら救急車が来ていてもう二時間たっているとの事だった。
翌々日、朝日新聞の朝刊で、それがひき逃げで若者が亡くなったことを知る。

同じ月曜日の朝、事務所に橿原警察から刑事がやってきて、道場の斜め前の道路で先週の金曜日夜八時半頃に痴漢(暴漢)がでて、女性が口を塞がれて倒されるような事件があったらしい。

事務所のものは、痴漢のことだけでも不安感が募って落ち着かないところに、道場の直前で人がひき逃げされたことを知って、皆かなり悲しみに沈んでいる。職員が揃って現場に花を手向け、お線香をたて手をあわせたという。
和やかに家族が夕餉に集う家があると同時刻に、22歳の娘を亡くしたご家族が悲しみにうちひしがれている現実。
なんともいたたまれない気持ちである。

ありがたいことに飲酒運転の取締りが厳しくなって、飲酒運転による事故が激減したと聞く。だが!壊滅はありえないだろう。
いまだ平気で酒酔い運転でうろつく輩がいるので、車による死亡事故の60パーセントは相変わらず酒酔い運転によるものとなる。

事故のあった道場前の道路上に、稽古の日には何台もの車が迎えの為に縦列に並ぶ。向こうの歩道に渡ろうと子供が走りだしたそのとき、同じ車線の後方から走ってきた車がクラクションを鳴らす現場を何度か見ている。車が何台も止まっていて先が見えないため、仕方なく中央線を越えていこうとするそのときに子供が飛び出す。
事務所から何度か警告の文書を出し、駐車をしないで下さいと声をかけてまわっているので、頭に入れている常識的な保護者の皆さんは多い。
縦列に駐車して平気な保護者のかたは顔ぶれが決まっている。
『そんなところに止めたらダメですよ!!』と私も窓から乗り出して注意をする。道場前に車を止めない!!というのは、みなさんの可愛い子供達の命を守りたいからであって、『この場所に止めないで下さいね!』という忠告に対し、『うっざいよーーっ』といわんばかりに、返事もせずに車を発進させる保護者のあなた!あなた!そうですあなた方です!

いつあなた方が被害者家族に・・又、加害者家族になるかもしれない現状を、とくとお考え頂きたい。

常識を逸脱した危なっかしい生き方をしていれば、きっといつか子供達の健全な成長の妨げになると、私は確言いたします。
2007年3月3日
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2007年2月07日
師範 秦
【鍵田忠兵衛衆議院議員 新春の集い】

2007.2.4 日曜日  会場:ホテル日航奈良

奈良支部の相談役として、常々お世話になっております衆議院議員鍵田忠兵衛氏の新春の集いが、
奈良市のホテル日航奈良にて盛大に行われ、職員二名と共に参加してまいりました。

この日は、滋賀での大会開催の為、朝早くに奈良を発って一路滋賀に向かい、
滋賀の河西師範にお許しを願って午後より奈良に戻るという強行軍でありました。

ホテル内のパーティー会場となった飛天の間いっぱいに、大勢の後援関係者が集まりました。
当日は、麻生太郎外務大臣も来賓としてご登壇になり、私も初めて真近にお顔を拝見しました。
大臣のご挨拶のあと、
直筆の色紙が抽選で会場の3名の方にプレゼントされましたあと、
北九州市への公用の為、途中で席を立たれました。

春に行われる知事選、統一地方選挙を踏まえて知事選立候補候補のご紹介や、
県議会、市議会の先生方のご紹介などもありました。

その後は、中央にずらっと並べられた料理をいただき、
又、各界よりご出席の方々と歓談し、又名刺交換をさせていただいたような次第です。

抽選でいただける品物の中には、安倍総理大臣の色紙や、武士道と認められた鍵田代議士の書の額縁などもあって、
期待が膨らみましたが、残念ながら当選ならず・・

ふるさと奈良を愛して止まない鍵田代議士。

『本日皆様方より賜りました激励のお言葉を糧に、心を傾注し、
日本の国とふるさと奈良のために取り組んで参る所存でございます。』とお礼を述べられ、会は盛会の内にお開きとなりました。

散会と同時刻、琵琶湖杯で27人の奈良支部の選手が入賞したとの嬉しい知らせが舞い込みました。
琵琶湖杯のレポートと画像は追ってご紹介いたしましょう。

安倍総理直筆の色紙-1-

安倍総理直筆の色紙-2-

鍵田代議士直筆の書(額)

鍵田代議士夫人とお嬢ちゃま

2007年2月7日
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2007年2月05日
師範 秦
【立春*節分がやってきた】
1月が瞬く間に過ぎて、立春がやってきました。
旧暦によると立春の2月4日こそが一年の始まり。立春の前日は節分。
年の変わり目には何かと邪気を呼び込みやすいということで、節分には日本各地で豆まきやその他の行事が行われるのが慣わしとなっていますね。
邪気とは・・・災害や病や飢饉等々。そういった人間にとって恐ろしいものは全て鬼の仕業と考えられたらしいです。豆には邪気を祓う霊力があると言い伝えられているため、豆を用いて邪気払いをするようになったそうです。

今年の節分は土曜日に当たり、橿原南和本部道場で幼年・少年二部クラスの指導があるため、土曜日はみんなで豆まきの行事をやることにしました。

はて・・さて・・鬼は来るのかな?!
道場に出る鬼は、泣き虫、怒り虫、ぐずり虫、怠け虫が大―い好き!らしい。
みんなまとめて食べちゃうぞーーーーーーーっ〃

て、ことでどうなりますかな。


幼年部の稽古が終る30分くらい前には行事が始まるので、幼年、少年部のみんなは南和道場の稽古に是非参加して下さい!!

節分の豆まき 3:45~4:15

ちなみに豆まきは『福は内 鬼は外』が一般的ですが、各地でさまざまな言い方があるようですね。面白いので少し調べてみました。


元興寺(奈良市)福は内 鬼は内
寺には元興神(がごぜ)という鬼が
いるらしく、悪者を退治するという
言い伝えがあり、鬼も大事にされます。  
護摩供養や火渡りの行事も有名です。   
※ 火渡りは小さな子供もやります。
よく深いと熱いらしい((+_+))です。
 



金峯山寺(吉野町)福は内 鬼も内
全国から追われた鬼を迎え入れて、
仏教の力で改心させると言われています。









赤鬼スタンバイ


鬼が下りて来たあ~っ


〝うおーー〟黙想中の道場に赤鬼乱入!!


お母さんのいうこと聞かない子だな?!『ちがうよーー』


なまけ虫じゃないかあ~っ!


嘘つきは〝ドーン〟とこの棒で叩くぞ~っ!


泣き虫はいないかあ~っ!


あいりなきむしちゃう!

幼年部と少年一部の稽古が終了し、一階の道場にみんな集められて〝黙想ーーーっ〟
と!そのとき!!どすんどすんと階段を誰かが下りてくる音が!!

うおーーーーーーっ〃〃〃』雄たけびをあげて赤鬼参上!!!

少年一部、二部の子供たちは節分の豆まきがあることを知って、楽しみに稽古に来ているものの、
幼年部の子供達は前もって知らされていないため、何が起こったのか呆然。。。。
泣き虫はいないかあ~っ!』という鬼の問いかけに慌てて首を横に振ったり、
襲いかかろうとする鬼を誠いっぱい両手で制止しようとしたり、
お兄ちゃんの腕にしがみついたりと、3歳から5歳までの子供たちは本当に鬼がやってきたと〝おっかなびっくり〟

ダンボールにいっぱい入った、
 
煎り豆・殻つきピーナッツ・チョコ・甘納豆のふくろ・キャンデイなどを両手に持って、

『おにはーーーーそと!』『おにはーーーーそと!』

鬼さんに思いっきり〃投げる〃投げる〃(おーーーーーい だれや? 思いっきりぶつけとるやん!そこの六年生!)
だんだんと鬼さんの元気が無くなって来たとき、三浦先生が言いました。
『みんなぁ!もう鬼さんを許してあげよか?!』

そして、鬼さんを囲んで記念写真を撮りました。
散らばったお豆やお菓子は、袋をもらっておみやげにいただきました。

三歳のゆきねちゃんは、お母さんが迎えにくるまで泣き止みませんでした(*^。^*)。

三階に退散した赤鬼さん。なぜか激しく疲れた様子でタオルで額の汗をぬぐっていました(ToT)。。。。。

そして、ぽつんと一言。
  『〝福はーーー内〟が聴こえなかったなあ・・・・・今年はだいじょうぶかな・・・』と。


鬼はーー外!!


『こんにゃろーーーっ!


ムムム・・・こりゃいかん。。。


勘弁してくれ~


もう悪いことはしません。。許してください・・


ゆきね鬼さんキライ・・・


こわいよぉ~


おにさんいっちゃったよ(^^)


さあて〃大人しく山に帰るか・・


全~部ひろってもってかえりなさーい


2007年2月5日
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2007年1月19日
師範 秦
【大阪南支部 分支部長の小林 悟 君よりの年賀状】
この年賀状に込められた小林君の想いが自分の想いと通じることに、先ずは安堵しました。
空手の指導者たるものの目がこうでなくてはならない!ということと、
危機感を持たねば前に進める事が出来ない!ということにあらためて気持ちを強くしました。

今の世が世だから仕方ない・・
今の若いものは聞く耳を持たないから言ってもねえ・・
ちょっと探せばバイト先なんて一杯あるんだし辞めちゃえ・・
空手を習ってもすぐには強くなりそうも無いし、基本ばっかじゃつまらん・・
体は痛いし、きょうは寒いしな(暑いしな)・・
今月はちょっと家計が苦しいし、空手の会費は払わないでおこう・・
未納の会費が溜まってしまったけど、ま、いいか電話に出ないで知らん振りしとこう・・
お母さん〃今日お腹痛いから休む~(今度は行くんやで~)
キョクシンの黒帯取れたし、今度は野球(サッカー&柔道&バスケ&etc)やってみよ~っと・・
お母さ~ん〃もう空手やめた~い(もうしゃあないなぁ)
あの先生怖い言うて行きたくないて言うんです・・
友達と遊ぶことも大事ですから、今日は約束があるらしいので休ませます・・
お風呂で見たら、子供のお尻にあざが出来てるんで、もうちょっと優しく叩いてくれますか・・
車道路に止めて何であかんのですか?寒い(暑い)し、迎えに来た時だけやのに・・


どうでしょうか?
皆さんのご家庭ではなかったでしょうか?
こんなことはほんの一部で、現実には無限大に例があります。

多くの方の心のうちに、
『 ま、いいっか 』『 なにも悪いことしてないし 』で済まされていること、ないですか?
上の項目全てが、結果から想像できうることと、現実にあったことばかりです。

上記に当てはまる人たちは、問題点に気付かないために、指摘されたり注意を受けても、
頭の中を素通りしてしまって無反応な事が多いです。

逆に『何をこの人は怒っているんや』『へっ!それが何で悪いの?』『だってお金ないねんもーん』『俺の勝手だろ』
といった開き直りとも取れる答えが返ってきたり、ふくれっつらをされたりということもあります。


もう呆れてしまって手の施しようがないというのが正直な気持ちですが、
商業ベースのみで空手道場の経営というものを考えるならば、ぐっと我慢をして見て見ぬふりを決めるだけで良いわけですが、
我々指導者は、『辞めたるわい!!』と言われようが、『うっざいよー』罵られようが言い続けなければなりません。

なぜならば、それが武道を極める我々修行者の使命であり、又生き甲斐でもあるからです。

小林君、素晴らしい年賀状をありがとう!!

お互い、修行する身として心を一つにして!!限りなく続く極真空手道を真っ直ぐに見詰めながら進んでゆこう!
2007年1月19日
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2007年1月15日
師範 秦
【春~よ来い♪福~よ来い♪早~く来い♪】
西宮えびすに行ってきました(^◇^)(~o~)(^ム^)(^_^)(^J^)(^<^)-☆


新年の稽古が始まって3日目の11日木曜日の午後7時頃。。。
橿原南和本部道場に、三重支部の梶原支部長のお姿が!
んんん・・なんと!帽子&シャツ&ズボン&上着に至るまで全て迷彩一色の戦闘服姿で!!
・・・闇に紛れて怪しげーーっ・・・・・

秦師範は一般&少年二部の稽古中。指導が終るのを暫しお待ちいただいて、
その後、兵庫県の西宮えびす神社に向われました。
もちろん!秦師範もオール迷彩服で?!ーー何故戦闘服なのかは今もって不明ーー

待ち合わせて山本隊長以下7名が集合。
師範4名が『約束したのになあ~』と少々肩を落とされたのは、山本隊長と西指導員が普通(?)服であったこと。

九日   宵えびす
十日   本えびす
十一日 残り福

残り福を求めて参拝。今回は、奈良支部の西指導員と奈良支部北和本部所属の赤坂政泰さんも参加しました。
赤坂さんは、今春JR奈良駅前に動物病院を開院の予定というとても大事な年。
商売繁盛を願って、西先生と共に駆けつけました。

テレビでもニュースになりますが、開門神事の福男選びは有名で、
開門と同時に、境内の参道200メートルを本殿めがけて男たちが疾走する神事。
今年も一番福、二番福、三番福の若者のが誇らしげに画面に映っていましたね。

  



商売繁盛と家内安全の祈りを込めて・・皆さん〃仲良く〃本当は何をお願いされたのでしょうか???


2007年1月15日
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2007年1月15日
師範 秦
【年頭にあたって】
2007年は猪突猛進の年。
松の内も明けて2007年が本格的に始動いたしました。
皆様方には、ご家族揃って元気に新しい年をスタートされたことと思います。
さて、
年頭にあたり、様々な想いが私の頭の中をかけめぐりましたが、そんな中で、
『お正月』がもつ特別な意味合い、『お正月』への思い入れなどについてお話させていただきます。


毎年、年末までにしなければならないことの中に、大掃除というものがあって、
それは子供の頃から家庭の中での一大イベントであった。

私の母親は前にも何かの時に書いたように、休んでいるという姿を見た事が無い。
いや、小さい頃はそんなことに関心がいくはずも無いので、覚えていないのかもしれないが、
本当にごろりと横になっている姿を見た事が無い。
記憶にある母の姿は、いつも家庭にあって何かをしている姿である。

ご飯を作っている。庭にうずくまって花を植えている。台所で糠で漬物を漬けている。
割烹着で頭に日本手ぬぐいを巻いて、箒で家の中を掃除している。又雑巾掛けをする姿もはっきりと覚えている。

常時家の中を片付けて掃除をしているので、年末だからと畳を反してまでも大掃除をする必要があったのかと・・今にして思う。
が・・大掃除は日本人が新しい年を迎えるための欠かしてはいけない大事な家庭での決め事であった。
年末には、いつもは余りしない電球の傘なども外して奇麗にしたり、
比較的温かい日を狙って障子を外して新しい障子紙に張り替えたり、畳を外してパンパンと一年の埃を払うというようなことは、
確かに年末の間だけに行われることであったと思う。
男三人兄弟で、障子を貼ってもすぐに破ってしまって・・というような事情もあったので、
年末までは仕方なく破れ障子のままにしていたのかもしれない。

昨今では、何処の家も畳が敷かれた部屋は一部屋あるかないかで、フローリングが美しく貼られていて、畳を何枚も外す必要もなくなったことは事実である。
もちろん障子紙がピンと貼られた真っ白な障子も姿を消しつつあり、障子紙は丈夫な素材になって、
兄弟喧嘩をして手を突っ込めなくなったので叱られることも無くなった。

そういえば町の中から、疂屋さんが無くなったのはいつの頃からだろうか。
針でクイクイと力強く畳を仕上げてゆく畳職人のおじさんが、何処の町にも居たのになあ。

とにかく、年末はどこの家でもお隣に遅れを取らないようにと競い合って大掃除をしたものである。
そして何処の家でも27~28日位には、親戚中が集まって餅つきの〝ぺったん〃ぺったん〃〟という音が土間から聞こえてきた。
そんな正月が懐かしい。

12月半ばになると、「何かしなくちゃいかん」という気ぜわしい思いが心のうちにあって、「掃除〃掃除〃」と各道場を回って口うるさく指導員に通達して回る。
主要道場にはエアコンが設置してあるので、大型の空調だと外すだけでも大層であるからして業者さんに委託する。
当然ながら大金がかかってしまう。今年は夏の半ばにやってもらったということで、年末は手を抜いた。
その代わり、どの道場もみんなが頑張ってくれたおかげで、床も外壁も階段もぴかぴかになった。
〝みんな年末の忙しい時期に、遅くまでありがとう!〟

大掃除をしている様子を、町の中を車で走っていても見かける事が無くなった。

面々と続けられてきた家庭や地域社会での暮らし方が、私たち日本人を日本人らしく育てていたと思う。
もうそんな行事ごとを伝える人も少なくなって、機械でお餅つきというご家庭も多いことだろう。
田舎に帰って臼と杵で昔ながらの餅つきに参加できる人たちは、本当に幸せだと思う。

餅が美味いだけじゃない。湯気の上がった蒸篭から熱々に蒸されたもち米がどっと臼の中に落とされて、
みんなの掛け声が響く。温かい湯気と笑い声が一杯の田舎の家族の年末行事。それが心を温かくする。

何年か前には、道場でも臼と杵で餅をついた。いつか又復活させて皆で正月を迎えたいというのが私のささやかな夢でもある。

懐かしいことばかりを口に出すようになって、師範も歳だなあ・・といわないで頂きたい。
心の中に一抹の不安が沸き出るために、私の頭に次々と情緒と品性の整った昔々の日本の情景が浮かんでくるのだ。

年末にある少年部の保護者の方が、家のポストに入っていたというチラシをもって稽古の折に私を尋ねて来られた。
見覚えのある人たちの集合写真が入った小さなチラシが、私に以前起きた道場でのある出来事を思い起こさせた。
あの日、『師範の首をいただきます!』と魂の抜けた瞳を点にして、本部道場の入口に立っていた数名の人たちが揃ってにこやかに笑って写っていた。それは聞いた事の無い空手団体の勧誘チラシであったが、なぜか〝ふっ・・〟哀れみとも付かぬ可笑しみがこみ上げてきたのが正直な気持ちであった。

不思議なことに、一陣の風に吹き寄せられるかのように私の元へ、同様の便りが時折届く。
うすっぺらな織り込みチラシの微塵になった端くれが、風に吹き飛ばされて窓から舞い込むように・・

そんな時いつも父の言葉を思い起こす。

『人に裏切られても、恩人を裏切るような人間にだけにはなるなよ!』と。

例えば、苦労してやっと開いた第一回の奈良県大会。
晴れがましいその席でふと父親の立つ場所に目をやると、関係者の一人一人に深々と頭を下げて回っている。
あとで聞いた話だが、初対面の後援者の女性に『ありがとうございます!これからもどうぞ息子を支えてやって下さい。どうぞ宜しくお願い致します!』と両手で女性の手を取り頭を低く下げられましたと聞いた。

今は亡き父のその姿が頭から消えない。

そして、父の姿に重ね合わせるようにもう一つ忘れられない情景がある。
大山総裁に『秦君!君ィ奈良で支部長をやりなさい。がんばりなさいよ』といって、手に握らせてくださった5万円の金封の重みと恩を忘れることも無い。

日本人の気持ちが、深い情感や、理性や、感性や、倫理観で支えられていた時代。
日本人には心があった。凛とした精神性に裏打ちされた魂があった。
あの頃はよかった〃ではいけない!あの頃の心や情緒や日本人としての品性を取り戻さねば、子供達の未来は灰色だ!!

藤原正彦氏の【国家の品格】がベストセラーを続けているらしい。
独創性だ!創造性だ!と気勢を上げる前に日本よ、日本の国民よ、国家の品格を取り戻さねばなるまいぞ!
今、日本人に忘れ去られた武士道精神を叩き込まねばなるまい!卑怯なことはするな!惻隠の情を持て!
恥の概念を想い起こせよ!と、氏は語る。腹にドスンと丸太棒が打ち付けられたかのように気持ちが高揚し、
長い夢からはっと覚めたような心地の・・・・・・・・・・・

2007年正月。

去来する様々な思いが、覚醒したままの初夢となって私の頭の中をくるくると駆け巡っております。

年頭より心のうちに戦闘態勢を維持し、
燃える思いを空手道一筋にぶつけて、
今年も〃秦貴典48歳〃猪突猛進して参ります。



今年もよろしくお付き合いの程、お願い申し上げます。押忍!!

2007年1月15日
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2006年11月15日
師範 秦
【オーラに色があるらしい・・】
どうしても買いたい本があって指導後に本屋に行った。
ちょっとしたブームなのか本屋の入口に江原啓之さんの本がたくさん並んでいることに驚く。

私はテレビを本気で観ない。たいがいの番組は流して見るので大事な事が抜けていたりして、
『これだけ世間を騒がせているのに、知らないんですか?!』と人に言われることもある。

なのにさほどたいしたことでもないにのに、妙にひっかかっる時もあって、それがいつまでも頭に残って消えないこともある。

この間、初めて《オーラの泉》というものを観た。
この日は若い男の俳優が緊張して椅子に座っていた。
やたら饒舌で喋りながらにこにこと笑っている。江原さんの横には不思議の国からでてきたような貴婦人が、
椅子に斜めにもたれかかった様子で微笑んでいる。三輪明宏さんその人である。・・私たちの頃は丸山明宏であった。・・

江原さんはころころと太っておられる。そして黒く光った艶の良いまん丸な顔で時々目を瞑ってその話をきいている。

笑われるかもしれないが、江原さんが太っておられること気がいって、
〝印税がばくばく振り込まれてくるのでキャビヤだとかフオアグラだとか霜降りステーキだとかをたくさんたべておられるから・・〟
と頭の中を卑しい妄想が駆け巡り、しっかりと聞いていられない。

この男優のオーラの色は紫らしい。三輪さんにも分かるのか、江原さんをひたすら容認したように微笑んでおられる。
驚いたことに!江原さんが三輪さんの耳に突然ひそひそ話を始めた!心配そうな男優。

それが台本なのかそれともアドリブなのか、摩訶不思議ないかがわしい・・番組であった。
この番組は一体誰の為に全国放送されているのか。

いかがわしいなどと、失礼をお許し下さい。正直な初めての印象ですから。

ゲストが江原さんの言葉に一喜一憂するのを見る事なのか。
又、自分の色は何かとわくわくしながら見ることなのか。この番組を観て本屋に駆け込む・・云わば本宣なのか。
疑問は結構後々まで残った。

ただそれだけのことです。

PS:この日私が買い求めたのは、スピリチユアル本ではなくて、藤原正彦氏の《国家の品格》。
2006年11月15日
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2006年11月15日
師範 秦
【子供にニュース番組は見せないで下さい!】
悪魔のようなばかな親が非人間的なことをしでかす事件が、映像と共に垂れ流しになっている。
朝から昼から夕方から夜まで。
だから、子供達に垂れ流しされるニュース番組は見せないでおこう。

心が痛いから。胃袋に穴が空きそうだ。

心の荒む事件ばかりを追わずに、たまには小さなホットニュースや感動を詰め込んだ番組を作ってくれないかなあ・・。

今日のお昼に、『ゴマ油を味噌に混ぜ込んだかやくご飯が体にいい』ということを真剣にやっていたみのさん!

テロがあったあの日も・・秋篠家に男子誕生のあの日も・・一言もそれに触れなかった、ある意味あっぱれで、
ひたすら軽いノリのお笑い番組をロングランさせているタモリさん!

あなた方に私は表彰状を贈りたい!

この二つのテレビ番組が、100%安全で娯楽に徹していることになぜかほっとするんだよ。

違いますか?皆さん!!
2006年11月15日
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2006年11月06日
師範 秦
2006.11.3(金;文化の日)

【第3回ツーリング】


~~~~We became a bird on this day and flew in sky~~~~

目的地:兵庫県丹波市青垣町 スカイスポーツタウンAOGAKI


世間は三連休の初めの3日金曜日、朝早くに身支度をして一路姫路へ。
今回の参加者は、山本隊長と保田中央支部長と私の3名。保田支部長といつもの府立体育館前で落ち合ってGO!GO!GO!!
翌土曜日は、午前から指導があるため日帰りのツーリングとなりました。
青垣町は兵庫県の中央・京都市に隣接しており大阪・神戸・姫路から車で1時間30分で、青垣町の澄んだ空気と大いなる自然、歴史に触れる事が出来ます。

保田支部長の提案での今回のツーリング。『師範!久し振りに鳥になりませんか?』と誘ってくれて、ワクワクどきどきのフライヤー(パラセーリングで飛ぶ人のことを昨今はそう言うらしいです)体験!!

空挺部隊時代の落下傘降下の経験は、それが仕事であり修行であった訳ですので、
もちろん楽しむ余裕などなく命をかけた実践の日々でありました。

如何に低空飛行のレジャーであれ、基本や注意事項はキチンと守って、指導者の言うことに忠実に従うことは全くもって大事なことであるという気持ちで
〝 飛んだ ァ ァ ァ ~ ~ ~ 〟

今回のセーリングは又とない天候に恵まれ、又、校長の加藤さんとタンデムで準備万端。
ワクワクしながらの空中散歩となったのです。
校長から、『体験フライは、初めてにしては素晴らしい!』とお褒め頂きました。
加藤校長は、トライアルの全日本チャンピオン。息子の豪君は全日本パラセーリングのチャンピオンというサラブレッド!
世界を飛び回っているとの事。

保田支部長は、以前に経験があって、豪君と二回目のタンデム飛行でしたが、十分に楽しんだ様子が写真でも伝わってきます。
体験フライトでは・・??・・・

???隊長の姿が無い!そうなんです!隊長、深海に潜るハードな仕事の裏返しか、空を飛ぶのは好きではない!とのこと。
むむ・・隊長の弱点見つけたり。メモ×○▲メモ×○▲

しかし!たまたま隊長と校長は昔からのバイク仲間という事でビックリ!久しぶりに友好を暖めあった二人。
・・・皆何かの糸で結ばれていたのか、縁は異なもの味なもの。大事にしなきゃなあ・・とつくづくと思った次第・・・

初級者、中級者、上級者とレベルにあわせたフライトゾーンがあり、決して最初から無理をしないこと。
各々のルートにはいずれも素晴らしい大自然が広がっており、一日体験コースも設置されていてレベルにあわせたトレーニングが出来るので、もちろん初心者もOKなのです。

文末にサイトのアドレスをご紹介しておきますので、興味のある方はアクセスして下さい。

昼ごはん、西脇市にある蕎麦屋で、夢中になって楽しんだため空っぽになった胃袋に、蕎麦大盛と焼肉定食と牛丼を放り込む。
これ一人の注文也り(@_@;)

そして、帰りがけ、今回参加出来なかった三重の梶原支部長にも日帰りツーリングの報告。
ドタキャンの詫びは次回〝でっかく〟返してもらう約束を・・・すればよかったな。。。

今宵はもう一回空を飛ぶ夢を見よう!!と思ったのに・・目から足の先までの体中がバンバンに疲れていたためか、
あっというまに眠りの世界に沈み込み、もう空は飛べませんでした。

山本隊長曰く・・

『秦さんは、これで陸・海・空を制しましたね〃あと残すところは宙ですね〃』

――――――――――――


■観光の窓口■
青垣町観光協会 TEL/0795-87-2222
〒669-3803兵庫県丹波市青垣町西芦田541-1 道の駅あおがき内
URL http://www5.nkansai.ne.jp/org/aogakityou/ 

■ロールアウト
TEL/0795-87-1825
〒669-3831兵庫県丹波市青垣町佐治23-1
E-mailでのお問合せ  info@rollout.jp
校長 加藤さんのH.P http://www.k-kato.com の「飛ぶ」からアクセスして下さい。


2006年11月06日
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2006年10月27日
師範 秦
【神田さんの結婚式に招かれました】



幸せの♪シャンパンタワー♪


平成18年10月21日 土曜日 

素晴らしい秋晴れのこの日、奈良市高畑にある《奈良ホテル》にて、
株式会社神田大薬局社長の神田和正氏と新婦嘉代さんの結婚式が行われました。

僭越ながら私も友人の一人としてご披露の宴にお招きに預かり、喜んで出席させていただくことになりました。

媒酌人には、個人的にも親しく、又我が支部の相談役として常々お世話になっている衆議院議員の鍵田忠兵衛代議士ご夫妻がお付きになって、華やかに祝宴が執り行われました。

神田氏とは鍵田代議士を通じてお知り合いにならせていただいた経路があって、
1997年の第2回大仏杯よりご後援いただいている大事な後援者のお一人であります。

ご友人も多く、そんな中で何度か食事などもご一緒する機会もあって、
大会社の社長らしからぬ気さくで柔らかなお人柄を尊敬しておりました。

数え切れぬ関係者とご友人がおられる中、私如きに招待状をいただき感激した次第です。

最高に幸せそうなお二人を前にし、又、ご家族やご友人の暖かでアットホームな盛り上がりの披露宴の間中、
こちらまで終始頬が緩みっぱなしの私でした。

又鍵田代議士とは7月の大仏杯に御来場いただいてより3ヶ月振りの顔合わせでありましたが、
久々にお会いできた鍵田代議士夫人の美智子さんとも披露宴の合間にお話させていただき、本当に喜ばしい!又嬉しい!お祝いの宴でありました。

☆♪☆♪☆本当におめでとうございました!!☆♪☆♪☆

幸せ満艦飾のお二人に、是非皆さんも幸せのおすそ分けをいただいて下さい!

2006年10月27日
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2006年10月20日
師範 秦
【昨日*今日*明日】

第一話《 竜馬の話 》

美味しい蕎麦屋を見つけた!蕎麦屋(亭主)と打ち解けた!
趣味が同じという事が分かって客(私)と店主の関係が急速に近いものになった。

店の名前を《竜馬》という。

信州の新蕎麦粉で打っている。店の奥に少々のカウンター席があって、その目の前に蕎麦打ちの小部屋がある。温度や湿度など環境が大事なのか頗る清潔で、明るく、エアコンも一台設置して、厨房との間はきちんとドアで仕切られて、美味しい蕎麦がこの小部屋で誕生する。壁には何本ものう打ち棒がかかっていて、亭主はそれを下から順に使って手際よく、力強く蕎麦を打つ。

硬すぎず、柔らかすぎず、色目よく、香りよく、絶妙な味わいで盛蕎麦二枚は一気にすすっと食べる事が出来る。
添えられた生わさびが、これ又うなるほど美味い。
日本人は蕎麦が好き!男も女も蕎麦が好き!
蕎麦は亭主の心意気でいただく。

住所や電話番号はあえて申し上げませんが、是非皆さんも、みつけてご賞味下さい!!

蕎麦打ち部屋
カウンター席から玄関を望む
てんぷらと盛蕎麦
生わさび
焼酎竜馬
竜馬のご主人:Mituruさん

追伸:
この間、お店に、現内閣総理大臣補佐官の小池百合子氏が、SPの方二人をお連れになり来店され、
満席だった為玄関口でかなりお待ちになり蕎麦を食されたとか。
亭主、この日は事の外忙しかったためご挨拶も出来ず、後でバイトさんに聞いてビックリ・・。
もちろん!『美味しかったです!』のお褒めの言葉を頂いたらしい。




第二話《 いじめの話 》

福岡で教師の生徒へのいじめが原因(因果関係と詳細を調査中)で、中学生男子が自宅で自殺したとのニュース。

お葬式の現場で、たくさんの報道陣がご両親に向けて、又学校の関係者に向けてマイクを差し出す。
全校集会での校長の声が、全国の視聴者に向け一斉にニュースで流されている。
校長の発言が一転二転するため、その都度、遺族の気持ちが踏みにじられ、心の傷口に塩を塗りこめられているような痛ましいことになっている。

世界中の出来事が、ダイレクトにテレビに流れる現代社会。まるで隣りの家の出来事のように、何十万世帯の視聴者にテレビの電波を通して、葬儀での凄まじい言葉のやり取りが流れている。
それだけ大きな問題となっているわけで、日本国中の教育関係者が人事ではないと震え上がっていなければならない。

私が親であったらどうだろうか。

取り乱して訳が分からなくなって、呆然とするだろう。
冷たい息子を抱いて信じられないと青ざめるだろう。
訳のわからない怒りに拳を握り締め、その後泣くだろう。
野獣の叫びのように号泣するだろう。
守ってやれなかった自分を責めるだろう。
皆帰ってくれと願うだろう。
家族だけにしてくれと叫ぶだろう。

どんな状況であれ、子を失う悲しみは深く心を抉る。

まずは無くなった男子生徒の死を悼み手を合わせ、深い悲しみに涙したい。
そうする事が、今、一番大事だと思う人はたくさんいただろう。

遺書があったことでいじめがあったことを知ることになった。死へと導いた原因は、行き場の無い悲しみに突き落とされたいじめによる自殺であったことは明白である。一日も早い原因の究明をと願う。

得てしてこの時期の子供の心は、ふとしたことがきっかけで沈んだり傷ついたりもする。

自身のことを思い出しても、死について考えだすのも思春期の特徴だと思う。
限りない妄想を抱き恐怖に眠れない夜を過ごすこともある。
人間が死ぬということは骨を残してあとの心は魂は何処へ行くのか・・と考えても考えても答えが見つからない。
傷つきやすく刹那的でデリケートな子ども達がいる中で、心の荒廃した人の心の痛みや善悪の区別の分からない子供がいる。
そんな悪魔に魅入られたかのような子供らが集団で陰湿ないじめを繰り返す。

昔、教職は聖職と言われていた時代があった。
先生(教師)になることは、警官になることやパイロットになることと同じくらい子供達の夢のトップに並ぶ職業であった。
親も子供がそういった職業に付くことを望み、万が一なってくれたら誇らしく思うというようなことであった。
先生は、子供達にとっては憧れの存在。そして、お父さんと同じくらい怖い存在であった。

今学校の教育現場が変わってきている。いや既に早くからひどくなっていると聞く。
現場を知らない私は現状を聞いて心底驚く。
中学校で、授業中に私語だけでなく、携帯をいじったりお菓子を食べたり、勝手に外に出かけたりするものがいるらしい。

それよりも、昔のように、いちいち立たせたり叱ったりしないということに正直驚く。
教師という職業が聖職と言われなくなった原因の一つはそこにあると思う。
昔、高校卒業後に大学に進学する者のパーセンテージがまだまだ低かった時代。
多くの生徒が高卒で就職する中で、勉強の出来る、お金持ちの、真面目で正義感に燃えた学生たちは、教師になるべく教育大などに入学した。もちろん他にも学部も多様にあってキャンバスは、社会に出る前の華やかな間口の広い若者の園であった。

 正義感に燃え、やる気満々の若者たちが教育者として育っていった。
そして、熱血教師として数々の教え子を送り出していった。決して金八先生のドラマの如く奇麗事を言っているのではない。

今、教職につきたいと語る若者の中に、〝古臭い熱血漢〟と称される体質の教師希望者がどれほどいるのか。
子供達の取巻く環境が多様化し、問題を抱える家庭で育った子供も数え切れない。
教育の現場が荒廃し、もはや憧れの職業でも無くなった感があるのは否めない事実であると思う。

そんな中、バブル世代に育った柔らかな心根のハングリー精神を置き去りにした先生の誕生もあるだろう。もちろん現場では寝食を惜しまず、子供達の為に頑張り続けている多くの先生たちがいることを忘れてはならない。

そんな中で、未だに教師という職業が聖職であるという認識は、必ず人々の心にあって、決して廃れていないことを、このような大きな事件がおきたときにかかわらず、教師が起こした事件が報道されるたび、まさかの教育者が犯罪を!と取りざたされる。教育者は、おおっぴらには酒を飲む店などにも行ってはいけない・・的な多くの人の心に根強くあるのが事実だ。

いじめの問題を摩り替えようというのではない。
今回の教師の生徒への接し方には大いに問題があり、それを見逃していた学校側の責任は重大である。
直接的な原因がこの教師にあると判明したならば、直接に手を下さずとも死に至らしめたという責任は重い。
だが、今日の教育現場の崩壊によって、多くの教職につく先生たちは日々莫大なストレスを抱えていることも事実であって、根こそぎの解明から手掛けないと、同じことの繰り返しが起きるだろう。
学校全体を包む規模から内部に向けて改革のメスを入れるべきである。

子供達は不甲斐無い大人を笑っている。そしてこう思っている。

『何を言ったって、警察が調べに来たっていじめはなくならないんだよ~永遠にね。』

福岡の事件の現場となった中学では、ヌルヌルとした空気が蔓延していたようにも感じ取られる。
何も解決していない先から、校長の信じがたい言葉を子供達は聞いている。
『大丈夫だからね。うちはもう元に戻ったから。皆さん分かってるでしょう。マスコミが言ってるような学校じゃないって』。

実に情けない、このようなまやかしの学校運営をする校長は、断固責任を取るべきであり、現場の教育状況を詳細に把握し、教師のカウンセリング、教師自身の徹底した教育を同時に行っていかねばならないと思う。

先日、中学校の先生をしている道場の指導員と立ち話をした際に、彼がこんなことを話していた。

『私の勤める中学校も、総体的に生徒の学力の低下や素行の悪さなど目に余るものがあって、先生たちも日々頭を痛めています。多くの生徒を一括して道徳だとか精神的なものまでも教育してゆくには自ずと限界があって、一旦学校を出てしまえば野放し状態となってしまう。じゃあ何にこれからの世の中で期待を寄せてゆけばよいのか・・というと行き着くところ武道しかないんじゃあ無いでしょうか』

長きに亘り武道の世界に身をおく私自身も、常々武道を通じた人間教育というものをもう一度初めから取り組む必要性があると思っており、子供達の心の拠り所となるような,又精神の鍛錬の場として、多くの皆さんに活用していただきたい!
我々を大いに利用していただきたい!と殊更に思った次第である。

いじめが原因となっての死亡事故がおきると、しばらくは世間が騒がしい。

教育の現場がどうだ、教育委員会は何をしていた、教育者としてあるべき姿は!
国会でも何度も取りざたされて、地方の教育関係には厳しいご沙汰も出るだろう。
見ない振り、知らない振りして『我が教育の現場は改善の一途を辿っています』とうわべを繕う虚偽の報告を繰り返す。
だからこそ一向によくならない子供達の教育現場。繰り返しおとずれる悲しみのニュース。

いじめだけでなく、引きこもりや家庭内暴力も表面に現れていない事例がまだまだ山のようにあると思う。
恥ずかしいとか、格好悪いとか思わずに誰かに打ち明けて先ずは話すことから始めてみればどうだろうか。
我々空手の指導者も、出来る限りの手を差し伸べたいと思っている。
親も地域で手を取り合って情報の交換、対学校に対し意見を述べる保護者会を頻繁に、アンケートや掲示板の設置、家庭教育の勉強会など行っていかなければならないと思う。

さあ・・最後は・・茶の間で家族で顔をあわせる会を実施しよう!
お母さんとおじいちゃんもおばあちゃんも妹も弟も・・もちろんどんなに忙しくてもお父さんは議長で席に座って。
うるさくて静かにして下さいと近所から注意を受けるようなそんな家族会を明日から、どうぞ、実施して下さい。


悲しみと悔しさで一杯になり、行き場を失い天国に旅立った君に、心からの追悼の気持ちを表し、
ご遺族の皆様方に心からのお悔やみを申し上げます。





第三話 《秦貴典は、大いなる嫌煙家である》

何ヶ月か前に村上フアンドの村上さんが、株のインサイダー取引疑惑で逮捕されたニュースは既に皆さんご存知ですが、
彼のシンガポールへの移住申請の記事をある紙面で読んだときに、彼が嫌煙家であるらしきことにも触れていた。

彼に追随して移住を決意していない幹部は一部の愛煙家であるらしい。

もちろんそれだけが理由では無いにしても、そんな記事に興味を惹かれた。

以前にシンガポールを旅する機会があって、噂の通り美しい国であった。
季節を問わず町中は観光客で溢れかえっているので、人がごちゃごちゃと通りを行きかう。なのに!美しい!
通りも、観光地も、レストランもゴミ一つ落ちていない。ゴミくずを捨てるゴミ箱は当然ながら無い。
夜になってホテルの部屋のベランダから下を見下ろすと、どの建物も街の通りもまるで宝石箱のようにきらきらと輝き、天に向かって数え切れない数の高層ビルが乱立して建っている。

国の広さは琵琶湖と同じくらい。地震が無いため、ガラスに覆われた天をつくかのような高層ビルも建てる事が可能である。
アジア独特のごちゃごちゃとした屋台群は、ビルの中の巨大モールに押し込められて独特の情緒が薄れてしまったが、
この国には多国籍の人間が蠢いていて、実に魅力的な国である。

さて、日本よりも断然小さいこの国は多民族が集まり一国を成している為、国独特の規則や法律、
そしてそれらを徹底させるための罰金制度が設けられている。
その法律が旅行者であっても例に洩れないことに多くの旅行者たちは緊張を覚えるところであろう。

私も例外ではなかった。
有名な話であるが、ゴミのポイ捨て、唾を吐く、チューインガムの吐き捨てなどには罰金が科せられる。
入国時にチューインガムの持込も禁止であることを知らない観光客も多いだろう。

調べてみると、ゴミのポイ捨てをした場合の罰金は、$1.000(1シンガポール$66.2円)だという。
喫煙所以外の場所でなければ絶対にタバコは吸えない。屋内は国内全て喫煙禁止である。

いずれにしても、私や、多くの禁煙家にとってはパラダイスであることは間違いが無い。
私は、〝タバコの煙が嫌いだ!匂いが嫌いだ!〟正真正銘の嫌煙家である。

だからして、タバコを吸う人とは縁が薄く、望んでお友達にはならない。
タバコを吸う人がよく言い訳に使うのが、『タバコを吸わなくても肺癌になる人だっている。私の体、私の命だからほっといてくれ』と。

おっしゃる通り、タバコを吸わない人も肺癌になるし、酒を飲まない人が肝臓癌にもなる。
方程式を解くのにさまざまな考え方があるように、病気のかかり方も千差ある。
だけれども、タバコの煙は己の体にとどまらないところに問題がある。

家族のみならず、さまざまな場面で他人にも害を及ぼすから厄介なのだ。
喫煙者の母から生まれた赤ちゃんに障害を持って生まれる確立が高いと聞くと、女性ならばだれしもあえてリスクをしょってまで吸おうとは思わないだろう。他人の肺の中のことを心配しているわけではない。好きで吸っている人にいくら言っても仕方が無い。

とにかく!私は!嫌いなタバコの煙に染まりたくないのである。

先日、有名なチェーン店の中華料理屋に指導の後、職員と食事に行った時のこと。
昼間は全席禁煙であるが、夜は喫煙が許されている。夜もそうであれば店を訪れる回数も増えると思うのだが、店の方針が喫煙家にもご来店いただきたいという煮え切らない態度だから(手前勝手に思っているだけ)少々腹立たしい。

衝立をはさんでサラリーマンらしき男性がラーメンを食べていた。
食後の一服か、高々と煙をあげ始めた。こちらは餃子に箸を伸ばそうとしていて、匂いに気がつく。
注文した料理が並んでいたが、職員が私の顔色に気がつき、従業員に言ってくれて席を奥の座敷に替えてもらった。

ほっとしたのも束の間、赤ちゃんを連れた若い夫婦が一つ向こうの席に座った。
赤ちゃんはやっとたっちが出来るくらいのようで、こちらを見てきょとんとしているので、愛想に笑ってみると体を揺らせて赤ちゃんも笑っている。そこまではよかったのだが・・。
注文した料理がくるまで夫婦共にタバコを吸いだしたのである。
しかも!積んである取り皿を、赤ちゃんにおもちゃ代わりに与えて、二人で話し込んでいる。
赤ちゃんは取り皿をデコラのテーブルの上にバンバンと打ちつけだして・・。
店中に相当な不快音が鳴り響くことになった。
料理がきてからも、その打ちつける遊びをやめさせる気配が無い。
話しながら夫婦は食べ続け・・・食後に又タバコを吸いだしたのである。

ほんの短い時間が何時間にも感じられ、ストレスを溜めて私たちはそそくさと店を後にした。

『言わないんですか?師範はそんな時』と、事務所で後日その話をしたときにそういわれたが、夜指導の後のほっとした時間に、見ず知らずの人に向って説教せねばならない事に正直気が向かなかっただけ。

赤ちゃんはもう数ヶ月すれば少しは訳が分かって、ちがう遊びでおろかな両親の食事時間を待つ事が出来る様になるだろう。
生まれた子供は何ものにも換え難い宝物。

可愛い気持ちは皆同じなはず。なのに家でも同じ様な情景が繰り返されているのだろう。
子供の為にタバコはやめよう!人様の迷惑になるから少し気を配ろうということに認識が及ばないこの若い夫婦は、いつになったらそんな極当たり前なことに気付くのか・・いや永遠に気付かないのか。

タバコ話で、もうひとつ。少し前の朝のテレビ番組で、タバコの価格が上がるという話題について、おしゃべりな関西の若手芸人が矯めにならない話を大声で話していた。

芸人A(男)『俺は何ぼ値段上がってもやめられへんわ』
芸人B(男)『それやったら一個一万円くらいにしたええのんちがう?』
芸人C(男)『保険適用されるようになって、本気でやめる人も出てくるやろな』
芸人B(女)『女の方が意志強いと思わへん?だってなんていわれても止めへんもん』

スポンサーが大金をつぎ込んで出来た番組で、しかも興味を惹いた折角のタバコ話題で、これだけの内容にしか話題が及ばないことの寂しさ。よくアナウンサーが人名の漢字を間違えて流したときや、発言に対して陳謝を入れるように
『番組中不穏当な発言がありましたことを、お詫び申し上げます。』 

『番組中あほな発言を致しましたことで、不愉快な思いをされた皆さん。ごめんなさい』とでも言ってもらいたいよね。本当に。

それでも・・
買いますか?

2006年10月20日
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2006年9月30日
師範 秦
徒然なるままに・・

朝晩かなり涼しくなって、秋めいてきましたね。
空を見上げると雲の様子が変わってきたことに気付き、道沿いの田んぼの稲穂が金色に輝き始めました。

橿原道場の3階にある私の部屋から見渡すと、金剛葛城の山系が北側に二上山に連なって、
まるで精巧に作られたパノラマをみるようです。

金剛葛城山系 二上山


じっと目を凝らすと、春には緑一色に染まった山肌の中腹当りを、ところどころ桜色に染めているのを見る事が出来ます。5月の中旬頃には、葛城山山上が一目100万本とも言われるツツジの花で覆われているということで、その絶景を一度は見に行こうと思っているのですが、なかなかに実行できずにおります。

夏の夕立の後に大きく弧を描き虹のかかるのを発見したときには、感動の余り鳥肌が立つくらいです。
大騒ぎで皆に観るように伝えても、虹はほんの束の間・・直に消えてゆくのです。

秋は、殊に夕焼けが美しい!夕焼けのベストショットもほんの2分か3分。
日の出の華やかさとは又違った、沈み行く太陽の余りの神々しさに空しさを覚え、胸が熱くなります。

冬には、空と交わる山稜付近に真っ白な雪をいただき、凛とした冬山の姿を見せてくれます。

今日、事務所の職員に、年末年始の行事計画を相談されたときに、もう一年が過ぎるのかと愕然としてしまい、
何故か冷や汗が出るような奇妙な気持ちになりました。うかうかと一年を過ごしてはいないつもりでも、いつも今頃には、今年やり残したことは無いかと思い返すのが常になっております。

そういえば長く空を仰いでいないなあ・・と、指導に出る前に部屋の窓を開けて外に目を向けると、
雲の様子が秋に変わっていて、爽やかな風が舞い込んできました。
朝、新聞に目を通しているときも目は下に、日中、車を運転しているときも前方ばかりを見ていて、
事務所に来ればパソコンの画面と向き合うか、来館者の方と話をしているか・・。
よく考えてみれば、余りにも日常に忙殺されて、頭を上げて空や景色を見ながらぼんやりすることなどほとんど無かったなあ・・と思った次第。

家族で、お金をかけない小旅行や日帰りの遊びなどに出かけることは、日頃のストレスを開放する格好の手段です。
気持ちの良い季節!どこかに行ってみましょうや。
疲れた目に点眼薬をさすように、心に一滴の休息という点心薬を;;;;

 夏往きて 早や年越しの 支度かな 』
2006年9月30日
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2006年9月28日
2006/9/23・24

秋分の日・第二回ツーリング

****《二十四の瞳》小豆島に行こう!!****


昭和三年四月四日、
農山漁村の名が全部
あてはまるような、
瀬戸内海べりの一寒村へ、
若い女の先生が、
赴任してきた。         【壺井栄:小説「二十四の瞳』より】


23日(秋分の日)


梶原支部長・保田支部長・山本一雅氏・私の四人で、第2回ツーリングに挑戦。
晴れ渡った秋晴れのこの日、夕刻に奈良を出発して姫路に。
保田支部長の指導が終るのを待って、山本氏と落ち合い、姫路市三右衛門堀西の町にある【力士料理大亀山】でちゃんこ鍋をいただく。暑い夏の間には鍋をする機会も無く、久ぶりの鍋にかなり感動する私と梶原支部長。〝鍋を食べたらやっぱりお酒は飲みたい〟ということで、今宵は姫路泊で明日の朝早くに出発することにしよう!と意見一致。たらふくいただいて、ビジネスホテルにて早々に就寝zzzz・・・・


力士料理大亀山にて

大亀山店内


24日(日)快晴

~~~ 姫路港より一路香川県小豆島福田港を目指す。~~~
7:15発―――8:55福田港着。
1時間40分の船旅は、穏やかな瀬戸内海の風を受けて至福のひととき。

清風の瀬戸内

フェリー甲板

――――――上陸――――――


小豆島――着―――
小豆島――着―――


今回も隊長は山本氏にお願いし、島巡りに出発!島東半周を走破することに。
小豆島は全島の面積が153.2k㎡、海岸線125.7Kmの島で、日本で18番目の大きさである。
島の東海岸国道436号を南に約14キロ走った後、目的地二十四の瞳分教所に向かう道なりに、有名な《丸金醤油》の本社工場が・・。すごい観光客で賑わっていた。
この当りは佃煮も名物らしくなんとなくご飯が食べたくなるような匂いが漂いはじめる。

たがが 醤油  されど 醤油
出来立て 醤油 直売


の暖簾に気を引かれて、手作り醤油の《金両醤油》に立ち寄ってみることに・・。
建物自体がノスタルジックな上に、醤油の匂いが昭和初期の家庭のちゃぶ台を連想させて、自分は日本人であることを尚更嬉しく思った次第。
試飲の醤油をあれこれ試して、そのまろやかさとコクに「これぞ古来より日本人が愛した味だ!」と感動し、ダシ醤油・濃い口醤油・もろみを箱詰めにして送ってもらうことにした。


【金両醤油】いいにおい~~
【金両醤油】いいにおい~~

その後、二十四の瞳映画村で観光。
冒頭の書き出しにあるように、壺井栄の代表作となった『二十四の瞳』が、昭和29年に映画化されたことで小豆島観光の盛況の端緒を開いたといわれている。
明治35年に田浦尋常小学校として建築された平屋建ての校舎は、昭和46年に閉鎖されたが、現在も地元の保存会の方達によって大事に手入れされ、観光の一スポットとして日々賑わっているという。又、昭和62年には田中裕子さんが大石先生に扮して再度映画化され、その際の学校のオープンセットがそのまま保存されている。


せんせ あそぼ

「せんせ お弁当食べたん」
「うん 今お茶飲んどるとこや」
「そんなら あそぼ」
「早う 早う」
「せんせ あそぼ」
「何してあそぶ」
「竹馬」
「よおし せんせ 負けへんぞ」
「貝とり」
「あんた 貝とり得意やもんね」
「かごめかごめ」
「とうりゃんせ」
「そんなら じゃんけんで決めなさい」
「よおし」
「じゃんけんぽん」
「あいこでしょ」
「わあ せんせ 一番先に負けてしもた」    ――壺井栄生誕百年記念銅像刻詞――


二十四の瞳岬の分教所

かじわらたかひろくーん!!『はあーい』

さあさ!紙芝居が始まるよ!

高峰秀子の大石先生

昭和初期の学校の面影そのままに・・

映画村のお店

二十四の瞳映画村ご案内

懐かしいボンネットバス

天満宮さま

壺井栄

映画村を後にして、標高612mの寒霞渓(かんかけい)に向う。
岩壁の間を渡るロープウェイに乗って頂上へ。渓谷と眼下に見下ろす瀬戸内海の海がまるで絵葉書の一枚のように広がり、絶景成り!!10月からは山全体が真っ赤に染まり、裾野までが黄金色に色づく12月中旬まで紅葉を楽しむ事が出来るということだ。
瓦投げ祈願が出来る展望台で、4人それぞれのフオームで瓦を投げて願い事を・・・。
やんちゃ心がおきてしまい・・記念碑の上によじ登って記念撮影(失礼しました!)
食堂で、小豆島名物の素麺を食べて、いよいよ旅は終盤を迎える。


寒霞警に登頂

渓谷と瀬戸の海の融合

展望台は瓦投げ祈願で有名

決まった!

愛車と・・

出発!


17:19  福田港発 姫路行きフェリー乗船


別れ

フェリーからの夕景

楽しかったね


18:55 姫路港 入港

お腹のすいたメンバー、山本氏に案内されてレストラン《ビスク》で食事をご馳走になる。


レストラン★ビスク★

☆ビスク☆

♪ビスク♪

ビスク♯

・・・・・

*・*;/*

ソースはたっぷりが好き

マナーを守って

ムグ゜゜゜゜

天候に恵まれ☆彡
トラブルも無く順調に☆彡
楽しく☆彡
正しく☆彡
過ぎていった第2回ツーリングは全終了○o。。。。。

〝さーて!又明日から奮起一発!.!頑張るぞ~~~〟
2006年9月28日
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2006年8月1日
第11回極真カラテ大仏杯奈良選手権大会

【 御 礼 】

謹啓、貴下益々ご清栄の段、お喜び申し上げます。
 さて、過日の私支部主催の、【第11回極真カラテ大仏杯奈良選手権大会】の開催に際しましては、
一方ならぬご厚誼に預かりまして誠に有難うございました。

無事成功裡に幕を閉じることが出来ましたのも、多くの皆様方のご支援とご協力の賜物と心より感謝申し上げます。
又、今大会は、奈良市中央体育館にて開催させていただきましたことで、会場内での混雑やトラブルも最小限にとどめることが出来、関係者一同とても嬉しく思っております。

支部創設二十二年の歴史の中で、数々の試合や大会を主催させていただいた中で、
『マナーを重視した大会理念』というものを大々的に打ち出した大会は過去にはありません。
試合や大会を開催するについては、先ずは公共の施設をお借りする爲の契約を必要と致します。
その際、施設を管理される側から、厳しく申し渡されるのは、極基本的な社会のルールとマナーのことでございます。

会場周辺への違法駐車や迷惑行為の厳禁、会場使用の規定の遵守などは、本来口に出して取り決めることではないと思います。なぜならば、誰しもが社会の一員であり、当たり前に守られるべきことばかりであるからです。
なのに〃敢て前段階において双方にて綿密に取り決めを行い、会場周辺には交通整理や違反者への警告の為に、
警備員のプロの方を多く配置する必要性に迫られます。
試合規模や観客の動員数には関係なく、どの大会にも今後益々その必要性が増してゆくでしょう。

又、会場内には溢れかえるゴミの山ができるのももう普通のこととなり、そのために担当者を配置し、
コンテナを導入せねばなりません。愚痴めいた話になりますが、これは全国的な傾向として大会を主催する支部それぞれが抱えている問題であります。

今大会においては、会場内外での規定を守らない方々に向けて、試合進行の間を縫って本部席からのアナウンスを繰り返し繰り返し行いました。

一部の方が社会生活のマナーや規則を無視する風潮や、自分本位で短絡的な物の考え方が蔓延った現代社会では、
道義心や感謝の心が廃れております。現実に道場の運営においてもそういった現象が間々あって頭を抱えること暫しであります。

異常な事件や犯罪が後を絶たない今日この頃です。

武道の世界に身を置く我々に課せられた課題は、青少年の健全育成と、
武道空手を通しての精神教育の現場を守り、且つ極真カラテを未来永劫に発展させねばならないという大義であることを、
今一度心に誓ってこれからも邁進してゆく所存でございます。

様々な形でご支援ご協力いただきました皆様方に心より感謝申し上げ、
略儀乍ら本書を持ちまして御礼のご挨拶とさせていただきます。有難うございました。

謹白
平成十八年八月盛夏
                     国際空手道連盟極真会館 奈良支部
                     支部長  秦 貴典

2006年8月1日
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2006年5月19日
師範 秦
【 水戸黄門 考 】

私の友人の60代半ばの女性に大の『水戸黄門』様のフアンがいる。
彼女はゴルフ歴30年、ジムにも週二回通っているくらいの活動家で、とてもモダンな熟年の女性であって、
欠かさず水戸黄門のテレビを見ているというのを聞いて正直『へえ~っ』と驚いた次第。

この頃は、朝からやっている再放送を遅い朝食を食べながらニヤニヤと見ているらしい。
水戸黄門様は何度も役者が変わっていて、彼女の一番好きなのは、意外にも東野栄次郎さんという役者さんがやっていた頃のが好きだという。石坂浩二さんの現代的で男前な顔は、時代考証的には相応しくないとおっしゃる。

残念ながら、私は時代劇には馴染みが薄く、この話を聞いてから再放送を覗いて見た。

 水戸黄門の時代劇には必ず悪巧みをする商人と、その商人から袖の下をせしめる悪家老や、悪代官が出てくるという。
黄門様は杖をついた白髭の老人であるから、如何に江戸の世といえ、『控えおろう!この紋所が目に入らぬか!』と三つ葉葵の御紋をちらつかせても、刀で切り付けられてしまえば、先の副将軍であろうが死んでしまうところでありましょう・・が、黄門様には格さん、助さんという強い家来が二人いる。たいがいの敵はこの二人に会っては敵わない。
由美かおる演じる娟(ぎん)さんは、女山賊(おんなやまだち)として黄門様を守る取巻きの一人。旅の途中何処にでも出没する。その剣戟が切れがよくてすこぶるすばらしい。

気風のよさもスカッとする。しかし〃今もって役どころと同じ年齢不肖!!

―――由美かおるは由美かおるとして未だに美しい!のは何故なのだ?―――

その印籠を見せたときの助さんが、最高に彼女の心をしびれさせてくれるという。
助さんは女好きの酒好きであることも気持ちを和ませると言う。
着物を端折って見えている太腿の辺りもセクシーらしい。んんん・・・・
 
 毎回あらすじが見えて単純なのがいい・・世直しが好き・・悪が必ず成敗される・・百姓や町屋の人はみな勤勉で誠実で家族思いで、金を持ってるやつらは皆悪に浸かっていて腹立たしいが、必ず最後は平身低頭に改心する・・という愚にもつかない毎度毎度の繰り返しがなぜかほっとするらしい。
『この世の中、間違いだらけの腹立つことばっかりで、ホンマに嫌になります・・』とのことである。
 
 私が観たところ、黄門様は、人情に厚く、正義感強く、ユーモアに長け、賢者であり、又好奇心旺盛であった。今の世に、このように世直しして日本全国を行脚してくれる現代の黄門様がいらっしゃったら・・と、子供のような妄想を抱いてしまった次第。
 
 繰り返し繰り返し場所を変え、人を変えて、世直しの旅は延々と続く。
そこにある原作者の意図は、決して難しいものではないと思いたい。見ている人たちには私の友人のように、ただ単にほっとするんですという気持ちを持ってほしいし、おじいちゃんやおばあちゃんたちを中心とした家族団らんの場での、あくまでも娯楽として存在してほしいものです。

遅々として進まない北朝鮮の拉致問題では横田ご夫妻の白髪の痛々しさに胸が詰まり、
またしても起きてしまった同じ土地での小学生不明事件では、地域や学校では何がなされたのかと苛立ちを覚え、建築偽造にかかわった人間の責任のなすりあいでは、『まるで私が殺人マンションを作ったとでもおっしゃるんですか』と声を荒げる建築会社社長にあきれ果て、可愛い娘を手にかけたその夜豪華なステーキを食べたという母を、生まれながらの犯罪者であると専門家が分析していることの恐ろしさ。

目や耳を覆いたくなる事件や報道で埋め尽くされている今日この頃です。

皆さんも、癒されませんか〃〃スローな時間を持ってみませんか〃〃黄門様で!!

♪ 人~生い 楽ありゃ 苦~もあるさ~ ♪
♪  涙の後には 虹~じも出る~     ♪
♪ 歩~いて行~こうよ 何~処までも~ ♪
♪ 自分の道~ちを 踏~みし~めて~  ♪
2006年5月19日
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2006年5月10日
2006/5/3・4
ゴールデンウイーク・ツーリング
   
  go! to !ONOMICHI!! 
         *****乗艦せよ!*****

★☆  男たちの大和  ☆★

連休の真っ只中!予てから念願だったバイクでツーリングに行ってきました。
メンバーは、
私・三重の梶原支部長・大阪中央の保田支部長・共通の友人の姫路の山本氏の4人。

それぞれが、休みをあわせるのが中々に難しく、急遽実行が決まったのはゴールデンウイークに入った2日の午前。

メンバーの募集も早くからしていたものの、仕事や家族との計画などあって、やはり一同に会することの難しさを実感。
宿泊する宿の予約も出来ずにバタバタと・・・3日の朝!10時になんば府立体育館前に集合!
遠足に行く子供のように、皆ワクワクと気持ちを昂らせて出発!

今回の隊長は姫路から参加の山本一雅氏。
バイク歴も長く、全身颯爽たるバイク野郎を決めていることからもお分かりいただけると思う。
晴天のゴールデンウーイークとあって、車の出方が半端でなく、高速も渋滞に続く渋滞・・・・・・
しかし〃バイクは車の間を縫って走れる為、乗用車の運転よりは、若干かかって来るストレスは違うかもしれない。
が・・もっと走りたい!風を切って思い切り走りたい!という欲望は渋滞の波に邪魔されて思うようにならず。

今回のツーリングの目的の一つは、尾道にて戦艦大和に騎乗すること。
子供じみたと笑わないでいただきたい。男は皆子供の心を持っているのです!押ーーー忍!!

※映画作成の為、巨額の金をかけて原寸大の『戦艦大和』のロケセットが建設された。撮影終了後に一般公開され7日が最終日となる。

世界最大、最強の戦艦『大和』で出撃し、昭和20年4月7日、アメリカ軍艦載機の攻撃を受け、東シナ海で撃沈する。
10代半ばから20代の若き兵士の運命を乗せた戦艦大和のドラマチックな真実に触れ、
戦争を知らない我々の心にも複雑に染み入るものが大いにありました。

日が暮れてより、それぞれバイクを引っさげてうろうろと宿を物色・・
ひなびた旅館をゲット〃して、4人枕を並べて夢の中へ。。。。

変哲無い食堂で食べた《尾道ラーメン》 安かった!旨かった!押ーーー忍!!
場末(旅館のおばちゃんごめん)の木賃宿、これはこれで楽しかった。押ーーーー忍!!!

バイクはプロ級の保田支部長、山本隊長、無理無理誘った感ありの梶原支部長、お付き合い有難う〃〃

〝 良い旅は・・・・お互いが絆を深めることであること〟
                     を改めて身をもって知った次第。お疲れーーーーっす!!
2006年5月10日
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2006年3月24日
【 愛国心 】について考える。
20日アメリカのサンディエゴで行われた【ワールド・ベースボール・クラッシック】で、
なんと!『王ジャパン』が世界一の栄冠を手にしたニュースが、日本中を駆け巡りました。
中盤のインタビューで苦渋の表情を見せていたイチローが、一変して熱く雄弁に語るイチローに釘付けになった方もおられるだろう。その表情豊かな彼の素顔を見て、イチローファンのみならず、日本中が彼の一言一句に感涙したことと思います。

バラバラの寄せ集めのチームを、彼自身が見せた最高のパフオーマンスで引っ張っていったと各種報道が伝えています。
日本の国旗が掲揚され、国歌『君が代』が流れました。上気した面持ちで選手たちは皆『君が代』を口ずさんでいた様子でした。
そのヒーローの姿に自分を重ね合わせて涙した方も、少なからずいらっしゃったことでしょう。

フィギィアスケートで荒川静香が世界女王となった瞬間も同様でした。
荒川はきりっとした表情で最後まで国歌を口ずさんでいました。
そして、たくさんの日の丸の旗がギャラリー席でパタパタとゆれていました。

彼らは世界で一番となり、日本の強さと素晴らしさを最大限に世界にアピールしてくれました。
彼らはいずれも背中に日本を背負って闘いました。

そして、優勝の瞬間彼らのアイデンティティは完全な形で完成されました。

空手の世界にあっては、4年に一回開催される世界大会でも、各国からの参加選手は国の威信をかけて闘います。
自分のためと同様に国のために闘うということこそ、愛国の心そのものではないでしょうか。

日の丸は、世界で一番シンプルで美しい国旗だと私は思います。

国歌については、有識者の方たちが侃々諤々と議論されており、内容がいずれ見直されることもあろうか・・と私自身は思います。

この場では良否については明言を避けておきますが、今我々が国を誇る歌として歌うべきは『君が代』しかないわけですから、自然のこととして歌ってよいのだということは理解せねばなりません。

米メジャーリーグで活躍し続けるイチローはWBCによって、クールでとっつきの悪いイチローから、
熱くて愛国心に溢れた温かい男として日本国民に勇気と感動を与えました。
日の丸を見つめ君が代を歌うイチローが目に焼きついています。

又、どの場面であったかは定かではありませんが、彼が現在の活躍の場であるアメリカ国歌が流れたときに見せた姿も忘れられません。アメリカのスポーツ選手が皆一様にするように、帽子を片手に持ち胸に当てアメリカ国歌の『星条旗よ永遠なれ』を口ずさんでいたのです。

もちろんそれは彼に活躍の場を与え続けてくれている、アメリカという国への称賛の気持ちであったとか思いますが、グローバルに活躍する日本人として、完成されたアイデンティティをもつ数少ない男ではなかろうかとそのとき思いました。

背中に日本という国を背負って闘うスポーツマンの全て(といって過言ではないと思う)は、
日本人としてその場にあることを誇りに思っていると信じます。

愛国心がすたれるとき、それは国がすたれてゆくときと言えるでしょう。
愛国心がある限り、世界にアピールできる音楽や芸術などの文化的分野においても、多くのスポーツの分野においても、更なる向上はつづいてゆくでしょう。
誰もがそういう認識を意識的に持てば、決して国は滅ばないと私は思います。

偏った考えが突出した、軍国主義の色濃い愛国心を想像される方、又拒否反応が出てしまう方など、正直あると思います。

決してそうではなく、日本に生まれ日本人として生きてゆく中で、普通のこと、
当たり前のこととしての『国を愛する心』を持ち続けて行く事が大事です。

若者たちの一人一人が、しっかりとした自意識の中で、本来の愛国心という言葉のもつ意味を理解することが出来れば、決しておかしな方向に行くことはないと思いますし、自ずと自分自身のモチベーションを高く保持することも出来ると確信します。
日本という国を好きでいたい!



愛国の心を忘れてはならない!





今年、世界で二つ目の〝 金 〟を獲得したそれぞれの選手に、
心からの尊敬と、感謝の気持ちを伝えたいと思います。





             有難う!!
2006年3月24日
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2006年3月22日-2
【 お彼岸とお墓の話 】
少し春の気配を感じる今日この頃です。昨日は彼岸の中日で、家族でお墓参りに行かれた方も多いことでしょう。
私は、行事続きで彼岸のうちのお墓参りは出来そうもありませんが、暇を見つけて近いうちに行ってこようと思っています。

仏教の世界では仏の理想の世界である『向こう岸(浄土)』を、彼岸と言い、春と秋のお彼岸は気候よい時期でもあり、
お墓は一年で一番にぎわうときでもあります。日頃は忙しくて・・又、みんなが揃うこともなかなかない・・とうこともあるでしょうが、
せめて中日を挟んで前後三日間のうちに仏様のおられる彼岸を思って、お墓に出向きお線香を手向けましょう。
 
お墓参りで思い出すのは、沖縄のことです。
私は南国沖縄が大好きで、過去何度か沖縄支部の国吉支部長を尋ねていっては、
一緒に島の北から南までをドライブしたり、海で潜ったりしています。

空港から那覇市内への移動中に目にする景色の中に、山手のあちこちに見えるお墓に、
初めて沖縄を訪れた人は先ず驚きます。まるで斜面に立つ一戸建ての家のようなものがたくさん並んでいて、
人が住むには遠目にも小さい事が分かるけれど、かといってお墓にしては大きすぎる!!

沖縄では3月の初旬に清明際(シーミーサイ;通称シーミー)という行事があって、
いわば沖縄独特の風習のひとつでありますが、親戚一同がお墓に集まり、お墓の周りを掃除して、
お墓の前でご馳走を食べお酒を飲み歓談するのです。その為なのかお墓は前庭があるような形をしており、
墓石ではなくてまるで小さなコンクリート造りの家の形をしているのです。
皆故郷の家に帰るよう集まってきて、沖縄色豊かなご馳走をそれぞれが持ち寄りにぎやかにそれを食べるのです。

内地では考えられない光景です。
先祖崇拝が色濃い風習は、東南アジアの諸国にも見られ、私が何年前に行ったタイやインドネシアでも、
死者を葬るための派手なまつりごとの行事に出くわしたこともあり、家屋敷の敷地の中にそれぞれ社を建てて神を祀り、
供物や花を絶やさないということを知りました。そういった風習が海を渡って沖縄にも流れ着いたのでしょうか。
今度沖縄に行かれる事がありましたら、ぜひ車の中から山手を注意深く眺めてみて下さい。

日本でも戦後まもなくの頃ですと、死者をおくる行事も非常に厳かで、死者をおくるに相応しい情緒のあるまつりごとが行われておりました。身内がたくさん集まってきて、亡くなった人を担いで行列を成して、お墓まで運んでいったものです。

小さい頃育った九州では、小さい子供も白い紙裃をまとって、その行列に加わりおくっていいたことを朧気に思い出します。

今ではお葬式事自体も近代的になり、業者さんの手によって次々とセレモニーが行われて、
美しい葬儀場で何もかもが済んでしまいます。お骨を拾う場面でさえ、担当の人がお箸の持ち方や、
骨の部位を滑らかな口調で説明され、まるで実験台に載せられた人を観察するような情緒の無さに、
少しむっとしてしまったという経験を皆さんお持ちでは無いでしょうか。

何もかもが簡略化されて近代的になり、お墓も街のビルの中のロッカールームに押し込められるような時代がきてしまいました。都会の中では過密になった人口に反比例して、墓地を作る広大な土地も無いので、致し方なく都会のお寺さんがお考えになられたのでしょう。

沖縄のシーミーの行事が長い歴史の中、親から子へと綿々と継承されていることに一種の憧れのようなものを感じます。
良い悪いと言うことでなく、祖先をおまつりすることの意義は何なのか、身内が集まって無くなった人を丁寧に送る中での悲しみの心は何処へいってしまうのか、死はとても悲しく恐ろしいものでありだからこそ生きている価値が大きなものであるということが、身をもって学べないようになってしまったことは確かです。

今の時代、悲しみや喜びを素直に表す事が出来ない若者や子ども達が一杯います。

一人暮らしのお年寄りが増えているということからもいえますが、
家族を形どる心の繋がりもばらばらで、親戚など何処にいるかも知らないような若者や子供達は多いと思います。

親や祖父母を敬うという道徳心も芽生える土壌が無いために、廃れてゆく一方です。

親に何百万円もかけてもらって華々しく結婚式をしたカップルが、瞬く間に離婚しているといいます。
家族や血のつながりも希薄になり、育てってもらった恩なども消え失せている現代。
せめて、一年の内の節目節目の季節や家庭の行事だけでも、キチンとこなしてゆきたいものです。
2006年3月22日-2
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2006年3月22日
旅立ちの君たちへ                    師範  秦より

『 桜の季節に思うこと 』

春は桜の季節。
樹齢を重ねて冬の間は如何にもひ弱に見えたその姿が、春を迎えて体一杯に薄桃色の花をつけ、
見違えるばかりに華やぎ、正に若返りを果たす〃その美しさは圧巻です。

昨年をピークに『さくら』を題材に多くの歌がヒットし続けています。
その中で私が一番好きな歌は、この歌です。

さくら:森山 直太朗
         
僕らはきっと待っている君と又会える日を
さくら並木の道の上で手を振り叫ぶよ
どんなに苦しい時も君は笑っているから
挫けそうになりかけても頑張れる気がしたよ

霞みゆく景色の中に あの日の唄が聴こえる

さくら さくら 今咲き誇る
刹那に散りゆく運命と知って
さらば友よ 旅立ちの刻 変わらないその想いを今

今なら言えるだろうか 偽りの無い言葉
輝ける君の未来を願う 本当の言葉
移りゆく街はまるで 僕らを急かすように
 
さくら さくら ただ舞い落ちる
いつか生まれ変わる瞬間を信じて
泣くな友よ 今惜別の刻 飾らないあの笑顔でさあ

さくら さくら いざ舞い上がれ
さらば友よ またこの場所で会おう さくら舞い散る道の上で


別れと出逢いの交錯するこの季節、日頃心が潤うことも無い日常を送りがちな私も、この曲が流れると暫し立ち止まり、
心を暖めながら青春時代を思い出しています。

さて、気持ちが華やぐこととは裏腹に、寒暖の差が激しく風邪をひき易いのもこの季節。
又、鼻がグズグズしてくしゃみが止まらない・・花粉症の方も多いことでしょう。

 この春に中学、高校、大学に進学されるお家では、何かと物入りということもあって、嬉しさの反面お財布の中を覗いて、
ため息の出る季節でもありますね。

 私の元にも、嬉しい一報が次々と入ってきています。

暑い日も、寒い日も、黙々と遅くまで受験勉強に励み、塾通いにも精を出し、
お家の方たちも、受験一色に塗り替えられた家庭生活の中、皆で協力し合って勝ち得た勝利でもあります。
先ずは応援してくれた家族の方に心から『ありがとう』の感謝の気持ちを伝えてほしい。

そして、残念なことに志望する学校に入れず、自らの思いとは別の出発を強いら れる結果となった諸君!!  
落ち込む君たちの気持ちは複雑で、何処にも心が開けない閉塞感で一杯だろう。

その気持ちを、ご両親も兄弟もそして先生たちもみんな知っている。

一度涙を流したら、もう下を向くのは止めよう!

精一杯の努力をしたならば、胸を張れ!!

君の人生を決めるのは、学校の名前でも卒業証書の形でもない!

どの場所であれ、その場所で、君がどれだけ自分のために努力し続ける事が出来るのか、それが大事だ。
3年後、4年後に君はどこまで成長する事が出来たのかが問題だと師範は思う。
後悔しない充実した人生は、もくもくと努力したものだけに訪れることを忘れてはならない。


君たちには揚々と開ける未来がある。今経験する挫折は、きっとその未来にむかってゆくための起爆剤となる。
真っ直ぐに進んでゆくことはとても大事だけれど、すっくと立ったとき、目を地平線の端と端にむけてみる。

前を向いていただけでは見えなかったものが、きっと見えてくる。チャンスは逃すな!
努力を惜しむな!後ろを振り向かず進め!

青春は二度ない。夢に忠実に進むのみ。  〝 頑張れ!! 〟

2006年3月22日
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2006年3月10日
奈良市倫理法人会・モーニングセミナー】
2006年3月9日 木曜日 AM6:00~7:00
於;奈良ロイヤルホテル
主催;奈良県倫理法人会

9日火曜日。白々と夜が明け始めた早朝6時。
奈良ロイヤルホテルにて、表記のモーニングセミナーが行われました。
橿原市に事務所を置く奈良県の倫理法人会会長の向様よりの依頼を受けて、秦師範が講師として招かれました。
セミナーを受講される方は、県下の各企業の経営者を対象とする、同会の会員さん方です。
ホテル3階の会議室には早朝にもかかわらず、三々五々会員の皆さんがお集まりになり、
6:00きっかりに講演が始まりました。
その講演の内容を皆様方にも是非、ご紹介させていただきたいと思います。

昭和20年に創立された同会の会員総数は現在20万人。法人4万社。
日本のみならずアメリカ、ブラジル、中国、台湾、韓国にもその和を広げ、「生涯学習活動」としての倫理運動を推進しています。詳しく同会の活動や理念をお知りになりたい方は、下記サイトにアクセスして下さい!


社団法人倫理研究所
URL http://www.rinri-jpn.or.jp


2006年3月9日AM6:00~ 倫理法人会モーニングセミナー
会場:奈良ロイヤルホテル
演題 『求道万日(きゅうどうまんにち) 』
講師;国際空手道連盟 極真会館奈良支部  支部長 秦 貴典

皆さん、おはようございます!
只今ご紹介にあずかりました、秦でございます。

私はこの奈良の地で二十一年間、極真空手の普及につとめてまいりました。今回、私のような若輩者をこの席に呼んでいただきまして、誠に有難うございます。

何か皆様方のためになる話をせよとのことでございますが、正直途方にくれております。空手の指導はもう20年以上やっており、一応極真空手の師範と呼ばれてですね・・大会などでは何千人という人の前で挨拶もする事もありますが、このように近い席に皆様方のお顔を拝見しながら、又、れっきとした経営者の方々を前にして、話をすることなど初めての経験でございますので、体中の筋肉が硬直しております。
えてして体育会系はおしゃべりがへたということもありますので、途中失言などありましたら大目にみていただきますようお願いします。
 
今日は、この道しか知らない私が、この道に命をかけて生きてきてよかったというお話をさせて頂きます。

極真空手がどういうものかは、起源からお話しますとゆうに三日はかかるかと思いますので、織り交ぜながら進めさせていただきます。

私の師は『大山倍達』と申します。
〝ゴッドハンド〟〝牛殺し大山倍達〟といったほうが分かっていただけるかもしれません。
三十代、四十代の方でしたら、〝 空手ばか一代 〟を読まれて憧れた方もいらっしゃるでしょう。どうでしょうか・・
もはや伝説となっているような実話は、映画化されたり、新に【空手ばか一代】の復刻版が出版されたりと、ファンの方々にとっては嬉しいことでもあります。
又、極真会館所属のブラジルの選手がK-1の舞台に立つことで、ひたすら自己を滅した空手の世界というイメージが、華やかな舞台に登場したことで又新たなファン層を広げたとも言えるでしょう。

師は『 私は偉大なる指導者ではない いわんや政治家でも 又教育者でもない。私は一介の武芸者である 』と、
その生涯をただ一筋に空手を追求し、宮本武蔵のような生き方を目指して、半生を生きてきたと語っております。

1994年4月 71歳の生涯を終えるまで、武蔵の行き方そのままに、雄雄しくまさしくサムライの精神を貫いて厳然として生き、そして後世にその名を残しました。

戦後間もない頃は、けんか空手、邪道空手などと揶揄され直接相手に当てて闘うという大山総裁が発案した極真空手は、世間からあらぬ嫌がらせや、偏見を受け続けていたということです。戦後アメリカ軍の駐留によって、日本の伝統武芸が完全に否定されていたことで、益々内的威力を蓄えてゆくこととなったわけです。

その中でも、殊に極真空手に対して、万人の理解を得るについてはとても難しいものがありました。
宮本武蔵の全盛時の徳川時代の初期。世が泰平に向けて治められようとする時代に、荒くれ者、異端者としての生き方を強いられたように、その武蔵を崇拝した大山倍達も又抑圧された力とエネルギーをもてあまし、沸々と内にたぎらせていたのです。
その時期、大山倍達は一匹狼として一人過酷な空手修行を続けてゆくことになったというプロセスは、様々な形で現在もなお語りつがれています。

徐々に時代が落ち着きを見せはじめ、一途に空手の道に邁進する大山の下にも志願して集まるものが日に日に増え、その強さが世間の周知するところとなり、やがて空前の空手ブームがやってきたんです。大会を催せば会場に入りきれないほどの観客が、会場の入口を埋め尽くしたといいます。そんな中でも、東京九段の日本武道館での使用許可は、なかなかに下りなかったといわれています。
なぜならば・・極真空手は正しい空手ではない、血を流す空手である・・などという憤懣やるかたない云われの無い、嫌がらせとも思えるような理由であったらしいです。
その後、実践空手というものが世に広く認知されることとなった事において、総裁大山を語らずして今日の空手なしといえるほどに、武道世界においてわが師の名を知らぬひとはおりません。

さて、実は私は、高校を卒業後、自衛隊の習志野第一空挺団に入隊しまして、その中で体力の限界までを問われる訓練や、高度600メートルからのパラシュートでの落下というような過酷な訓練の日常が、その後の空手での修行に生かされたのかもしれません。
【精鋭無比】がスローガンであった自衛隊での何年間は、自分自身の肉体と精神を究極まで鍛えてぬいてゆくことにおいて、後の空手の世界での修行と相通ずるものがおおいにありました。因みに精鋭無比という言葉は、他に比べるものが無いほど優れているさま、又強い人、えり抜きの兵士というような意味です。

空挺部隊での予科に極真空手の同好会があり、すでに高校時代に憧れ続けていた空手を始めるきっかけとなりました。その思いが嵩じて、東京に行き、どうしても大山倍達の弟子になりたいという熱い思いに突き動かされ、内弟子を志願するに至ります。
伝説とも云われた数々の武勇伝中の人物に、そして憧れの世界の中だけにしか現れなかった師と、正に寝食を共にさせていただく日々が始まりました。
振り返ってみれば、辛いこと、きついこと、怪我や病気に泣いたこと、山のようにありますが、逃げ出そう思ったことは一度もありませんでした。同期の内弟子10人のうち3年間を修了する事が出来たのは四人のみでした。

修行時代に私は師から空手の技のみならず、実に様々なことを教わりました。
いや、実は内弟子時代はそのことに気付いていなかったんですね。ごつい身体をしていても、精神的にはまだまだ子供でしたから、最初の頃は、夜になると故郷に帰りたいと泣いているやつもいました。

いつ何時なしに3階の館長室から呼び出しを受けて、走り回らねばならない。無理難題と思えることを言い渡される。今やったばかりのところの掃除が出来ていないと怒鳴られる。朝早くから事務の仕事や、掃除やお使いや食事の支度でくたくたになったところでやっと稽古になると、何時間も正座のまま空手の話を延々と聞かねばならない。
くる日もくる日も基本を何百本、何千本、何時間と繰り返す。日誌を書いて寝床に着くのはいつも深夜でした。

 寮生活では食事当番があって、買出しに行き料理を作り給仕をして、その日の食事の世話をします。毎週金曜日は、食堂で総裁も一緒にご飯を食べるのですが、献立は凡そ決まってはいるのですが、安い予算で身体によいもので、しかも総裁に『君、これはうまいよ!』と言ってもらえるものを作らねばならない。
あるとき、私がダシに牛乳を入れた鍋をつくってはどうかとひらめき、お出ししたのです。身体を作るには肉や魚や野菜のほかに、カルシウムが必要だといつも言われていましたから最高の鍋になると思ったんですね。今、橿原にも牛乳を使った飛鳥鍋を食べさせるところがありますね。その頃そんなことは知らなかったので、全くのいわばオリジナルでつくったのですが、私はうまいと自信があったのですが・・意に反して総裁の口からは『君ィ、これはダメだよ。まずいよ』といわれてしまい、随分と肩を落としたのを今でも思い出します。

鍋といえば、相撲の世界ではちゃんこ鍋が有名ですが、この寮時代に総裁から直々に教わった鍋がありまして、今、私は弟子を集めてその【総裁鍋】を作って食べさせております。レシピを・・簡単にお教えしますと・・

鍋の中身は骨付きぶつ切りの鶏肉と、白菜と、大根と、人参と、しいたけ。極シンプルな材料に大事なのはにんにくと生姜のみじん切りを入れること。同じく、にんにくと生姜をすりおろしたものを《たれ》に入れますので、充分に用意して下さい。たれは、濃い口しょうゆ1に対してみりん1をあわせます。それにお酒少々。このたれに、先ほどのにんにくと生姜のすりおろしたものを、好みでいれます。鶏は約二時間たっぷりの水で煮て下さい。コラーゲンたっぷりの鶏スープが出来上がります。大根と人参は思い切り大きく切って、あらかじめ火を通しておいて下さい。
あとは、さっと火の通った野菜と鶏をたれにつけて食べて下さい。
余談になりましたが・・これが癖になる味なので是非試してみて下さい。

食事の後に、総裁がよく『これでケーキでも買ってきなさい』とお金を渡してくださり、『押忍!』といって喜び勇んでショートケーキを買いに行く事がありました。渇々の生活費で暮らしている我々には、それが唯一の楽しみでもありました。
今思えば、あれは故郷を遠く離れて厳しい空手の修行をしている我々に、もしやすると、総裁の奥様の智弥子夫人が、総裁に渡してくださったお心遣いであったのかもしれません。

こんなことも何度かありました。一階の玄関をほうきで掃いていると、何か武道をやっているらしき厳つい男が行ったり来たりしていて、なんだこいつはと思っていると、『大山はいるか!』というのです。いわゆる道場破りですね。
よっしゃあ来た!と内心、心がはやり、三階の総裁に告げに行くと、『そうかね・・君たちしっかりやっておきなさい』とだけおしゃって、あとは門下の弟子にお任せという段取りでありました。悔しいことに、なかなか我々内弟子にはその出番は回らず、先輩の黒帯の方たちにぼこぼこにやられて、意気込んでやってきた者は、ほうほうの体で逃げ帰るというようなことがありました。誤解の無いように申しますが、よってたかってということではありません。総裁に勝負を挑むなど百年早いわい!というような見掛け倒しがほとんどだった為に、結果ぼこぼこに・・なるということです。
今から三十年近くも前のことですから、今では道場破りなどというような、弟子がわくわくするようなチャレンジの場はなかなかに体験することが出来ません。

そんな日常の中、いつになったらバンバンと空手の実践が思い切りできるのか・・・と若いがゆえに総裁のことを「このじじいめ」と思ったことも正直あります。

ですが、極真の世界での絶対的存在、「いいえ」や「嫌です」は通じないが故、何事も「押忍!」と答え、懸命に総裁の指示に従い教えを乞うのです。私のこれまでの人生の中で、これほどに自己を滅して精神を鍛えた時期は後にも先にも無いでしょう。日々、礼に始まり礼に終る生活でした。
『武の道は礼に始まり、礼に終る』この言葉は、武の世界だけのことではないと思うのです。最近では『礼』を尊ぶ風潮が失せてしまい、人間が誠の人間として生き抜いてゆく為の様々な道徳は地に落ちていると感じます。伝統的なことがらも前時代的などと隅に押しやられて、人が関わりあいながら生きてゆく中でのモラルも低下しています。
一日何もしないで、町の中を歩いたり、電車に乗ったりレストランに行ったりしてみると、そんなことは一目瞭然に感じ取る事が出来ます。あまりにもひどいと思う事が山ほどあって、そんな日は『気』が充満せずにさすがにため息が出る事があります。

大山総裁でさえも、昭和50年代に二年間にわたり、『礼』や『義』を無視した者たちに手痛い造反を受け、一時は極真空手が存続の危機にさらされるというような事がありました。皆、総裁が直接に指導し、育て、期待をかけた愛弟子ばかりでしたから、心に大きな痛手を負い、何ヶ月も入院されるという生涯で一番辛い思いをされた時期ではなかったかと思います。

時代は変わりましたが、総裁と同じ様に、つい4年前に私自身も手元において一から育てた弟子に裏切りを受けました。自分自身のもてるもの全てにおいて心魂注ぎ与え、可能な限りチャレンジする場を与え、これからというときに多くの私の直弟子を引き抜いて造反するという信じがたい裏切りを受け、体から魂が抜け出てゆくような空虚な心をもてあます4年間でした。

【獅子身中の虫】は、ぞろぞろと同じ穴からでてゆきました。
今時を経て、私は思うのですが、欲や嫉妬に絡め取られて一度腐敗した人の心はもう戻しようが無いと。極真空手の修行者として精進することのみに生きてきたとしても、私も広大な宇宙から見れば本当に微々たる存在であり、見栄や驕りや過信に、もしやすると毒されていることに気付かないでいたのではと思うのです。自身の至らなさから発したことであると言うことに深く反省し、力足らずの自分自身に重責を感じた次第です。
現在多くの人たちの助言や後ろ盾をいただき、極真会館奈良支部は又もとの輝きを取り戻し、以前以上の落ち着きを見せています

現在、私の支部では、奈良県下の各道場で合計約1000人当りが稽古をしています。
その大半の道場生が、3歳から小学6年生くらいまでの子供で埋め尽くされていますが、
なぜ?こんなにたくさんの子供たちが私の教えを請う為に入門してくるのかとお思いかもしれません。
 親が危機感を持っているのですね。漠然とした不安や、子供の将来に対する恐れ、又、混沌とした社会に対する小さな挑戦かもしれません。
何が起こるか分からない世の中、自分の身は自分で守るしかないということに行き着いたのかもしれません。
又、少子化が進み、一家庭に一人っ子というのも珍しくありませんが、我が子に神経が集中するあまり、自分、自分の意識が強くなり、自分さえよければ・・という傾向がほとんどの親御さんにみられます。その結果『礼』は置き去りとなるのです。
 
先日も幼稚園の送り迎えに、保護者によって、いたいけない幼児が殺害されるという悲惨な事件がおきました。子供を狙った凶悪犯罪の温床は、日本人の本来持つべき国を愛する心がすたれ、人の心が希薄になり、金を求めて無表情に行き来する人ばかりの社会の中にあると思われませんか。

自分のことで精一杯なくせに、外からの忠言や苦言には敏感で被害妄想的な考えが根深い。ちょっと何か引っかかると、とことん悪いほうに考えてしまい、殺人さえも犯してしまう。   
このごろの大人は、モラルが低下していようが言葉使いがおかしかろうが、『ちょっとおかしいよ!』『ダメですよ』というような簡単な言葉もかけないですよね。うかうかしたら殺されることもあるからでしょうか。最近では、地元橿原のコンビニ前でサラリーマンが、店の前に屯す若者に注意をしたら、袋だたきに遭い重傷を負うというような事件も起きています。

一時《親父狩り》といってサラリーマンや中年の男性が若いやつらに取り囲まれて、殴られたうえに金品を奪われるという事件が多発しましたが、私の弟子が、親父狩りに遭ってしまったんです。仕事の帰りの深夜、高田の本町通りを家路に急いでいると、何人かのまだ十代かと思しき若い者に取り囲まれ、殴りかかってきたというのです。最初はダッシュしてその場を逃れようとしたらしいですが、執拗にしかけてくるため、已む無く応戦することになったというのです。当時その彼は茶帯だったと思いますが、見た目がどちらかというと貧相で、いかにも極真の黒帯の猛者という感じではないものですから、狙われたのでしょうか。
もちろん日頃の修行の成果を遺憾なくして撃退し、警察のお世話になるまでもなかったと言うことでした。

私たち極真空手の指導者は、空手の奥義だけを道場で教えているのではありません。
『頭は低く 目は高く 口を慎んで心を広く 孝を原点として他を益する』という言葉は、《極真精神》として語り継がれ、修行するものたちの精神性を保つ為のバイブルでもあります。

私たちは来るものを拒みません。社会に適応できない若者や、肩に墨の入った更生しようと尋ねてくる人や、ストレスで行き場を失った会社員の方や、そして不安な未来を生きてゆかねばならない子供達や若者に、口をすっぱくして日々伝えます。
うざいといわれようが、高圧的だといわれようが、人として生きてゆかねばならない最低限のこと基本的なことは、死ぬまで忘れてならないと確信しているからです。

3歳の門下生も唱和している、そして、毎日極真空手の全ての道場で稽古の終わりに唱和される【道場訓】をご紹介します。もしよろしければ、今日のご縁にお手元にお配りした会報の中に道場訓の解説がありますので、朝礼の際の訓話の中に取り入れていただければうれしく存じます。

一つ、我々は心身を練磨し、確固不抜の心技を極めること。
一つ、我々は武の神髄を極め、機に発し感に敏なること。
一つ、我々は質実剛健を以って、克己の精神を涵養すること。
一つ、我々は礼節を重んじ長上を敬し、粗暴な振舞いを慎むこと。
一つ、我々は神仏を尊び、謙譲の美徳を忘れざること。
一つ、我々は知性と体力とを向上させ、事に臨んで過たざること。
一つ、我々は生涯の修行を空手の道に通じ、極真の道を全うすること。

極真空手における武道理念というものがこの七つの道場訓にこめられています。
いわばこの7訓は極真が伝える哲学であり、こういった哲学があったからこそ、空手世界の中で今日までに飛躍的な発展を遂げたと思います。
極真空手は全人類のものであり、国境を越え、人種、民族の別を排し、宗教や思想を超たところに位置していると、師は語っておりました。
まさしく今世界130数カ国、日本全国に103の支部を有する巨大武道団体として認知を受けており、極真精神を楚として未来永劫に発展してゆくと確信致します。

一つの道をただひたすらに生きてきて、
『男子たる道 振り返りみれば幾星霜(いくせいそう) 歩み行く道に後悔なし』
の言葉に行き当たります。

私は今日まで私を支えてくださった多くの方々に感謝し、極真空手の師範として使命を与えていていただいた故大山総裁の遺志に報いるよう、又次の時代を背負う若者たちの成長を見守り、倫理観念が廃れつつある社会のなかで、その歯止めの一つとなるべく、日々精進を重ねてゆきたいと思います。

ご清聴有難うございました。       押忍!!


2006年3月10日
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2006年2月10日
ライブドア 堀江さんの話            師範  秦 より

ホリエモンと呼ばれて、テレビに彼が頻繁に出るようになり、独特の流し目でマイクを握り締め自信たっぷりに語るこの青年を一体だれ?何者?と思ってから、余り日も経っていず、今、彼は東京拘置所の収監室にいる。

住む世界が違うといってしまえばそれまでで、最初はいまどきの『頭でっかちな云わば秀才成り上がりの元東大生』という感覚で見ており、『奇妙な宇宙人のような人』と思えて、全くミーハー的な見方をしていた。徐々に何を仕出かそうというのかこの若者は・・と興味を持ち始めたたことは事実で、週刊誌や新聞やテレビなどメデイァは私の覗き見心に十二分に答えてくれて、毎日情報を得るのに不自由はなかった。

彼が語ることはなぜかいつも自信にあふれて『いや、僕はすごいんだよ!わかんないの僕のすごさ!』とじれていた。苛立っていた。心のうちで・・。そういう風に私には見えた。

堀江さんに追随する人も今の世の中だからたくさんいたと思う。

又、金のあるところに(現実に森ビルの彼の部屋に金の山があったわけではないのだろうが、
大きな金が集まり動いていたことは事実で)人は集まるので、学歴のある優秀な社員も瞬く間に集まったことと思う。

不思議に思ったのは彼自身の宙に浮いた観のある人格もそうだが、へたりかけた会社をことごとく買収することで株を自在に操り駒を進めてゆくという、まるで買収のボードゲームを拡げているかのような組織図に、現実味の無い奇妙な感覚が湧き上がってきたことだ。
かと思えば・・突然宇宙船にのって笑み満面にテレビに映る。日焼けした顔でドブ板選挙を(ヒルズの王様市民の街に!みたいな)おっぱじめる。今度は総理大臣も夢じゃない!時期総理は僕です!と恥ずかしげもなく公言する。何もかもが頭の先から言葉となって突出していて、誰か止める腹心はいないのか・と最後には心配になった。

小学校の時にクラスにいた、こんなやつ。
将来の夢を書く文集で、〔野球選手になりたい〕〔サッカーの選手になりたい〕と微笑ましく書く僕らのことを完全置き去りにして、〔外国に留学してノーベル賞を取れるような科学者になりたい〕〔年商1億稼げる社長になりたい〕など頭が大人なやつが。正にホリエ少年がその大人な頭の子どもに重なる。

彼のお父さんをマスコミ的には〝父エモン〟と呼んでいるらしいが、お父さんも一躍有名人となった。最初彼がテレビに出だした頃、福岡にある実家にひっきりなしに全国から電話や手紙が来たらしい。『息子さんのように子どもを育てるにはどうしたらよいですか』『教育方針を教えて下さい』といった内容のものだという。

もう有名になったので、ご存知の方もおられるでしょうが、父エモンさんはこう答えられたという。
『特別なことはしなかった。金は一切与えなかった。私が与えたのは天体望遠鏡と百科事典と自転車(補則;補助輪つきでもママチャリでもないですよ・・20万円するマウンテンバイクです。)だけです。』と。

恐らく全国の専門店では、天体望遠鏡と百科事典とマウンテンバイクが売り切れごめんになったのではないでしょうか・・。

マスコミは持ち上げる時には美しく〃輝かしく〃奉り上げ、落ちると今度は汚く〃とことん落とす〃隠し映像も、『え~い出しちまえ』とばかりに同じショットをこれでもかと流す。
時としてこのようなマスコミのあり方に心からの疑問を感じる。
あるとき、一つの事柄(一人の人に対して・差障りがありそう記述する)に対して徹底的に何ヶ月もある紙上で叩き続けた新聞社があって、その人が極悪犯罪を犯したとか、誰が見ても判断しうる反社会的なことをしたが故に多くの人が法外な被害を蒙ったというのでもなく、

くる日もくる日も〝重箱の隅をつつく〟かのような攻撃の手を休めなかった。

最終的には筆者自体がこの叩いている人自身がすごく嫌いだ!という気配がはっきりと感じられ、胸が悪くなるような悪阻ましさを感じたので、その新聞の購読をその日で止めた。
筆を持って正義を伝える立場にある人は、人を形取る一番最後の部分の【人格】や【名誉】は決して傷つけてはならない〃と私は思う。何か疑わしき事があるにせよ、人間が人間を貶めてはならないと思う。どんな人間にも人間としての名誉があるから。

堀江さんが、ライブドアが、今裁かれようとすることで、法に違反したことについてはいずれは全てが明らかになり、東京拘置所から彼は保釈金と罰金を払って釈放されることになるのだろうが、これだけ世間を騒がせ、かき混ぜ、手痛い損害を多くの人たちに負わせ、世間をいや一時にしろ世界を混乱させた罪は、国に払った罰金だけでは償いきれない。

父エモンは『いつでも帰って来い』といっていると経済誌が伝える。
息子のした事がいかほどのことなのか・・どれほどの人たちに迷惑や損害を与えたことなのか・・父には様とは分からない。
『親ですから、心配でたまらんとです・・』ともインタビューに答えている。

ホリエモンの父は確かに福岡の父ではあるが、彼は、やはり社会が、時代が産み落とした《ちょうじ寵児》そのものであると私は思う。

国語辞典には、
寵児;①特に親に愛される子。②好運に恵まれて、ときめく人。はやりっこ。とある。
2006年2月10日
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2006年2月3日
保護者の皆さんへ            師範  秦 より

真の友は最大の財産であり、また、最も得がたい財産である。
                            フランスの作家、ラ・ロシュフーコ

若い頃から実家を離れて、先ずは自衛隊の空挺部隊に、そしてその後は東京の極真会館総本部で内弟子として修行をし、大阪での指導員時代や一時イタリア支部にもおせわになりと、各地を転々とすることが続き、その間私にも友達がたくさん出来た。

が、しかし、今頻繁に行き来する友となると、片手に余る。
頻繁にといっても年に二度会えるかどうかの確率で、計画していてもたまたま仕事などで会えなくなってしまう事もあって、
年々再々年を重ねて行くうち、久々に会ったらお互いこめかみの辺りが白くなったなあ・・と言うことになる。

空手を離れての友達つくりというのは殊に難しい。

空手の世界では縦の関係がピシッと決まっていて、先輩、後輩の間ではどんなにくだけた席上であっても、言葉使いは終始一貫していなければならない。私が、先輩支部長の前に出た時は、気持ちが引き締まり、自然と頭を低く、耳を傾けるという姿勢を崩すことはないし、逆に後輩の支部長達と酒を飲む機会があったときでも、後輩の支部長たちは、無礼講だといっても私を決して『貴ちゃん!』と呼んだりはしない。

一年中空手にドップリと浸かっており(それが仕事であるから仕方の無いことではあるが)何かの会合などで色んな職業の方たちと出会っても、体面というのがあってか友達にまではなかなか発展しにくいのが現状である。

そんな中、最近になって〝いい感じの友達〟が出来つつある。

名前は個人のプライバシーもあり、Kさんとしておこう。Kさんは何年か前は列記とした建設会社の御曹司で、いわば青年会議所や○○○○○クラブなどでも名の通った青年であった。
ある政界の会合でたまたま紹介され知り合いとなった。その後、不況の煽りで会社が倒産の憂き目に会い、彼も家屋敷を処分するなど危機に立たされ、それまでの満ち足りた生活とは正反対の苦しい日常に直面することになる。

会社の債務整理や債権者の対応など・・正に都落ちのどん底で、彼との連絡も途絶えがちで私自身日常に忙殺されて彼のことも忘れがちになっていた頃、又彼と再会する機会を得る。

彼は前以上に表情が明るく、しっかりとした口調でそれまでの苦労話を話してくれ、
自身が監修したという一冊の本を手渡してくれた。

【かっ飛ばせ 借金 打ち勝て 倒産 】と題されたその本に目を通して、私は度肝を抜いた。
倒産してから事業を再生するまでの全てが、事細かにインパクトをもって書かれていたのである。
彼は地獄に落ちた経営者たちに、天国への這い上がり方の正しい道しるべを啓示するため復活したといえる。

彼と私は、急速に又友好を深め、時々食事をともにし、誘われてゴルフに行くまでになった。
彼の逆境にあってこそ培われた生命力の強さ(したたかさと言っても良い)に感服し、
様々なことを語り合い、強い信頼関係を築きつつある。

四十代の後半にして得た最も得がたい財産を誇りに思う昨今である。
2006年2月3日
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2006年1月25日-2
《 今日の新聞から 》     師範   秦

新聞社の方からの依頼を受けて、今日から久しぶりに地方新聞を購読することになり、くまなく目を通して読んだ中、皆さんにもご紹介したい記事を見つけました。

 その前に、どの新聞にも購読者からの投稿欄がありますが、その【みんなの広場】と題されたページを読んでいて驚いた事がありました。今日のテーマは『学力の低下』。
8人の方の投稿文はどれも素晴らしい内容で、現代の教育現場での現状や、社会情勢を的確に捉え、行く先を見据えた上での意見や主張が綴られておりました。どのような方が投稿されているのかと見たところ、あることに気づいたのです。

一番若い方で59歳。60代が一人。70代が5人。最高齢はなんと82歳の女性でした。
いかに自由になる時間がある年齢であるとは言え、その筆力と考察力に脱帽しました。
生涯教育などと呼ばれ、学ぶ場も多くなったとはいうものの、元気で矍鑠とした生き方を貫くには、常に新しいことにも関心を持ち目と頭を働かせることが大事なのでしょう。
その投稿文の一つをご紹介させていただきたいと思います。
 
【子どもに必要+++学力より能力】  77歳  橿原市在住  元教員の男性

平成14(2002)年の新指導要領の改訂で「問題解決能力を基礎に『生きる力』」の養成が主力になって以後、学力低下を危惧する大合唱を生んだ。
無論、全体的には学力も低いより高い方がいいに決まっているが、私は「学力」が子どもの力のすべてではないと思う。端的に表現すると人間は{学力}より「能力」だと思う。「学力」とは単なる学習結果であり、「付け焼きの智恵」である。

本来、子どもも大人も含め、日々の暮らしの中での体験の積み重ねの過程で、自ら築き上げていくものが能力であり、これは決して単なる学力ではなく深い知識であると考える。
とくに最近目立って身辺が危うくなったが、幼児は幼児として、高学年は高学年として、当然、大人も含めて、いかに身の安全を守るか、いわゆる「生きる力」をどうしてつけるかが課題であり、考え方によってはむつかしい加減乗除をすらっと解くことより大切かもわからない。
私は若い頃から非常に尊敬していた教育社会学者、お茶の水大学名誉教授М先生の「智恵は書物の中に」「知識は生活の中に」が大好きな言葉である。


いかがでしょう。
読めば短い400字の主張の中に、分かりやすい、そしてやわらかく噛んで含めた言葉が、私たちの心の中に伝わってくると思われませんか?
教育者として恐らくは引退されてよりも、日々子供達の将来を憂いておられるのでしょう。
見習いたい生き方や考え方が、手軽に手元に届く新聞の紙面から学べるということをは、本当にありがたく、又素晴らしいことだと思います。
2006年1月25日-2
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2006年1月25日-1
保護者の皆さんへ            師範  秦 より

 年が明けて、すでに今日は25日。
相変わらず寒い日が続き、インフルエンザがじわりじわりと勢力を強めて広がりつつありますが、皆さん、大丈夫ですか?
日ごろ指導に携わっている指導員は、毎日多くの人たちと時間を共にします。

人ごみに出かけないこと・・などと予防法にありますが、外に出かけずして人の輪の中にいつもいると同じなので、みんなの風邪を貰うのか、よく風邪を引きます。〝かからないよう、うつさないよう〟みんなが予防を心がけたいものですね。
もうすぐ冬合宿や青少年国際大会に向けて練成試合も実施されますので、心意気新に取り組んでいただきたいと思います。

 

【 今一度!心して!運転!安全に! 】

20日の朝、テレビで加古川にある交通刑務所のレポートが放映されていました。
毎日車で移動する私自身にも大いに関係のあることなので、見ておこうと目を凝らしました。

加古川刑務所内は、交通違反により刑を受けた人以外にも、他の刑事事件により受刑している人も収監されているということでした。収監されている監内は若干差があり、交通刑務所の方は入口は施錠されないで、娯楽としてテレビを見る談話室のような部屋もあり、人間関係がわずらわしいなどで希望すれば一人部屋にも入れるということでした。
又、家族との面会も、格子越しでなく面会室で会うことも許されているとのこと。

不注意や、過失によって事故を起こした結果、尊い命を奪ってしまった・・という状況が、如何に故意にではないとしても、被害者の家族には深い悲しみと同時に許しがたいこととして、心のうちに憎悪を湧き上がらせるのは言うまでもありません。

殺人という言葉の意味にはどちらも変わりは無く、殺意があったか、なかったかにより、刑そのものが違ってくるということになるのでしょう。元公務員であったある受刑者のインタビューで『あの事件を起こしてから、人生が一変しました。妻はなんで・・と泣き崩れ、子供達も唖然とし泣きました・・』 前の夜に夜遅くまで酒を飲み、一旦眠ったが、酒が残ったまま早朝仕事に向う途中、信号が赤になったのを知っていてアクセルをふかして強引に渡ろうとしたとき、バイクに乗った女性を引いてしまった・・ということでした。
酒気帯び、道路交通法違反、業務上過失致死により実刑判決を受けました。

冷たい監獄の中でその人は言いました。『本当に申し訳ないことをしました・・償いきれない罪の重さに心が開放されず、その人のことを思うと苦しくてどうにもなりませんでした。』 

救われたのは、収監中に受刑者の心のケアを行う方の『あなたの心が幸せになる事が、無くなった方のためにも大切なことです』という言葉だったと。

意味合いが深く私には完全には理解しがたいことでした。
被害者、加害者両者の人生が、ある日を境に全てを無にしてしまうということの余りにも重い現実。
愛する人の命を奪われることの憎悪の深みは、やはり自分自身がその渕から這い上がるしかないということなのでしょうか・・・この放映日の4日後、飲酒運転でトラックを運転していて3名の高校生を死に至らしめ、同じ現場にいた多くの高校生に重傷を負わせた20代の男性が、懲役刑20年を言い渡されたというニュースが流れました。

罪を犯した人の心の安定、そして幸せとは・・心からの反省と償いの心ではないでしょうか。

では被害者の心は何処に行くのでしょう。許しと愛が全てなのでしょうか。

【罪を憎んで人を憎まず】の境地に本当に人は到達する事が出来るのか。

 武道の世界に身をおくものの一人として、まだまだ自身の心の行脚はつづいてゆきます。
2006年1月25日-2
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2006年1月11日
保護者の皆さんへ     師範  秦 より
   
 新年明けましておめでとうございます!
  
8日の日曜日に実施しました合同初稽古には、県内から270名の会員の方に参加していただき、気合の入った稽古ができました。皆さん、いかがでしたか?大いに盛り上がったくじ引きでは、参加者全員にお年玉の粗品が行き渡ったことと思います。

 さて、新年が明け、幼稚園や学校が始まり、皆さんには又、規則正しい毎日を送っていただかねばなりません。

休み中暖かいコタツの中で美味しいものを食べたり飲んだりすることが続き、子供たちだけでなく大人も同じように、身体も心も怠け癖がついてしまっていませんか?
そういう私も一年間の疲れがどっとでたのか、冬眠の熊さんのように休み中はよく眠りました。
おかげでかぜも引かず元気に新年を迎えることが出来、新たな意気込みをもってスタートを切ることが出来ました。

御家族の皆様には寒い中道場への送り迎えが始まり、お世話をおかけしますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

  新年早々にお年賀状を下さった皆さん、
             ありがとうございました!
  この場を借りまして心より御礼申し上げます。


たくさんの方に賀状をいただき、その一枚一枚に書き込まれた新年の抱負や、御家族の写真などをとても嬉しく読ませていただきました。毎年年頭のこの時間が、私の師範冥利に尽きる瞬間で、楽しみにしております。

 その中に、ハワイの中野聡太君からのものもありました。
元気にやっているようで、大きく成長した聡太君の写真がプリントしてありました。

もう一つメールでいただいた年賀の挨拶で、東アフリカのウガンダからのものがありました。
もと私の弟子の石原君という人からですが、彼は仕事で今家族を伴いウガンダの首都カンパラに在住しているとのことです。
映画【マサイ】で一躍有名となったマサイ族の人たちも在住し、是非ウガンダでも極真を広めたいのでどうすればよいでしょうかと相談をかけられたのです。

久しぶりに賀状で元気なことを知る!そして頑張っている姿を想像する!今年も僕はげんきですよ!私も頑張っていますよ!家族仲良くやっていますよ!

というメッセージが心に響いてきて、たがが葉書き一枚、されど存在感充分な一枚の葉書きが、とても〃とても〃心に響いたお正月です。
2006年1月11日
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2005年11月9日
保護者の皆さんへ            師範  秦 より
   
 職場だけでなく家庭でもパソコンを使うことが多くなった昨今ですが、皆さんのご家庭ではいかがですか?
私自身も今では様々な情報を得る手段として、パソコンを大いに活用しております。
知りたいと思うことのほぼ全域がパソコンからの情報で足りるようになり、パソコンの前に座っている時間も多くなり、ともすれば運動不足が心配・・というようなことにもなりかねません。

さて、奈良支部ホームページの掲示板にも新たに参入して下さる方も徐々に増えていますが、是非多くの方に参加していただき、にぎやかな掲示板にしていただきたいと思います。

そのうち私も参加しますので、話のネタにしていただき、にぎやかに交信していただければ嬉しいです。
 
 【 ニートって御存知ですか? 】

今朝、テレビを観ていたら、愛知県の犬山市立犬山小学校で興味深い授業が行われていると紹介されていました。

《キャリア教育》というもので、『働くとはどういうことか』『社会の中で人間としてどう関わって行くことが大事なのか』というようなことを実体験によって又、学習によって深く掘り下げてゆき、子供たちの認識を深めよう!ということでした。本当の市場でものを仕入れて大人の人たちの知恵をたくさんもらって、商店を開き販売するという体験の中で、子供たちは様々な疑問や困難に出合い、商店経営のロールプレーイングは無事終了。

この経験の中で、大人になって社会の一員として生きてゆけることがどういうことなのか・・社会の中での責任や義務にまでは触れる必要は無いまでも、社会の構造というものが、【働く】というシンプルで能動的な意識の中で成り立っていることを分かってほしい!と私自身もそう感じ、短い放映時間でしたが見入ってしまいました。

あえてキャリア教育という名の下で、子供の時代に教え込まねばならないことに幾ばくかの疑問を感じましたが、前にも話しましたが、食べ物や電気や生活のあらゆるものが当たり前に存在するもので無いということを知ってもらう上でも、この試みはとても重要なことであると思った次第です。

大人になっても働くことが出来ずに、親元に依存して引きこもるニートと呼ばれる人たち。
病んでいる現代社会の一段面ではありますが、大きな社会問題であると同時に、子供たちの未来に不安を抱える親御さんたちのためにも、教育の現場でどんどん取り入れてゆかねばならないと思いました。

実践を通じて【働く】ということの意義と大切さを学んだ犬山小学校の生徒たち。
自分たちが一人の人間として生きてゆくために、社会の中でのどのような役割を果たせばよいのか・・ということを、私たち大人が道しるべとなって伝えてゆかねばならないと思います。

こどもたちの未来が、こどもたち自身の力によって明るく塗りかえられてゆくことを願い、又、情熱をもって現場で指導に当たっておられる先生方に、心からエールを送りたいと思います。
2005年11月9日
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2005年10月26日
保護者の皆さんへ            師範  秦 より
   
 涼しくなりましたね。昼間晴れて暖かく、夜に冷え込むという時期です。風邪をひき易い季節ですから、お出かけには上着を一枚余分に持って出るなど、充分気をつけてください。

  さて、全日本大会もまもなく開催されます。今回は奈良支部から選手を輩出できませんが、今、奈良支部では、将来活躍できるであろう全日本クラスの選手を私自身が情熱をもって育成しています。
少年部の選手クラスでも、田中健太郎を凌ぐかもしれない・・未来のチャンピオンを目指すちびっ子がたくさん稽古に参加しています。

今日はそんなチャンピオンクラスのメンバーの話をしてみましょう。

彼らは皆、身体を鍛え、精神力を鍛え、その限界にさえも挑むチャレンジャーであります。

彼らは皆一様に数々の試練を経験し、更に上を目指したいと志願しています。
志を高く持とうと努力していることが師範にはわかります。
私の稽古に出る前は皆、極度に緊張し、明日は師範の稽古があると思うと食欲さえも失せるという人もいて、改めて師範自身驚いたことがあります。その緊張感こそが、チャンピオンクラスの真骨頂だと思うのです。

だからといって、血を吐くような稽古をしていると言うようなことはありません。

『チャンピオンクラスはしごき教室やから、誰もかれも入れるのと違うよ!』と、入会したい子供に制するお母さんもいるといいますが、そんな心配はありません。奈良道場も橿原道場も稽古をオープンにして、熱気がお父さんやお母さんたちに伝わるようにと考えていますし、年中つらい修業ばかりではありません。
少年のクラスでは皆でみかん狩りに行ったり、バーべキューをしたり、初詣に行ったり、道場でミニ合宿をしたりと、楽しいことも企画してきました。

 いつかの通信にも書きましたが、空手を習う、試合に出る事は、必ずしも全日本チャンピオンを目指すためだけではありません。精神力を付けるため、又、自分を試すことで自信を付けることに、空手を学ぶ奥義があります。

 人間の肉体的な成長は限りがあります。もっともっとと思っても、個人の身体的資質も千差万別あり、なかなかに理想の体型には到達できません。

 だけど、精神力は鍛えれば鍛えるほど強くなります。そして、多種多様な形で身についてゆきます。
空手が強くなると同時に、自分自身にものすごい自信が付き、出来なかったことが易々とやれるようになる・・と実感できた時、感動と喜びがわきあがってくるのです。

 僕は体がちいさいから・・運動が出来ないから・・体が弱くて病院ばかり行ってるから・・と 出来ないことと決め付けてチャレンジしないのはただの弱虫です。あかんたれです。きつい言葉で言えば、何もしないうちから尻尾を巻いて小屋に入って震えている負け犬です。

今、チャンピオンクラスに入って頑張っているみんなの中には体の小さい人、運動嫌いの人、体の弱い人がたくさんいます。
彼らは、あえてチャレンジすることを選び、前に前にと進んでいるのです。
それだけでも素晴らしいと思いますし、師範は自分のできる限りの力で彼らをバックアップして あげたいと思っているのです。
頑張れ!頑張れ!と。
2005年10月26日
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2005年10月19日
保護者の皆さんへ            師範  秦 より
   
 10月も半ばを過ぎたというのに、秋晴れのすがすがしい空がなかなか見られない今日この頃。
皆さん風邪などひいておられませんか?さて、今日は、聞いたお話に、私の思い出話を交えてお話いたします。

【 私ってなぁに? 】   あるお母さんのお話です。

家族の揃ったある日曜日の夕方。息子たちは外に出かけてまだ帰らず、主人はリビングで車の雑誌を見てごろごろ・・。
この日は久しぶりにお天気になり、家族みんなのパジャマやシーツを大量に洗濯して、自転車でスーパーに買い物に行き、帰ってきたら、主人の実家からお義母さんが来ていました。

『お彼岸だからおはぎを作ったよ』主人も子供たちも、おにぎりにあんこがついてると、気味悪がって不評なおはぎ。
義母の手作りだし『おいしそうですね!有難うございます』とお礼を言って、夕食を一緒にと誘い、せわしなく台所に。

その合間にベランダに出てお洗濯を取り込み畳んで、ベッドにシーツを敷いて・・と息をつく暇も無いくらい大忙し。
予定を変更してお鍋にしようかと思ったら、足りないものに気づき自転車でスーパーへ。
パパだって少しくらい動いてくれたらいいのに・・私だって明日早くから仕事なのに・・とつい怒りモードで帰宅。
みんなでにぎやかに鍋を囲んで、休日のイベントは終了しました。

 『問題はそこからなのです。』とお母さん。
子供たちには済ませていない宿題をやらせて、パパは思い腰をあげて、犬の散歩に出かけました。
散らかったテーブルの食器の片付けをやっと済ませて、明日の朝食の準備をしていたら、散歩から帰った主人が思いもかけない言葉を投げかけました。

『なんや、まだやってんの?もう少し要領よく出来無いの?ゆっくりするの好っきゃなぁ・・』

思わずお米を洗う手が震えました。そして涙がぽろぽろ。
好きでやってんるんじゃあ無いのよね!お料理だって、洗濯だって、買い物だって、家族のために家族が気持ちのいいようにとやってるんだし、無い言ってんだこのやろう!と怒りと情けなさとで爆発しそうでした。
その後、ずっと元気が出なくて『私って家族にとって何なの?』と落ち込んでいる毎日です
・・と話されました。

朝から晩までくるくると、お母さんたちはよく働きます。
私の母もそうでした。そんな私の母も、父の仕事を1日中手伝ってましたから、母が父や私より先に寝床に入ったのを見たことがありませんし、ごろんとテレビを観ていたというような姿を見たことがありません。
なのに、食卓にはいつも時間になると、おいしいおかずとご飯が並びました。
ぎょうざ・から揚げ・金時豆煮は、私が挙げる母の手造り料理のベスト3の大好きなおかずでした。

そのときはそのことに取り立てて感謝するということが無かったと思います。
今、私は、愛情一杯に育ててくれたことへの感謝の気持ちで一杯です。
父が亡くなり寂しくなった母に、わずかながら金銭的な余裕も出来何かしてあげることもできるようになったにもかかわらず、忙しさにかまけ、感謝の気持ちを形で表すことがなかなか出来ません。

たまに外に食事に連れて行っても、家の方がゆっくりするからと早々に帰りたいという母です。
母親とは、本当にありがたいもの。

乳飲み子の時代から、大人になってからも、母の気持ちはいつも子供と共にあります。
私は高校を卒業してから以降、道場主になるまでのおよそ8年間修業のため親元を離れていましたが、その間手紙は書いても、ほとんど会うことがありませんでした。その間も母は心配し、愛情を一杯に心で見守り続けてくれていたのでしょう。

〝自信を持ちましょう。〟家族のためにあなたは素晴らしいことをしているのです。
家族はおいしい御馳走をみんな残さず食べてくれるでしょう。
気持ちのいい寝床で安らかな寝息を立てて眠ってくれるでしょう。

その日、心無い言葉かけをしてしまったお父さん、
貴方にもおはぎをつくってくれる母が居て、なにもかもが【母】の優しさで包まれているからこそ、安心してくつろげるのですから。

 明日、少しの感謝を伝えましょう。美味しかったよと声に出しましょう。気がつかないのは怠慢です。

《 感謝する心がけは、それを見ていた貴方の子供たちに受け継がれてゆくと思います。》
2005年10月19日
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2005年10月15日
保護者の皆さんへ            師範  秦 より
   
 叱り慣れ、怒鳴り慣れしているお父さん、お母さん。
そのため、叱られ慣れ、怒鳴られ慣れしてしまった子供たちが、自分が持っている本当の能力を開花できずにいたとしたら、本当に残念でなりません。
言葉一つで子供がやる気をだすきっかけになるかもしれない・・。
今日、どんなことでほめてあげようか?と視点を変えたことで、子供たちの未来が違ってくるかも知れません。   

心にプラスを植える本 【いい言葉は、いい人生をつくる】
                         斎藤  茂太  著

小さなことをほめよう。
同じことでも何度もほめよう。

やってみて、言ってきかせて、させてみて、ほめてやらねば人は動かじ。
                             ―連合艦隊司令長官   山本五十六 


文頭 省略

シドニー五輪の女子マラソンで、日本陸上史上、女子選手初の金メダルを得た高橋尚子選手を育てた小出義雄監督も、ほめ上手で知られている。

 高橋選手とマン・トゥー・マンで練習している光景を報じたテレビ番組を見たことがあるが、
『いいよぉ・・Qちゃん。今日は調子がいいねぇ』とほめまくる。
調子が悪い日はもっとほめる。『今日は絶好調だ。タイムはちょっと伸びないけど、走りは完璧だ。こういう走りの後はぐーんと伸びるんだ。今は力をためる時期なんだ。うん。言いよぉ』

 金メダルを取った後も、小出監督はことあるごとにこういっている。
『高橋はもっと伸びる選手ですよ。必ず、ここ1~2年の間に大記録をモノにしますよ。だって、高橋はすごい選手だもの。なにしろ、あの子はかけっこが三度の飯より好きなんだ。走るために生まれてきたような子なんだ。』

 第3者を介してほめ言葉を伝えると、直接ほめる以上に、本人に勇気と力を与えるものなのだ。
そのことを小出監督はよく知っているのであろう。だから、マスコミを巻き込んでほめているのである。
2005年10月15日
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2005年10月12日
保護者の皆さんへ            師範  秦 より
   
 今日は、お恥ずかしいことですが、私の不始末により考えさせられた事柄を皆様にお話し、
考える材料としていただきたいと思います。

先月のある日の午後一時ごろ、商店で買い物を済ませ、駐車場までほんの数十秒歩いた際に、手に持っていたポシェットから財布が転がり落ちたらしく、無いことに気づいたのは夕方の四時すぎでした。

キャッシュカード、クレジットカード、印章登録証、免許証、そして現金。
大事なものがぎっしり入った財布でしたので、さすがに血の気が引き、かなりあせりました。

落としてから数時間が経過しており、すぐにまず警察に届け、又、カードの紛失届けを出す必要がありました。

その日はすぐに指導があり、その作業を事務所の職員に託して、指導に入りました。
すると、丁度そのとき、警察署から落とし物として拾得された旨電話があり、取るもの取り合えず職員が委任状を持って引き取りにいってくれました。
 
中身はそのままに帰ってきたことにほっと安堵し、、拾っていただいた人に私は心から感謝し、指導が深夜まで続くため、まずは電話でお礼を申し上げました。
翌朝も午前中から指導があり、同じ職員にお礼金を預けて拾ってくださった方の職場に出向いてくれました。
お礼金は警察署で渡された用紙におよそいくらというようなことが指導的に書いてあったようで、それよりは多いめに封をしました。

 職員が、先ず、本人が来れない事情を伝え、御礼を渡したそのとき、拾い主の中年の男性はお礼の金封の袋を即座に肘の下に敷いて、こう仰ったというのです。

 『いや~昨日はたまたま自宅に用があり、仕事の途中に戻ろうとしていたら、自宅マンション近くの公道で財布を拾いましてね。
一度自宅に持ち帰り、失礼かとは思いましたが、連絡先と思い、中身を広げさせていただきました。そのあと妻と話をしたんです。
このごろのことやから現金もそうですが、キャッシュカードや免許証ですごい金を引き出すこともできますわなぁ・・せやけどね、免許証見たら月日が私の娘と同じ誕生日ですわ。
やっぱり警察に届けようといいましてね。すぐにはいけなかったので夕方になりましたが、
わざわざ仕事を抜けて行って来たんです。』

 職員は、この男性は何を言ってるのかと唖然としたらしいです。
道で拾った財布は拾った人のものではなく、落とした人のもの。中身を見る前に、警察に届けるのが当たりまえなのに、自宅で広げて奥さんと相談したというのです。その後、その人は言ったらしいです。

『落とした人はまぁ日頃の行いがよかったんですわな。正直な自分みたいな人間に拾われて。せやけどほんまは本人がすっ飛んで取りに来るのがほんまですわな。財布に入ってた領収書見たら、○○〇で食事もしたはるみたいやねえ・・又、一緒に酒でも飲もうというといてください』

職員は、思わず拳を握り締め奥歯を噛み締めたということです。この人のしたことを神様が一部始終見ていたら、はたして善人とするのか悪人とするのかどちらだろうかと思ったそうで、感謝の気持ちが失せてしまったというのです。
その報告を受けて私は、職員に言いました。『こんな経験はめったと出来ないよ!人の心の愚かさを見せていただいただけでも勉強になったし、私が財布を落としたことでそうなったんだから、もう二度とうかつなことはしないよう気をつけるからね』と。
                      
私は大いに反省をしました。

自分の不注意でいろんな人の手を煩わせてしまい、又、拾ってくれた人も拾わなければ邪まなことを思わずにすんだであろうことなどを。しかし、一時でも邪まなこと思ったこの男性は、犯罪の一歩手前の心境を自ら打ち明けて、私に脅しをかけたつもりなのか・・お礼の金封を中身を見ずして肘に敷いて言いたい放題言ったのは、自分が届けずにあちこちで金を引き出したら、とんでもないことになったんだから恩にきなさいよと、恩をきせたかったのか・・とても複雑な思いでした。

人は皆、悪魔に魅入られて我を忘れます。
良心や物事の道理とは程遠いところに行ってしまった心は、生き方そのものを変えない限りもう戻ってはこないでしょう。

皆さんはどう思われましたか?

世界中で、今も何かが起きています。インドネシアの楽園で又しても非道なテロ行為があり、多くのかけがえの無い命が奪われました。人の心が荒廃し、大事なこと全てが失われつつある現代。
ストップ!させたいですよね。立ち止りたいですよね。
人一人の力はとても小さいけれど、集めてみましょう!
私は私の立場で、繰り返し繰り返し、つたえてゆこうと思います。

   人としてどうあるべきか!
2005年10月12日
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2005年10月1日-2
保護者の皆さんへ            師範  秦 より
 
朝晩涼しくなり、すっかり秋らしくなってきましたね。運動会も終わり、あと三ヶ月もすれば、新しい年を迎えることになります。
この季節になるといつも思います。『今年するべきことはやれただろうか?し残したことは無いか?目標は達成できたか?』
来る年を迎え、去る年を省み、決して惰性でなく、ひとつでも新たなことにチャレンジしてゆきたいと思うのですが、なかなかに年頭に掲げた目標はパーフェクトに完成させることは本当に難しいことであります。

《志あれば道あり》という詞は私の好きな言葉の一つですが、どうせダメだからと計画や目標を立てないで新しい年をスタートすることの無い様にしてください。自分に甘くすると止め処がなくなるのが人の常ですから。
常に困難な道を選択する勇気を持ちたいものです。

秋になったばかりというのに来年のことを言うと鬼が笑います。あと3ヶ月をフルに活かして一緒に頑張りましょう!年内にはたくさんの行事が目白押しです。県外で開催される試合も多いですし、奈良支部でも審査会や交流試合などが日曜日を埋め尽くすように実施されます。思い残すことの、もう一踏ん張り頑張ってください。  
 
さて、今日は、海外からとても嬉しい話題が流れてきましたので、いち早く御紹介しましょう!

 皆さんは、お父さんの転勤の都合でハワイに在住することになった中野聡大君のことを覚えていますね。まだほんの数ヶ月前のことですから、一緒に稽古に励んだ仲間である皆さんは、寂しくなったと同時に少し羨ましい思いもしたかもしれません。少し前に、絵葉書が届きホノルルの道場で稽古を始めたということでした。
毎日が新しい経験と刺激に満ちて、そういったことが、聡大君の身体や心を大きくしている様子が、手に取るように判りました。
私は、残念ながらハワイには行った事がなく、聡大君が【家は狭いですが泊まりに来てください・・】と書いてくれていたことをとても嬉しく思い、いつかきっと尋ねてゆきたいと思っています。

その聡大くんが、
9月24日アメリカ本土のニューヨークで開催された【オールアメリカン空手道選手権大会】の青少年組手部門でなんと優勝したのです!写真が手元にありますが、数ヶ月の間に見違えるように大きく成長した聡大くんに、思わず目を見張りました。頑張っていますね!みんなも負けないように頑張らないといけません。

世界は広い!でも君たちの未来は世界が舞台なのです。毎年何十万人という人たちが海外旅行に出かける現代。海外・外国はとても身近になりました。君たちが自分の意志で自分の力で海外に飛び出したいと思えば、夢の世界ではなくなりました。
夢は大きく持って、飛び出そう!チャレンジしよう!
僕も、私も、もっともっと頑張って、いつかは海外の試合にも出たいです!                     
 聡大くんにも会いに行こう!みんなの申し出を師範は首を長くして待っています。
2005年10月1日-2
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2005年10月1日-1
保護者の皆さんへ            師範  秦 より
   
 9月21日に配信しましたお手紙を読んで、ある保護者の方からお手紙をいただきました。
いつも私からのお話を楽しみにしていただいているようで、ありがたく思いました。簡単に要約して皆さんへも披露させていただきたいと思います。9月21日の私の話は次のようなことでした。

駅構内の通路に、高校生が数名たむろして、通行を妨げているので注意をしたという内容でした。そして駅員さんの応対が他人事のような自分とはかかわりが無いというようなことであった・・というようなことです。
 
駅のホームのお話に似たようなことが私の会社にもあると仰るのです。

お手紙をいただいた方のおうちは、いわゆるアパレル関連の縫製工場を経営されています。

製品を出す前に必ず出来上がった製品をチェックする段階があって、それが本来メーカーとしての信用を得る為のとても大事なポイントとなります。
その段階で、現場の責任者が、小さなミスはいわゆる見ない振りで通してしまうことがあります。どこかで引っかかればそれから治せばよいというような認識で、困ったもんだと杞憂しています。

誰かがやることだから、自分は知りませんというようなことでなく、先ずは自分がやっていかなくてはダメだと思うのです。例えば駅に落ちているごみ一つ、先ずは駅員さんがひとつ拾えば綺麗になり、一人一人がそうして行くことが気持ちの良い空間や社会を作ってゆくのだと思います。

今の世の中、自分で何でもするという気持ちが無くなり、いやなことは人任せにしてしまうような傾向がありますね。子供たちも自分から進んでやれるようになってほしいです。稽古で教わりますが【素直な心】や、【奉仕の心】の気持ちが、子供だけでなく、大人にもほしいものだと思います。
                       
〝仰るとおりです。〟子は親(大人)の鏡であり、親(大人)は子の手本とならねばなりません。
考える材料はあちこちにあるものですね。皆さんはどうですか?
2005年10月1日-1
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2005年9月21日
保護者の皆さんへ            師範  秦 より
   
 最近私が体験したことで、皆さんにも考えていただきたいことをお話したいと思います。

これは、少し前のことになります。私は、毎日指導の為にあちこちの道場に車で移動しています。

以前に京都まで行く際に、久しぶりに電車を乗り継いで行きました。
橿原の道場で稽古を終えた夕刻、坊城駅から先ずは橿原神宮駅まで。
橿原神宮駅は京都線のホームに行くのに広いコンコースを通って行かねばなりません。
と、おやおや・・広いコンコースのなだらかな通り道一杯に女子高校生のグループが5名ほど座り込んでいます。
ベターッと座りこんでいるだけでなく、あたり一面にお菓子やパンのあき袋が散乱し、缶ジュースやペットボトルが転がっています。その数が半端でなく中身がこぼれて水浸しになっています。

少し前にはもっと大勢がこの構内にたむろしていたと想像がつきました。
皆大声で笑い、喋り、制服のスカートの足を広げて我がもの顔で座っている様子に、私はあきれ果てると同時に怒りがこみ上げ、『コラーッ!君たち!何しとるんだ!ここは通路やないか!』と声を上げました。

女子高校生たちはどうしたでしょうか。私をシラーッと一瞥してそのまま座り続けました。
『今すぐ、片付なさい!』と言ったとき、到着した電車から車掌さんが降りてこられたので、『注意してるんだけど、こういう状況の場合、駅のほうではどうされてるんでしょうか?』車掌さんはこう答えました。
『担当がいますので言ってきます・・』と。そしてさっさと駅員室に戻ってゆかれました。
自分はあくまでも車掌であって駅構内のことは別の担当がいるからそちら任せということらしく、私は義憤を感ぜずにいられませんでした。乗車する特急が発車する時刻となり、なんとも言いようの無い気持ちでその場を去りました。

この日はずっとそのことが頭を離れず、【親の顔が観たい】ということがまさにこのことでは無いのかと思いました。

本来、高校生といえば既に身体は立派な大人として成長しており、又、情緒面においても恥らいなどが芽生えてよい年頃であるはずです。子供たちがほとんど一日中をすごしている学校という教育の現場で、幼少期の頃から思春期に至る十数年の間に、一体どれほどの時間が【社会生活の掟・ルール】の学習に使われたのか!大げさではなく愕然とする想いでした。

さて、【社会生活の掟】については又の機会にお話させていただくとして、今日は、高校生のお姉さんやお兄さんのいるご家庭はぜひともに、師範の話を話題にしていただきたいと思います。
2005年9月21日
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2005年9月14日
保護者の皆さんへ            師範  秦 より
   
 残暑厳しい日が続いています。皆さん!お元気ですか?夏の間の疲れが出て風邪をひいたり、身体がだるい・・というような方もいらっしゃるかもしれません。
そこで、師範から一つ提案です。身体がだるくて勉強や仕事に身が入らないという方に・・おなかの調子はどうですか?
おなかの調子が身体の全てに関わっていることが大いにあります。
夏の間にガブガブと、飲んだ〃飲んだ〃ジュースに麦茶に、ビールに焼酎・・・そんな方が多いと思います。

 私は、朝の食事に(昼も夜もでもいいでしょうが)必ず納豆と野菜のたくさん入った味噌汁を欠かしません。
大豆が発酵した食品は、栄養価が高いばかりでなく、お腹の整腸作用も促してくれます。
熱い炊き立てのご飯に、納豆と、しらす干しと、焼き海苔ををたっぷり載せた健康どんぶりを、お母さんに作ってもらいましょう。

もちろんそれだけで元気なれる保障はありません。きちんとした生活習慣。早寝早起き。
お風呂を嫌がらないこと、手洗いやうがいなど清潔を保つことも忘れずに!

もう一つ、コマーシャルではありませんが、私はヤ〇〇トも毎日一本かかさず飲んでいます。
おかげで元気なお腹、元気な体で毎日を送っています。
 
〝さて、元気になったら、カラテの稽古に頑張りましょう。〟
大仏杯も終了し、笑った人、泣いた人いろいろですが、勝った人はそれに満足せずに、更に一つ上を目指しましょう。

負けた人は、がっかりせずに、そして悔しい気持ちを忘れずに次を目指しましょう。
カラテの試合は、勝つ人の為にだけ開催されるのではありません。負けることも本当は大事なのです。

いや、勝つこと以上に、負けた後の心の持ち方がみんなを強くすると言えます。
対戦相手が自分より上の帯だと普通はびびりますね。又、お母さんは言うかもしれません。
『相手のほうが身長が○○センチも高いし、体重も○○グラム多いよ。』
そんなこんなで、戦う前に戦意喪失ってことありませんか?.

皆さんは、【背水の陣】ということばを知っていますか?昔の武将が戦いの時に、自分の陣営を敢て(わざと)大きな川の前に張ったということですが、敵が攻めてきたときに、後ろに逃げられない状況を作って、気合を入れて戦いに臨んだという武士としての心意気を表現しています。

【柔よく剛を制す(小よく大を制す)】ということばもカラテの試合ではよく使われます。
体の比較的小さな成嶋選手が世界の舞台で、フランシスコフィリョを相手に闘った姿を覚えていらっしゃる方もおられるでしょう。
結果、成嶋選手が負けはしましたが、その健闘振りに会場内に大きな拍手が沸き起こりました。

本当に強いということは、身体や級の差など関係なく、正々堂々と闘える気持ちを持てること、持てる人が、本当に強い人と言えるでしょう。
 修業の道はまだまだ続きます。頑張る人にはかならず結果がついてくるでしょう。それを信じて頑張るしかない!
2005年9月14日
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2005年8月20日
保護者の皆さんへ            師範  秦 より
   
《 伝えたいこと 》
少年一部の皆さんには、直接指導をしてもらっていた森村謙信君が、七月二十六日付けの退会の意思表示を以って極真会館奈良支部を離れることになりました。正式には、七月二十八日を以って、奈良支部を除名・破門したということになります。
詳しくは、九月四日に開催される第十回大仏杯のパンフレット誌上でも、私のインタビューの記事の紙面で公開されています。今のところ、本書と大仏杯パンフレット誌上以外の場面では本件につき語ることはありません。

 森村君は皆さんの子供さんの年齢よりももっと早く、三歳からの入門でした。
入門の歴史から申せば、古株の一人として、又大きくなってからの活躍によって全国的にも認知される存在でもありました。
カラテをはじめた三歳の頃は、もちろんご両親の意向であり、泣き虫な普通の幼年部の一人でありました。
カラテが面白くなったきっかけは大会で優勝したことがきっかけとなったと、雑誌のインタビューに答えていたと思います。

今年、奈良支部の歴史は今年二十一年目を迎え、彼もまた支部の歴史と同じく今年二十一歳を迎えます。
本年一月からの彼自身の行動や言動から除名に到るまでの経緯は、本書では詳細に記述いたしませんが、簡単に申せば、森村君が私との約束に違反したこと又、多くの奈良支部の関係者に多大なる迷惑をかけたことは、極真会館全体の組織のあり方に相反する重大なる問題を含んでいたということです。厳重な処罰を受けるに等しい事実として、私のみならず、奈良支部幹部各位の見解も一致しております。

私は最近つくづく思うことがあります。どうしておかしな事件がこうも次々と起きるのか。
人の心はどこまで廃れてゆくのか。虚飾と欺瞞に満ち満ちて、人と人との関わりがともすれば煩わしいものとなり、人の心は暗闇に孤立して、無表情な人間が物と金とを求めてせわしく往来している。そんな大人が子供を持つ。日本を、世界を、背負って立つ子供を育てる。

お間違えのないように申し上げます。私は皆さんの子育てを非難するつもりも又、考えや生き方を否定するつもりはありません。

大きな視野で広い世界を見渡したときに見えてくるものが、余りにもさびしげで、貧相で、冷たすぎると感じるが故に、心のうちに湧き上がる疑問や不安を解き放ちたいと思っているのです。

一般論と片付けるのはあまりにも無責任なように思えますので、あくまでも私の説として心に留めていただきたいと思います。一つ一つの不安が、この数年のうちに幾つか現実となって私に向かって参りました。

私は、胸を張って申します。四十数年の私の生きてきた道筋に、寄り道も又、迷い道も無かったと。
いや、寄り道や、迷い道は許されなかったが故に、一途に歩むしかなかったのかもしれません。
結果として私は、太い一本の気柱を心にもつことが出来ました。
それは、故人となられた大山倍達総裁の教えに忠実に従い歩んできたが故、もつことが許されたと言えます。
私は、大山総裁にカラテの極意のみならず人としてどうあるべきかを、身をもって教えていただいたのです。

教えは、手取り足取りでは決してありませんでした。なぞかけのようなものだとも言えます。
『○○をしてきなさい・・』そういわれて『押忍』と答える。そこからは散々頭を捻って考える。
ありとあらゆる方法引き出し、時間をかけることは許されないが故、きびきびと動きまわり見つけた答えを持ってゆく。
『君ィこれじゃあダメだよ』そういわれたら、もう一度駆け出す。
『これでいいよ』と言われるまで、何度でも。大山総裁の下、ひたすら自己を滅した修業時代の数々の出来事や経験によって、今の私の生き方の根本となる枠組みが形成されたといってもよいでしょう。

私が昭和50年代前半に経験したことを、そのまま現代に当てはめて考えてもそれは無理であることは承知しています。
若者の考え方が自己本位で軟弱になったと嘆いても、それは我々大人にも大いなる原因があるのだということも承知しています。

同世代のお父さんや、お母さんにお聞きします。思い出してみてください。私たちが子供の頃に父親に教わったのは、パソコンの扱い方ではなく、お金の儲け方でも無く、『人様に迷惑をかけるな』『人に騙されても、人を騙すようなやつにだけはなるな』『人に後ろ指を指されるような生き方をするな』といった、道義心や道徳心でありました。そうではありませんか?
皆さんは日常、そんなことを家庭の中ではたして子供たちに伝える機会はありましたか?
そんなことは敢て言わなくても分かっている・・というのは大きな間違いです。
父が母が伝えなくて、子供たちはどこでそんな大事なことを教われるというのでしょう。
しかも家庭において伝えられないことが、知力だけを追い求めがちな現代の教育の現場で時間を割いて教えられているとは思えません。だからこそ、私たちは空手という武道の現場において、口をすっぱくして〝うざい!〟などと言われながらも伝え続けているのです。

独断的だとか、一方的な圧力だとかと批判されても武道精神を基礎とする物事の考え方や、人と人との関わり方や、又生き方も変えるつもりはありませんし、道場において違約した人間に対する制裁も躊躇せずに実行してゆきます。

だからといって私たち極真の支部を張る支部長とて100パーセント完璧な人はいないはずです。
もちろん私とて同じです。指摘されたれっきとした間違いには心より反省し、改めることをしない限り、私は父の教えに背くことになるからです。人に後ろ指を指されてはいけない・・人を騙してはいけない・・嘘をついてはいけない!正道を歩め!
私の父は質実剛健を地で行く頑固親父でありました。
父の前に父は無く、父の後ろに父は無い。男らしく、曲がったことの大嫌いな父は、常に何事にも流されず、大地に足をしっかりと踏ん張った一匹狼でありました。
父の寝床の頭の上をついうっかり飛び越えるようなことをしたらば、鉄拳の代わりにテレビが飛んでくるといったこともありました。
三人男ばかりの兄弟は年端も行かない子供の頃から父の後姿を見て育ち、早くに独立して一人前になる教育を受け、それぞれが確固たる人生を歩んでおります。
私の人生に於いて二人の素晴らしい父に教えを受け、これからも教えの通り、正々堂々の道を歩んでゆきます。

 語りたいこと、伝えたいこと、聞いていただきたいこと、山のようにある中で、一番語りたいことを今回は聞いていただきました。
ありがとうございました。
2005年8月20日
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2005年8月17日
保護者の皆さんへ            師範  秦 より
   
サマーキャンプ(夏合宿)が無事修了しました。
『いえいえ・・うちの子どもは合宿から帰ってから熱を出して寝込みました』と仰るお母さんもいらっしゃるかと思います。
でも一人の少年会員を除いて、みんな二泊三日を終了することが出来ました。

真夏の二泊三日の合宿では楽しいことも一杯あったでしょう。
又、つらいことも一杯ありました。夜明けに起床して海岸での稽古では、眠くて泣き出す4歳の子供たちも続出しました。

保護者の方から離れて過ごした三日間は、貴重な経験として子供たちの心のうちに残ってゆくでしょうし、少し成長した自分を感じてくれたことと思います。皆さん、ご苦労さまでした。そして、ありがとう!

さて、夏休みももうすぐ終わります。
新学期に向けて生活のリズムを戻すためには、お父さんやお母さんの協力が必要です。
早寝早起きの習慣を取り戻そうとしたら、お父さんがリビングで夜遅くまでテレビの前で過ごしていては、子供に示しが付きません。『さあ〃今日はこれでおしまい。みんなでお休みしよう・・』と声をかけてあげてください。
楽しかった夏休みの家族の行事や、田舎のおばあちゃんちにいったことや、クワガタやカブトムシの話をしながら寝床につきましょう。

火曜日からあちこちの道場でも稽古が開始され、みんなの日に焼けた笑顔が並びます
保護者の皆さんの暑い間の送り迎えは本当に大変でしょう。休み明けの稽古は、ぐずぐずと行きたくないという子供たちもいます。どうぞ励まし、笑顔で送り出してあげてください。

休みが明けて、師範も『よっしゃ!頑張るぞ』と気合を入れて頑張ります。

第十回の大仏杯も眞近となり、二回目の強化稽古も予定されています。新たな目標に向かって
〝気合一発〟

お盆の十五日【ほうらんや祭り】がありました・・
橿原南和本部道場のある橿原市東坊城町一帯で催される【ほうらんや祭り】は弓場の春日神社と八幡神社で行われます。
語源はよく分からないそうですが、伝染病封じから始まったようで、
毎年無病息災、五穀豊穣を祈念して行われる300年以上続いている伝統あるお祭りです。
火を扱うことから元来は雨乞いの行事と考えられます。

真菅分支部の三浦先生が参加され、火の付いた大たいまつをかつぎました。
当日は吉本の石田やすしさんがテレビの収録で参加されていたとか・・。
熱い暑いお盆の一日。
担ぎ手も観客も、大興奮の一日は無事に終了し、三浦先生の健康と真菅道場の繁栄が約束されました・・
0ということですね。きっと。
2005年8月17日
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2005年7月20日
保護者の皆さんへ            師範  秦 より
   
 梅雨があけ夏本番となり、深刻な水不足が問題となっている今日この頃です。

最近の保育園などの現場において、教室にエアコンなどを取り付けずに、
できるだけ自然の涼感を取り込むような施設作りを市の方針として試みているというような記事を目にしました。
とはいえ、地球上のオゾン層が破壊されている現代、家の周りはアスファルトの道路が取り巻き、ひっきりなしに車が行き交い、昔のように風鈴や打ち水で涼感を得ようという暮らし自体が出来にくくなっています。

そんな暮らしの中「もったいない」という言葉自体も使われなくなりました。
電化製品で覆われた日々の暮らしは、便利で快適でともすれば季節感さえ失われていることに気づかないかも知れません。
夏の間は、エアコンが朝から夜まで一日中付けっぱなしのご家庭もあるでしょう。

バスタブにはいつも満々とお湯が満たされ、食卓には毎日きちんと美味しいものが並びます。
子どもたちは何不自由のない暮らしに慣れ、「もったいない」の言葉さえも知らないかも知れません。

家族で食卓を囲むとき、ちょっとそんな話をしてみてください。

雨が降らないことが、とても深刻な問題であること。私たちの暮らしのとても大事な部分が自然環境によって支えられていること。水も電気もガスも食べ物も、当たり前のように存在するのではないことを。

お父さんお母さんが小さい頃どんなふうに暮らしていたか。小さな心がけの一つ一つが大きな輪になって、未来や地球を支えてゆくということを。

                      
こんなことがありました・・・
【 出来心(できごごろ)は、立派な犯罪です。 】

ある日の夕方、橿原本部道場の階段付近に小さな犬を連れたおばあさんがおられました。
なかなかその場所を離れられないため、セキュリテイのブザーが鳴り続けたので、みるとは無しに事務所のモニターに注目していました。

 すると、突然、そのおばあさんが、階段下においてあった傘立の忘れ物傘を抜き出し、連れていた犬を強く引っ張りながら、駆け足で逃げるようにその場を離れてゆこうとされました。

 すぐに事務所から出て、私が上から声をかけました。

「すみません!何か持っていかれたようですが・・どちら様でしょうか」おばあさんは持っていた傘を植え込みに投げ込み、聞こえないフリをされました。

「元に戻していただければ、お名前を聞いたりしませんので、お願いします。」と問いかけると、
『申し訳ありません・・すみません・・つい・・』とあわてた様子で又、犬を強く引っ張りながら、小走りに走って行かれました。

たった傘一本。でもそれはよそ様の建物内にあるよそ様のもの。
おばあさんはその夜、家族と一緒にどんな顔をして食卓を囲まれたでしょうか。
安らかな眠りにつけたでしょうか。コンビニや本屋やスーパーなどで、万引きがあとを絶たないということを耳にします。
ほんの出来心の言い訳は通じません。

みなさんは、このおばあさんのやったことをどう思われるでしょうか。お子様と一緒に話してみてください。
2005年7月20日
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2005年7月13日
保護者の皆さんへ            師範  秦 より
   
  もう梅雨が明けたのかと思うような暑い日が続きます。夏休みももうすぐ始まります。
サマーキャンプを楽しみにしてくれている子どもたちには、夏風邪を引いたりおなかを壊したりしないように気をつけて、元気にキャンプに出発しましょう!小さな子どもたちには、〝お父さんお母さんの手を離れて初めて宿泊します〟という人もいるでしょう。

たった二泊三日の宿泊訓練になりますが、ぜひチャレンジさせてあげてください。

団体行動で得る経験は、子どもたちを一回りも二回りも成長させます。
参加した子どもたちは、帰宅一番、皆一様に『楽しかったあ~』とお母さんに報告するでしょう。
怪我や病気の無いようにと、黒帯の先生たちは、昼も夜も子どもたちから目が離せません。
集合や解散時のお迎えの際に、一言『お疲れ様でした』『お世話になりました』と声をかけてください。
きっと疲れも吹っ飛ぶことでしょう。
 
 
【 子どもが育つ魔法の言葉 】  ドロシー・ロー・ノルト著 より抜粋
 
  励ましてあげれば、子どもは、自信を持つようになる。

「励ます」という言葉の英語の元々の意味は、「心を与える」というものです。
子どもを励ますとは、子どもに私たちの心を与えることなのです。
子どもが生活面でも精神面でもひとり立ちできるようになるまで、子どもを助け、支えるのが私たち親の役目です。

けれども、どこまで子どもに手を貸し、どこまで子どもの自主性に任せるか。
また、どんなときに誉め、どんなときに辛口の助言を与えるかー。それは、とても微妙な問題です。
そしてそれは、頭で考えることではなく、心で考えることなのです。

 子どもが何か新しいことを学ぼうとしているときには、子どもを支えるだけではなく、公平な評価をも与える必要があります。
失敗したときは「もっと上手にできるはずだよ」と子どもを励まし、子どもの可能性を伸ばしましょう。
そして、たとえ失敗したときでも親はいつも子どもの味方なのだということを教えてあげてください。

 そのためには、その子はどんな欲求があるのか、何が得意なのか、何をしたいとおもっているのかに十分に注意を払わなくてはなりません。子どもは、皆一人ひとり違います。
人に何か言われるとすぐに挫けてしまう子、集中力のある子、人一倍支えや助けの必要な子、一人でやらせたほうがいい子

子どもには、それぞれの個性があります。それを見極めて、適切な助言を与えてほしいと思うのです。
2005年7月13日
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2005年7月6日
保護者の皆さんへ            師範  秦 より
   
  最近読んだ本の中から、私自身も学習し、感動したいくつかを抜粋して、皆さんにお届けしようと思います。

なぜならば・・伝えたくてたまらなくなるような素晴らしい内容だからです。

読むまでも無いと破り捨てるのも、何処かにはってくださるのも、ファイルに閉じていただくのもご自由です。

御感想や御意見などありましたら、私に声をかけてください!
又、支部ホームページの掲示板に書き込みしてください!メールを送ってください!お待ちしています。
 
 


【 子どもが育つ魔法の言葉 】  ドロシー・ロー・ノルト著 より抜粋
 

  子どもは常に、親から学んでいます。子どもはいつも親の姿を見ています。
ああしなさい、こうしなさいという親の躾よりも、親のありのままの姿のほうを、子供は良く覚えています。

親は、子どもにとって、人生で最初に出会う、もっとも影響力のある「手本」なのです。
子どもは、毎日の生活のなかでの親の姿や生き方から、よいことも悪いこともすべて吸収してしまいます。
口で何かを教え込もうとしてもダメなのです。親がどんなふうに喜怒哀楽を表すか、どんなふうに人と接しているか。
その親の姿が、手本として、子どもに生涯影響力を持ち続けることになるのです。

  子どもは、皆個性豊かです。自分で何かを創り出し、自分でものを考える力を持っています。
親としての真の喜びは、その子の個性を伸ばし、生き生きした毎日を送ることが出来るように見守ることではないでしょうか。

 子どもは、大切な家族の一員です。子どもは、自由で発想豊かです。そんな子どもと共に成長し、学ぶことができます。
家族の絆を深めることができるのです。

 子どもは、本当に日々親から学んでいます。そして、大人になったとき、それを人生の糧として生きてゆくのです。
2005年7月6日
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